「日本版DMO」に疑問を抱きながらも、興味がある理由を考えてみた

2017.06.23

日本版DMOに対するモヤっとした感想や、いわゆる「コンテンツ」に対する考えなんかをアウトプットした。その上で、これからやっていきたいことなんかを考えるにあたっては、案外「DMO」自体は悪くないんだろうな、と思った理由を出してみる。

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去年の今頃まで、大阪の再開発を外から眺めていた

1年前の今頃まで、およそ4年近く中崎町に住んでいた。また、阪急梅田やJR大阪駅を経由して学校に通ってみたり、遊んでみたり。住む人として、近場から来訪する人として、開業前のグランフロント大阪や、綺麗になる前の大阪駅をうろついていた。自分が独立した時には、思い切ってナレッジキャピタルのコワーキングにも入ってみたりして、グランフロント大阪の北館がどんな風に雰囲気を変えていったかも、なんとなくは知っているつもりだったり。

梅田のど真ん中だけじゃなく、郵便局のあった近くやヤンマービルがある東側、旭屋書店が入っていたビルの移り変わりも眺めたし、北浜や本町、南船場の変化なんかも、ごくごく軽くは見ていたし。大阪市内から出た後の変化も、行き来するたびに横目で見てきた。

でも、そのたびに思うのは、「本当にこの変化でいいのだろうか」、ということ。自分たちの商売をアピールするために、他人の力を利用するという姿勢が、なんとなく透けて見えるような気がしてしまう。そこには、「手と手を取り合って」とか「この街やこの駅周辺はこういうデザインにしましょう」という意識はあまり感じられなかった。

「爆買いだ」とそれ向けにシフトチェンジしたミナミ、心斎橋界隈も似たような様相。いわゆるキタとは客層が少し変わった程度で、「街をこれからどうしていこうか」というグランドデザインがあるようには思えなかった。そのせいか、日曜の昼間であっても、大動脈である御堂筋沿いは閑散としてしまっていた。

もし、「地方創生」や「日本版DMO」が本格的に稼働した結果、これと似たような状態になるのなら、怖くてしょうがない。また、ここまで行かなくても、間違った施策に注力して、明後日の方向に向かってしまうのも、また恐ろしい。データが出ている、数字が上がっている、根拠があるから、と押し切られれば、もうどうすることもできなくなる。

その一方で、こういった状況を本当にどうにかする切り札があるのなら、それは「観光」を置いて他にはあんまりないんだろうな、とも思ってしまう。ただし、それは「UX」や「ペルソナ」という要素を最上流に持ってきた場合の「観光」に限定される。供給側の理屈によって押し付けられる「観光」では地方の未来も、日本の未来も明るくはならないんじゃないかと。

需要側の視座を持ち込んで、大胆なイノベーション、全体最適を図る材料になるとは思った

日本版DMOのシンポジウムでプレゼンしていただいた「ナパバレー」の事例に限らず、「観光立国」で上手くいく国や地域には、多分「UX」や「グランドデザイン」という概念が浸透している。具体的に「どんな人が来るのか」まで想定されたインフラの構築、それからいろんなサービスが集められている。何を感じてもらって、どんな感想を持って帰ってもらいたいか。また、何を楽しみにもう一度来てもらいたいかまで、考え抜かれている。そうでないと、「街の魅力」や「国の魅力」は伝わらない。ナチュラルな口コミも広がっていかない。

何度も来てもらえる。どんな時間軸で滞在してもらっても、楽しめる余地がある。飽きることのない楽しみ方が散りばめられている。そういう状態を作って、持続的な成長、中長期的な経済活動を根付かせていく。それをやるためには、今までのような供給側の「濡れ手に粟」な施策ではダメだろう。

おまけに「イノベーションが大事」と言いながら、その原動力になりそうな「若者」や「クリエイター」が一連の工程の中流から下流にしかアサインできない状況や、手や足どころか、口すら挟めない状況があるのではないか。「大人」や「今までの経営陣」が方針を固めて、個別のサービスやプロダクトをデザインするところや、宣伝広告をするところにしか「新しいもの」を起用しないようでは、大胆なイノベーションはできやしない。「そういう人たち」お抱えのコンサルタントを入れてしまっても、似たようなもんだろう。「どこかで見たようなもの」しか作れなくなる。

