全宇宙規模の揚棄で宇宙が終わる?

2017.09.14

丸っきり根拠のない未来予測もアウトプットしてみる。今回は思いっきり妄想に振り切って、穴だらけの発想をぶち上げてみる。甘々の目で見ていただければ幸い。

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全ての生命は、宇宙を終わらせるために生きている?

これは、以前『私たちはどこから来て、どこへ行くのか: 科学に「いのち」の根源を問う』(森達也著 筑摩書房)を読んだ時からの受け売りに近いのだけれども、「なぜ生命が生まれたのか」や、「なぜ生きるのか」、あるいは「なぜ宇宙が始まったのか」という問いに対する自分なりの答えが標題になる。

もし、宇宙が初めから完全で、答えが定まっていれば「宇宙」という名の実験を始める必要もない。そこに、実験の複雑さに輪をかける生命が生まれる理由なんて、もっと小さくなる。

「いや、そんなもん意味なんてない。ただの偶然だ」という見方ももちろんあるだろうし、「人間原理」を取っ払った方がはるかに真っ当な回答なんだろうけど、やっぱり何らかの「意図」があって始まったんじゃないかという予感はする。実験を始めてみて、全てが終わって手に入る何か、初めて生まれる答えが存在していて、それを期待する何かがいて宇宙が始まり、生命が生まれたのだ、と。たまたま生まれた知的生命体だったり、たまたま観察者をやれる存在になったのだとしても、それぐらいの妄想はしても許されるだろう。

そこから更に妄想を膨らませていくと、生きるというのは、生み出す以上に「破壊する」ことの意味が大きいらしい。色んな資源を使って代謝を繰り返し、環境なり構成資源なりを変化させながら生き永らえる。個体として死んだとしても、全体で見れば宇宙が終わるまでバトンが渡るようにできている。

ただ生きるだけなら、わざわざ死んでしまう生き物にならなくてもいいし、より効率の悪そうな多細胞生物になる必要もないだろうに、一定規模の複雑系が形成されるサイズもいらない。生きる上では不要に思える「意識」や「理性」も得るに至った。「偶然」なんだろうけども、知的生命体が生まれるのも、何度も繰り返せば行き当たる答えなんじゃないかと思えてくる。

なぜ、知性が必要なのか。なぜ、環境に即影響されない群体を個体が持たなければいけなかったのか。それは、ヘーゲルのいう「弁証法」、違う言い方で言えば「守破離」が可能にならないと、宇宙を生み出した「何か」が用をなさないからではないのか、と。

感情のまま、欲望のままに生きないで考えて「否定」をするには知性や想像力が必要になる。型にハマった生き方を「破」り、新しい生き方を見つけるには、生命維持装置を抱えながら環境から離れても死なないコロニーを形成する必要がある。どちらも、否定、破壊を経て「新しいものを生み出す」に至るために必要な要素なんじゃないだろうかと。

そしていつの間にか生命維持装置の規模を大きくしながら、共同体の規模を少しずつ大きくしながら、大きな繋がりが形成できるように変化し続けている。「一つ前の区切り」を中に巻き込みながら、「もう一回り大きな枠組み」を見出す。「複雑系の多細胞生物」から、「家族」や「親戚・婚姻関係」、ムレや村、宗教などを軸にした共同体、土地や民族を区切りにしたクニ、共通の暴力装置や統治機構を土台にした国家、国家同士の国際的な機構。やがて惑星単位、星系単位、銀河や銀河団単位へ大きく広がっていく?

個体の問題解決から、家族単位の問題解決、ムレ、村、国家単位の問題解決へと議論の対象も段々大きく複雑になっていく。参加者が増えれば増えるほど、些細な利害衝突への調整が困難になっていく。それでも、違いを乗り越えてなんとか一つの答えを出してきているのも、人類の知恵。

そしていつか、全宇宙規模の共同体、意思疎通のできるメタ統治機構を構築し、そこに属する知的生命体全員で、同じ課題に向き合っていく時が来る。その時の最終的な回答、全会一致のアウフヘーベンが宇宙を終わらせる答えを出せる。その瞬間まで命をつないだ全生命体が、解脱する? 宇宙という巨大な実験が終わりの時を迎えるのは、きっとそんな瞬間なのかなぁと、とことん妄想を膨らませてみる。

