民族、宗教、歴史という原点回帰。冷静かつ寛容に見極めたい

2017.09.20

日本の近くで緊張が高まっているからという訳ではなく、何気なく読んだ本もネタに、筆慣らし的なアウトプットをしていこうかと。今のアジア、ユーラシアに繋がりそうな原点を、大掴みに眺めてみた。

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「太平洋戦争」はやらなくてよかった

今の日本や日本を取り巻く状況を作り上げた要因の一つは、太平洋戦争であり、その後のGHQによる占領。ほぼ洗脳に近い「WGIP」、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)で去勢されたまま70数年過ごしてきたのは中々痛い。米国側が反共の砦にすることを優先し、経済的な復興を最優先にさせてくれたのは良かったのだろうけど、さすがにもう十分だ。本来、自分たちで担わなければいけなかった防衛を米国に丸投げしてきたのも、そろそろ見直さなきゃいけない。

何より問題だと思うのは、自虐史観というよりは特定アジアへの服従に近い姿勢。歴史を鑑みても、現在の国力を鑑みても、どちらが優位不利ということはない。あくまでもイーブン、対等な立場で向き合えばいいはずなのに、WGIPの影響か、その庇護で大きくなった国内勢力のおかげで日本サイドが低くならざるを得なくなっている。

そういう一切合切を振り払えればいいのだけれども、教育の根本やら情報の根本やらを牛耳られたままでは中々難しい。まぁ、そんな状態で日本をほったらかしにしたために、米国の軍人や韓国の軍人が生死を問われるかもしれない、というのも皮肉といえば皮肉。

歴史に「if」はないとはいえ、米国の挑発に乗らず、その裏に控えるスターリンにきちんと備えて「太平洋戦争」を回避できていれば、今の日本はなかっただろうし、アジアやユーラシアにここまで共産主義が広がることもなかっただろうし、米国頼みの国際社会になることもなかったように思う。国内の問題もある、相手方の問題もある。必然だったとも思いつつ、人命や財産を軽視する施策はやはり取るべきではないと思う。

「民族」や「宗教」の時代に戻りつつある?

ブレグジットやロシアの動きを取り上げるまでもなく、どうも最近の国際情勢を見ていると、「国家とは何か」とか「経済とは何か」といった根本の部分に対する問いが出てきている気がする。「何を持って区切りを引くのか」や「何を守って、何を捨てるのか」を色んなところで考え始めているように思えてならない。

血を流しながらでも、国の形を変えようという人たちがいるし、人道的に訴えかけて保護や独立を目指す人たちもいる。テロリズム的な暴力でなんとかしようとする勢力もいる。

19世紀や20世紀の帝国主義や列強が定めた線が移動し始め、21世紀型の新帝国主義も勃興し始めたり。拡大してきたところは縮小に向かったり、縮小したところは拡大に向かったり。その動きの基準や軸を「民族」や「宗教」において、「自分たちのアイデンティティとは何か」に改めて向き合っている人たちも出てきているように思える。

手と手を取り合って、融和していけるとも思っていたし、技術や経済の発達で世界が狭くなってきたと思っていたのに、ここに来て前時代的に用語が出てくるとは夢にも思わなかった。でも、これは恐らく日本人的な感覚なんだろうな、とも。それも、本州に住む日本人の感覚。沖縄や北海道といった地域だと少し事情が異なる気がする。

海外から来て政治活動をしている人たちもいる地域だろうし、海外から資本だけ伸びてきて土地や水源を取られている地域もあるだろうし。改めて、日本とは何か、日本人とは何かも問わざるを得ないのかもしれない。

権力を握りたいだけの人に、力を持たせてはいけない

学のない人や、教養のない人、道徳的な土台がない人に、権力を握らせて政治屋をやらせてしまうと多くの人が死ぬ。フランクリン・ルーズベルトしかり、スターリンしかり、ヒトラーしかり、毛沢東しかり。何が大事かを見極める目も持たず、何が現実かを見る目も持たず、人の命や才能を大事にできない、中身のない人たちに国の舵取りを任せると、本当に悲劇的なことが起こりうる。

だからといって、勉強のできるエリートが全てだと言うつもりはない。勉強ができても、人間ができていない人に権力を持たせるとやはり暴走しがち。視野狭窄に陥りやすいし、専門バカになると寛容さもなくなる。多様性を認めろと口ではいうものの、心の底からそれを実行することはできない人に、何かをやらせるというのは本当に危ない。

保身に走るやつ、権力闘争をしたいだけのやつ、他人に敬意を抱けないやつ、道徳心に欠けるやつは、人の上に立たせてはいけない。どんな人に権力を握らせてはいけないのか、見極める目と感性とを大衆に持たせるのも、重要なミッションなんだろうな、とも。民主主義だとポピュリズムに走り、見極められない大衆のおかげで多くの人が死に、また今も危機に瀕している。

やはり、教育は重要だ。頭の教育も、心の教育もしっかりやっていった上で、冷静に目の前の物事に対処できる力を、個人としても集団としても身につけていかないと、社会も世界も自分の生活も良くならないんだろうな、と本当に思う。

本当に軍事オプションがベストなのか

朝鮮半島の有事にも言えることだけれども、軍事オプションは本当に「最後の手段」で「限定的」に活用しないと大きな悲劇を招く気がする。「酒を酌み交わして話し合えばいい」とかお花畑なことを言うつもりはないが、「悪政」というのは力だけでは対処できない。軍事施設を破壊して、ミサイルや核弾頭をはじめとする武器製造能力を一時的に奪ったところで、国民や政治体制が何も変わらなければ、元の木阿弥というのは難しくない。

ここで考えなきゃいけないのは、征夷大将軍である坂上田村麻呂が何をやったか。戦って蝦夷を倒したのではなく、経済的に支援して懐柔策を採ったから、平定することができた。ソ連が崩壊したのも、民衆に対する経済的な揺さぶりが効いたのではないかと。佐藤優氏の『日露外交』を読む限り、北方領土も、段階的な懐柔策を進めていけば解決できそうな気がする。

北朝鮮の今の政治体制を維持するより、別の選択肢をとったほうが暮らしが良くなる、幸せになれるというのを伝えていく、見せていくというのをやった方が、軍事的にも人道的にもいいように思える。

戦えば多くの人が死ぬ。今の経済政策でも、北朝鮮の一般市民は苦しめられる。もちろん締め上げるべきは締め上げなきゃいけないだろうけど、敵の牙を抜くには戦うだけがベストな選択肢ではない、というのも頭の片隅に入れておかないといけない気がする。強さばかりが全てではない、柔らかく武装解除を狙うのも、一つの策ではないだろうか。

その辺りが上手だったのは、実は旧日本軍? 当時の欧米列強のやった植民地支配とは違う対等な解放。経済的な自立を支援し、平和裡に友好関係を築いていく。警察行為としての暴力は持ち込んだとしても、力での屈服や上からの圧力ではない支配が出来た日本軍のやり方を、今回の北朝鮮にも向けた方がいいように思える。

敵対的な感情を向けられ続けるよりは、経済的に力を持った友好国になってもらえる方がよっぽど建設的だし、カルト的な要素が国内的にも国際的にも減るというのはいいことだとも思うし。「やっぱり日本とは仲良くした方がいい」と他の特定アジアの国にも分かってもらえれば、色々変化が起きる気もするしね。

「答えはこれしかない」と飛びつかず、柔軟な発想で冷静に答えを導き出して欲しいなと、本当に思う。いがみ合いの要素を減らして、平和に、公平に競争する世の中にしていきたいなぁ……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.09.20

2017.09.20

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