『政の哲学』をネタに考えをまとめてみる

2017.09.11

考えをアウトプットしなきゃと思いながら、ついついインプットに力を入れてしまう動きの中、たまたま手に取った書籍がなんとなくきっかけになりそうだったので、これをネタに考えている周辺の話を書いてみる。

この記事は 約 7 分で読めます。

著者藤井 聡
聞き手神谷宗幣
版元青林堂

DMOに関するシンポジウムを見ていたら、たまたま見かけた「日本の未来を考える勉強会」。一連の動画を見たり、著者の他の書籍をいくつか読むうちに、藤井聡氏に抱いた印象はすっかり変わってしまった。あの当時、都構想推進派の思想に染まっていた自分も省みつつ、最近の思考も絡めてアウトプットしてみる。

プラトンの『国家』を主な下敷きに、「政治とは」を語っていく一冊

政(まつりごと)について、ど真ん中の話をしながら、昨今蔓延している問題の根本、概念についても触れている書籍。都構想の時のアレコレに相当な鬱憤は溜まっていそうな語り口も散見されるけれども、まぁ、それはそれでご愛嬌というところ。

「二人いれば始められるもの」が政治

複数で集まってムレを作り、コミュニティの中で暮らしていくとなると、どうしても必要になってくるのが「意見調整」であり、お互いに定めた「ルール(法)」による調停。話し合いで各々の希望を擦り合わせて、時に順番を決めたり、時に折衷案を見出したりして、喧嘩別れを防ぎながら生活を続けていこうというのが、政治の原点。支配体制を構築するために、「暴力装置」を定め、それらによる徴税や裁判を執り行ったり、税金の分配を取り決める知識階級、官僚を置いてコミュニティの運営をしていこうとするのは、もうちょっと複雑な概念、か。その辺りはホッブズの領域、と。

なぜ政治のことに向き合うかといえば、経済も文化も教育も、本来は政治とは切り離せないものだと考えているから。経済は「経世済民」、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」の略語。世の中を上手におさめ、人々を苦しみからすくうのが、「経済」という用語の本来の意味だから、もともと根本は同じもの。表現の仕方というか、担っている部位が異なるだけ。

政治形態が経済にどんな影響を及ぼすかは、『国家はなぜ衰退するのか』が詳しいが、各種の規制や法律、税率が経済に影響することを考えてもらえれば、難しく考える必要はないかと。また、どんな政党が支持されて、どんな商品に価値があると思わせるのか、そこをコントロールするのは教育や文化の担当。そこも政権与党や経済力によってコントロールされやすい、というのも忘れずに見ておきたい。

つまり、「経済」を考えるには、「政治」も見ておかないと問題の根本が分からない。根本が分からないと、何をすべきかを見誤るので、「政治」についてもできるだけ見ていこうというスタンスを取っている。

まぁ、経済も二人以上いれば始められること。やりとりするものや調整するもの、そこで使うものが異なれば、「政治」の範疇なのか「経済」の範疇なのかが変わるだけなので、そう難しい話でもない、か。

真善美を見極められる哲人が、政治を担え

哲学者は真実を知る人間であり、真善美を判断できる理性を備えた人間。権力闘争なんて大っ嫌いな人たちなんだけれども、真実を知る人に支配の地位へ就いてもらう方がいい。真実を知ってしまった責任を負っているから。

その、政治や統治なんて担いたくない哲人に、嫌々でもやってもらうべきというのが、理想の政治体系、なんだとか。好んでやりたがる人、権力の座にしがみつくことだけを考えている人、権力闘争に明け暮れたい人は、できるだけ排除しなきゃいけないということなんだろうなぁ。

経済も、本当は同じな気がする。本当は経営者なんかやりたくない哲人が、経営者の座に就くべきなんじゃないか、と。「哲人」でない人は、理性に欠ける。理性に欠けるために本能や欲望に振り回されてしまえば、「いい経営」は夢のまた夢。自分の利益だけを追いかけてしまって、周りを取り巻くコミュニティが崩壊したって責任なんか取ってくれない。

貨幣経済が発達して、資本主義が当たり前になってしまったから、この傾向は中々歯止めが利かせにくい。資本を持ちさえすれば、一定の権力を有することができる。人を使う資質のない人が経営者になり、自分の利益を追いかけて世の中を私利私欲のままメチャクチャにするというのも、今はそう難しくはないんだろうなぁ。

