哲学者が考えていること、自分がなんとなく考えていること

2017.09.19

息抜きに読んだ本をネタに、筆慣らしのアウトプットを続けてみる。

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『いま世界の哲学者が考えていること』を読んだ

著者岡本 裕一郎
版元ダイヤモンド社

インプット、アウトプットの合間に手に取った一冊。なんとなく、「今の潮流をつかめれば良いかな」という程度で斜め読みしてみたものの、これが意外に自分の考えの経緯と似ていた気がするので、この本の範囲を逸脱しすぎない程度に整理してみる。

哲学の世界に変化が起きている

まぁ、哲学の潮目、科学の潮目というのはいつでも変わっているイメージがあるけれども、近年のサイバネティクス的な発達、コンピュータや解剖学、バイオテクノロジー的な発達もあって、今までは禅問答に近かった「私とは何か」とか「人間とは何か」とか「ヒトはなぜ特別なのか」みたいな疑問に対して、ある程度割り切った答え、科学的な答えがもたらされるようになってきた。

脳の正体、夢の正体、神経伝達の正体、感覚器官の認識や認知の正体が明らかになりつつあったり、進化の歴史が軟らかい組織や遺伝子といった方向からもアプローチができるようになってきて、ヒトという生き物の成り立ち、その構造が相当明確になってきている、ように思う。

また、哲学が生み出してきた「考え方の技術」も洗練されてきて、だんだん「命題そのもの」や「問題そのもの」から「それの意味するもの」や「言語」に軸足が移り始めているようにも思える。それは、本書で指摘されるまでもなく、ヘーゲルやハイデガー辺りを大掴みに読んでいっても「そうなんだろうな」という雰囲気は見て取れた。

改めて、本書の中から気になった部分を取り上げてみる。

「絶対的な真理はどこにも存在しない」、というポストモダン

探し続ければどこかに、絶対的な真理があるという風潮や、神は必ず存在するというプレモダンな世界から、「所詮ただの言語ゲームにすぎない」という転換を迎えることになる。道徳と言いながら、目に見える条文化された法律の言い換えにすぎない、目に見えるものがすべて、数式ができるものがすべて、言い換えできないものであっても言語化できるという風潮が起こるのも理解できなくはない。

いわゆる「神は死んだ」とか「ニヒリズム」、結局は何もないんだという虚無主義も、ポストモダンな現象なのかなぁというところ。言語や科学というものが広がってしまったために、浅いところへの理解しか持てない人たちにはどうしてもそう見えてしまうのだろう。それは致し方のないこと。その限りではないんだよ、という雰囲気を個人的には感じているのだけれども、果たして賛同が得られるかどうかが今後の課題。

絶対的なものから、あくまでも相対的なものへ。小さな物語の中での真理、区切られた言語ゲーム内での真理は存在するけれども、正しさは多数派の解釈にすぎないという見方も、理解しなくはない。でも、個人的には引っかかりも感じてしまう。

次なる3つのポイント

意識から言語へ向かったのだから、言語から心の哲学へ向かおうとする、「自然主義的転回」。認知科学、農家学、情報科学といった自然科学の範疇で心を捉えようという流れが1つ。

言葉は発するだけではなく、伝える媒介が存在しているではないかとコミュニケーションに関する技術やメディアを考える「メディア・技術論的転回」。

上記2つとは別のジャンル。明確にポストモダン以後を打ち立てている「実在論的転回」。思考から独立した存在を考える、そうだけれどもなかなか難しい表現。科学的、物理的な対象だけでなく心の中にあるものも対象に含んで、その存在を考えていくことらしい。空想も含むということだから、理解できなくはない、か。

「仮面ライター」として対象としたいのは、「仮面」、つまり「人とは何か」、「ペルソナとは何か」、「ペルソナを表現するとは」とか、「それをどうやって伝えていくのか」という何段階かに分けた技術の話、スキルの話も含まれていく。空想も含んだ哲学となれば、案外3つの潮流を変則的な角度からまとめて握りしめているような気もしてくる。

心と伝える技術やメディアを考える、というのは本当にど真ん中

心とは何か、人間という生き物はどういう存在かを把握しながら、空想をでっち上げる、フィクションを作り上げようと画策している。また、いかにしてメディアを作っていくか、「IT」を含めたスキルはどう使えばいいのか、今後どういう方向に向かっていくのかも、一応考えてはいる。いかにコミュニケーションするか、いかに遊びを持ち込むかを、「大阪電気通信大学」でわざわざ学んだのも、なんとなくそこに向かっていたような気がしてくる。

言葉を使ってコミュニケーションする。インタラクティブに、媒体を介してやりとりする。人間の知覚を推測しながら、他の解釈もあり得るという前提で物事を組み立てていく。結局、色んな人と絡みながら考えていくのは、「コミュニケーション」ということになる。自分自身はその中でも、技術的な部分とか、データサイエンス的な部分ではなく、より職人芸の要求される領域を主にしようとしている。

コミュニケーションのスキル、言葉(の明示と暗示の両方)を駆使するスキル、心を伝えようとするスキル、新しい世界観、思考から独立した存在を空想するスキル。言葉になっていないもの、よく見えないもの、心の奥底にある感情を見つめて引っ張りだすような領域で、上手くやれるように努力しようとしている。

いやぁ、かなり怪しい領域。精神的なところに手を突っ込みながら、意識と無意識の間をいくような話。スピリチュアルな雰囲気もするし、気が狂うか否かの瀬戸際な雰囲気もするし。よっぽど繊細に、でも力強くアウトプットしなきゃいけない部分だとも思うし、自分で思ってる以上に大変なところへ手をつけてしまったのかもしれない。

心を磨き、精神を磨き、感性と技術を磨いて、理系的な頭で文系的な才能を使っていかなきゃいけない気がする。大変なんだろうけど、やりきらなきゃなぁというところで、とりあえずお開き。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.09.19

2018.04.30

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