ハナっから、若者やクリエイターを動員する。考えの起点を需要側の視座に据える。供給サイドが想定する「こんな人がいいな」というデータの塊で出来たターゲットではなく、「本当にいるかもしれない」というペルソナに対するおもてなしを、戦略的に、そして徹底的に全体最適をかけて組み立てていくという考え方でないと、魅力的な観光というのはお届けできないだろうな、と。

今までは、「供給側の都合」で最適化がかけられなかった部分、破壊できなかった旧習も「需要側はこう考えているから」と変えられるかもしれない。というか、変えていかないと「観光」は無理だろう。「世界標準の当たり前」に対応していかざるを得なくなる。

幅広い業種、領域に波及するのも観光産業だけ、じゃないかと

例えば、農林水産業、特に農作物の6次産業化というものも、「観光」というある種「ハレ(=特別な日)」なら組み立てやすいんじゃないか、と。日常生活の中で高付加価値をつけた商品をそのまま売りに出しても簡単には売れないが、旅行先だと変なものを買ってしまうように、「その土地でしか食べられないもの」なら、多少高くても飲み食いしてしまうという経験、自分にはある。いわゆる「観光地価格」でしょうもないものを買ったり食べたりしたことがある人は、少なくない。

なんの変哲もない普通の作物であっても、「観光地価格」を織り込んだ6次産業にしていけば、多少高くなっても売れる。ただ、そこには本当に手間暇かかった、「本当にそれだけの価値がある商品やサービス」でないとリピートはないのだから、本気で作ってもらう必要はある。でも、それで売れるとわかっているのならやる気が出るんじゃないだろうか。

口にするものだけでなくていい。工芸品であってもいい。地元の産業、地場のものを地元の人が下降して、高付加価値をつけて高く買ってもらう。安売りは、日常の中でやればいい。本当に上手くいくかどうかは、小さく初めてデータを取ればいい。マーケティングとPDCAとをきちんとやって、採算の取れるラインを見つければいい。それだけの話だ。

決済サービスや物流サービス、あるいは情報産業なんかにも、恩恵がある組み立て方は可能だろうし、観光のためのインフラ整備、公共事業だってありうるかもしれない。ハコモノだけにとどまらず、土木や治水の見直しもありうる。費用をかけても回収が出来るという目処が立てば、予算もつくだろうし地方債という手も取りやすくなる。

何より、地域の宿泊施設が、設備を新しくするというだけでも大きいんじゃないだろうか。紙もののやりとりが続いている世界に、ITが入り込む。あるいは、カード決済が当たり前にできるようになる。旅館だろうが、ホテルだろうが、柔軟な対応を迫られれば変わっていかざるを得ない。需要側の理屈で。

また、人を運ぶという交通手段、移動手段も必ずテコ入れされるだろう。日常生活の区画をどうするかも、見直さざるを得ない。短期滞在、あるいは数年単位の移民というのも今後出てくるとすれば、そこへの対応も迫られる。というか、してもらいたいという思惑もある。それだけインパクトが大きいのが「観光」というカードなんだろうなと考えている。

需要側の視点で、「物足りない観光コンテンツ」を払拭できるかも、とも思った

自分自身、そんなに観光している方ではないが、日本の観光地やいわゆるイベントというのは、どこか「学校行事」的な雰囲気を感じている。どこか「ごっこ」的というか、子供騙し的というか。コンテンツの底が浅かったり、質がそこまで高くないものが割と混じっている気がする。

全てのコンテンツがそうだと言うつもりは毛頭ない。毛頭ないが、せっかくの観光地なのに「アレ?」と思うものを見かけてしまったり、いわゆる「ゆるキャラ」や「B級グルメ」で海外からでも人が来るんだと本気で思ってやしないだろうか、と。色んな自治体が主催するイベントだって、似たようなもんだ。十分なクオリティに達しているものは多くない。あくまでも「学校行事」みたいなところが基準で、「その感じ」で作っちゃってる気がする。

生徒会の役員をやっていたこともあるし、今もあるイベントのボランティアを手伝っていたりするから、そのやり方が気持ち良かったり、それが楽しいんだと言うのも、わからなくはない。ただ、それを需要側に押し付けるのはやっぱり供給側のエゴにしかならない。中途半端なものでは、人は呼べない。人は来ない。本当に価値のわかる人に、心の底から感動してもらわないと、そのイベントは一回きりで終わってしまう。積み重ねも残らない。