ニヒリズム x 民主主義 = めっちゃ危険

「神は死んだ」と真善美を否定する、心や道徳のないニヒリストが政治に関与してしまうと、議論が詭弁に塗れてしまう。真善美より、欲望を満たしてくれるイデオロギーに固執する。自分で考えるより、誰かの考え出した「なんとか主義」で動いてしまう。「真善美」という分かりにくいものより、目で見て分かりやすい現世利益に紐付いたイデオロギーを、考えることに慣れていない人は選んでしまう。考えることに慣れていない、理性に欠けた民衆 = 大衆はニヒリストの提言を鵜呑みにして、欲望のままに政治に参加していく。

欲望が支配する、視野狭窄な全体主義にも陥りかねない。目の前の現実を見ず、信じたものしか見ない、信じたものを実現するためなら欲望のままに生きて、世の中をメチャクチャにしても責任を負わない社会がやって来る。

「ナチズム」も、大東亜戦争も、ニヒリズム x 民主主義の結果じゃないかと。ルーズベルトも、スターリンも、恐らくニヒリスト。その二人を支持するに至った大衆、それを見誤った日本の大衆。敗戦後に課されたWGIP、その呪縛が延々と続く現代日本。

経済政策を誤って、年間数万人の自殺者が出る国にしてしまっているのも、大きな戦争の結果、たくさんの死者を生み出したのも、今の特定アジア、中東の事情があるのも、実はニヒリズムや民主主義が暴走した結果。哲人に政治を委ねられず、権力闘争をしたがる「真善美」の分からない人に権力を委ねたからなんじゃなかろうか、と。

経済だって、多分一緒

「真善美」の分からない、欲望に塗れたニヒリストが経済を牛耳る。金の暴力が世の中を支配する。経済のルールや国家、地域のコミュニティが破綻しようと関係なく、己の私利私欲を満たすために動き続ける。結局、拝金主義や日和見主義が生活を覆うようになる。今の日本も、一部を切り取ればそういうシーンが多分見えてくる。

何が「真善美」かを教えない。本来の「宗教」や「祖国」、「愛国心」というものを教えられない。頭はいいけど「道徳のない人」が偽物のエリートとして権力の座についている。これで、丹念に作った「本当にいいもの」が「見栄えのいいもの」に勝てるだろうか? 本当に価値のあるもの、「世のため人のため」も考えられた商売が生き残るだろうか? 甚だ疑問だ。

先人が知恵を尽くし、「真善美」という一つの基準に近づくためにやってきたことを、教育が十分でないために捨てさせられるというのもあり得る話。長い時間をかけて培ってきたものを、ポッと出のイデオロギー(例えば、新自由主義)に持って行かれないように気をつけたいものである。

やっぱり、「哲学」って大事

政治においても、経済においても、本質が何かを見極める努力って、やっぱり不可欠。「なんでそれをやるのか」という理屈の部分、理念の部分、関わる人の想いの部分もきっちり盛り込まれていないと、中身のない器だけが量産されてしまう。やっぱりそれではツマラナイし、そんな政治や経済ではいつか終わりが来てしまう。

そもそも、ホモ・サピエンスがここまで繁栄したのは、「理性」を培ったから。己を律し、相手を思いやり、コミュニティのために動こうとする性質があったから。丸い脳みそで想像する力を持てたから、他の類人猿との戦いに打ち勝った。欲望も持ちながら、欲望に負けることなく理性的に手と手を取り合うから発展してきたのが、今の人類。

これからまだまだ人類が発展していく様を見たいし、自分の生み出すものの価値もきちんと伝えていきたいし、本当に価値のあるものだけを生み出したいし、私利私欲のために弱者を貫く人たちを少しでも変えていければなと思う。思うのだけれども、とてつもなく面倒臭いし、忍耐力がいるんだろうなと思ってしまうと、辟易する自分もいたりする。

哲人政治、哲人経営。せめて、哲学のある商品、想いのこもったビジネスづくり、あるいはその伝達をお手伝いできればとは思うのだけれども、どうなるだろうなぁ……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.09.11

2018.04.30

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