「惑星単位」の安定をクリアしないと外には行けない

本格的に宇宙へ進出していくためには、その内側が安定していないと難しいだろうし、地球の中で全員が同じ方向を向ける状態でないと、さらなる発展は難しい気がする。別に何も、「惑星単位」で考えなくても良くて、「家族単位」とか「企業単位」とか「自治体単位」で考えてみればいい話。構成員がお互いに足を引っ張り合ったり、禍根を残すようなやり取りばっかりを繰り返していれば、全員でスクラムを組んで前に進むというのは難しくなる。

「身体」で考えてみても同じこと。「がん細胞」が生まれてしまえば、「総体」はやがて死ぬ。がん細胞でなくてもいい。「自らを蝕む要因」を抱えていれば、なんらかの形で死を迎える。身体の外側でも、同じこと。みんなで役割分担して、「生きる」とか「成長する」ことだけを考えていればいいのに、誰かの足を引っ張ったり、自分が勝つことだけを考えたりしていると、全体が崩壊もしくは死んでいく。

業界単位や国政単位で見てみても、同じこと。国際単位で見ても、多分変わらない。貧困や嫉妬、恨みつらみを煽ったり、残したりするような施作を取っていれば、協力より先に違う感情なり行動が芽生えてしまう。そんなことにエネルギーや時間を割くのは非常にもったいないなぁと思いつつ、人間が人間である以上、そう簡単に利己心や執着というものを手放すのもまた難しい。

でも、これ以上の発展を望むのであれば、今度こそ人間の根元から良くしていく努力が必要な気がする。良き隣人として接することができるように、寛容な関わり方、個性を殺すことなく、お互いの主義主張を尊重し合う関係性が構築できるようにする。また、基本的にアンフェアより公平を選べるように、また正しいものをきちんと見極めていけるように、きちんと教育を施していく。

嫉妬心を根絶できなくても、ネガティブな感情に引きずられることがないように精神修養をきちんと積ませる。教養と修養とをきっちり高めながら、個々の才能も特性も卑下しないで生かせる社会、仕組みを見出すこと。極端に気を張らなくても仲良くできる世の中、経済的にも皆が不満を抱かない状態を作ることができれば、いつか「惑星単位」での統治機構を作るというのも夢ではなくなるような気がしている。

個人的に哀しいと思うのは、才能や生命の無駄遣い

お互いに協力することができれば、宇宙進出は割とすぐに実現しそうな気がするのだけれども、国際情勢を眺めてみても、自分の近くを見てみても、自己保身なり利己的な人間の行動に満ち溢れているように思える。相手や社会を顧みない人たちのおかげで、貴重な時間や才能が無駄に使われているなと思ってしまう。

競争は必要だろうし、車輪の再発明が無駄だったとしても、技術を習得したり考え方を理解するためには必要だろうけど、それ以下の事情で失われる生命や財産が多すぎる。目先の利益、現世的な利益を追いかけるのも否定はしないけど、その先のこともそろそろ考えませんかと。このまま、「緑色の目をした怪物」に負けて、利己的な欲望のまま突き進めば宇宙へ出ることなく滅ぶ羽目になる。

もしかしたら、本格的に宇宙へ進出していけないのも、宇宙からお客さんが来訪してこないのも、そういった「残念な事情」や「解決の困難な問題」がずーっと横たわっているからかもしれない。「惑星レベルの統治機構」をきっちり作って、惑星レベルの意思統一、理性に基づく議論ができるようにならないと、宇宙には出ていけないんだろうし、向こうから「そこを乗り越えた人たち」が関わってくれることもないんだろうなぁ、と。

宇宙を有意義に終わらせるために、目の前のことに取り組んでいく

争いの目、諍いの目を生み出さないように、少しでも他人を変えていく。他人を変えていくためにどんどん自分を変えていく。自分を変えて、相手を変えて、世間を変える。不健全で浪費に近い争いはなくし、健全で公平な競争が満ちる世の中を目指したい。みんなの力で協力し合える社会、世界に少しでも近づけていけるよう、頭と心と体を使っていきたいなぁと。大きな夢を描きつつ、自分の小ささに打ちひしがれつつ、何ができるのかなと悩んだりする毎日です。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.09.14

2017.09.14

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