需要側の要請を受けたレベル、需要側が満足するクオリティを叩き出さないなら、やらない方が無難だ。「バカにしてんのか」と思われるより、なんとも思われない方がいい。かくいう自分自身、修学旅行なんかでの子供騙しにカチンときたことが何度かある。学校行事的なおままごとは、何度もぶっ壊してやろうと思ったことがる。

本当に大事な神事や伝統行事なら目を瞑る。でも、そうでないなら、やっぱりきちんと作るべきだ。次へつなげるために本気でやるべきだ。おままごと、「こんなもんでいいだろう」は見透かされる。人の心を揺さぶることなんてできやしない。

どこかで見たことあるようなコンテンツも、やっぱりやめた方がいい。「なんとか伝説」もきちんと取材してきちんとしたコンテンツに仕上げられないなら、下手に手を出さない方がいい。そこら辺を、きちんとテコ入れしていける最後のチャンスが、この「(DMO型の)観光」なんじゃないかと思ってしまった。

本当にDMOをやるのなら、「UX」「公共財」「全体最適」「モデル無き都市づくり」がキーワードじゃないか?

ナパバレーの例にとどまらず、観光地として優れている都市には、「どんな街にしたいか」という意識が幅広い層に共有されているような気がする。ヨーロッパの美しい町並みなんかも、同様だろう。「この街は、こういう街だ」というのがあるから、それを守ろうとする人が一定数生まれてくる。

日本の「再開発」の大問題が、多分ここ。「自分が儲かればいい」と「他人や立地を利用する」ことしか考えていない感じがする。流れてくるパイは一定で、ゼロサムゲーム、パイを食い合うしかないんだ、という思考から抜け出せていない。

そうじゃない。全員で太い流れを作って、適材適所で自分の取り分を確保する。太い流れを作るために、「街」や「駅前」みたいな空間、あるいはコミュニティを一つの「公共財」と捉えて守る、ブランディングしていく。その街、その空間で「どう楽しんでもらうか」とか「全体から行って、ここの役割は何か」をきちんと参入する全員で組み立てていかないと、訪問した人に満足してもらうことができない。

ナパバレーでは、「農業地区」への指定とこれを守るという取り組みが、それに当たるのだろう。景観を守る、その景観を生かした上で、どんな体験を提供するかをみんなで決める。全員で守って、全員の取り分を底上げする。住民との問題が発生すれば、全員で問題に向き合って解決策を導き出す。これを繰り返すから、ナパバレーの観光産業は無理なく成長し続けていける。

それから、「一つの方向性」を定めたらその一点に向かって、そぐわないものがあれば場合によっては捨てるというのも、「公共財を守るため」という意識があればこそ。全体最適という視点がなければ、「その街の観光体験」がどこかで破綻する。破綻してしまえば、途端に全てがくだらなく思えてくる。これを防ぐには、全員で協力せざるを得ない。

また、一定水準に満たないものも排除される仕組みを自然と構築していかないといけない。中途半端も排除される。抜け駆けも排除される。そして保つ、手入れをする。それが、DMO型の観光には重要なことなんだろうなと。

そして何より大事なのが、「そこにしかないもの」をきちんと見つけてくること。それも「どこかから持ってきたもの」ではなく、「その街やその土地である理由」がきちんとあるものを選べていること。他所を真似ればいいというものではないし、勝手に考えたものを持ってきても長く続かない。やっぱり、温故知新。歴史に基づいて、その土地の本質、街の本質を見極めてそれだけに絞り込むこと。

まるっきり同じ前例、モデルケースがなくても、恐れない。自分たちの街に自信を持って、愛を持って街を守る、公共財を守る。守るためのリソースは、その街の名士や力のある人がやる。この、ノブレスオブリージュがあるかどうか。それもまた、DMO型の観光を考える上では欠かせないんだろう。

本質を捉えて深掘りする縦の動きと、そのメッセージをきちんと伝える横の動き

物語のコアを見つけてくること、UXのコアを定めること。そのコアがぶれていないかを見守ること。裾野まできちんと伝わっているかを監修すること。きちんと伝わるように言葉の選び方にも気をつけること。その辺が多分、仮面ライターのやるべきこと。

どんなコンテンツで、どんなコンセプトで全体最適をかけるのか。地方の街をリファインするか。身勝手にじゃなく、全員の意見を統合しながら、それでも受け手の視点、住む人のことも忘れずに前へ進める、変えていく。そのあたりが、自分のやりたいことのニュアンスに近いんだろうな。

キーワードっぽいものが見えたような気がするので、とりあえずこの話はおしまいということで。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.06.23

2018.04.29

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