情報の洪水がニュータイプを生み出す気がする

2017.09.21

突拍子もないブログを何点かアウトプットしてみる。ニュータイプといえば、ガンダムで有名になったあの概念なんだけど、最近の生活者の変化に、ある種似たような匂いを感じるような気がするので、その辺りをテーマにラフに出してみる。

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洞察力に優れているのが、「ニュータイプ」?

『機動戦士ガンダム』で人気の概念なんだけれども、シリーズや作り手、受け手によって解釈が異なるのもニュータイプの魅力。でも、幅がありすぎると話の着地点も見えにくくなるのでひとまず、「洞察力に優れている」人のことをここではニュータイプと呼称したい。

機動戦士ガンダムでは、宇宙という生活圏を手に入れて、精神的にも肉体的にも認識力や理解力を広げていった果てに生まれる存在、みたいなんだけれども、案外このニュータイプっぽい人がすでにチラホラ現れている気がする。

インターネットやSNSも広大な生活圏?

この20年でバーチャルや電脳的な広がりとはいえ、生活圏が一つ加わった。特に、FacebookやTwitterが登場してからはそのバーチャルな世界の中がさらに狭くなり、物理的な行き来以上に言葉や情報の行き来が格段に増えていった。

SNSが普及するまで、あるいは動画サイトやニュースサイトが拡大するまでは、多少増えたとしてもたかが知れていた気がするけれども、手軽な情報受発信の手段を人が手に入れてからは、情報を浴びる量が段違いに増えているように思う。

その結果、言葉や情報に対する感度というか、行間や背景事情を察知する能力を高めつつある人たちも生み出されつつあるように思える。この人たちに、広告の匂いがするものを見せてみても、詐欺や偽の情報をぶら下げてみても簡単にガードを下ろしてもらうことは難しく、鋭敏なセンサーをかいくぐって手練手管を練ってしまうとますます相手は感覚を研ぎ澄ませるようになっていく。いい表現ではないものの、「いたちごっこ」が近い表現だろうか。

大量の情報を投げつけてみたり、あるいは巧みに下心を隠して近づいてみたりしても、どこかでスッと身を引く人たち。「編集」や「加工」を厭って、リアルタイムでの動画配信や加工の少ない写真投稿に目を向ける人たちも、一種のニュータイプなんだろうなとも思えてしまう。

インターネットやSNSが認識力の拡大につながっている?

インターネットやSNSのおかげで、言葉をやりとりする頻度は増えた。特に、SNSのおかげで受発信の双方向が増大した。メールのやりとりやブログのやりとりだけでは足りなかった部分が格段に伸び、感情の乗った言葉や自分の思想を織り交ぜるような文章を発信するというのが簡単になっていった。受け取るのも、難しいことではない。向こうから勝手に押し流されてきて、文字通り「浴びるように」情報をぶつけられていく。

情報、言葉や写真、動画というのは、心や頭の中が身体に出たものとも言える。逆に言うと、心や思考、あるいは感情の断片が言葉をはじめとする情報になり得る。ということは、インターネット等で拡大した情報のやりとりは、心の動き、精神的な活動のやりとりを増やしたとも言えるのではないか。心か頭か、感情か思考かといった違いはあるものの、自分の断片を相手に投げ、相手の断片を受け取るというのを繰り返していけば、「勘のいい人」はそういった要素の周辺情報だって汲み取れるようになっていてもおかしくないんじゃないかと、と。

トンデモな話をしているのは分かっているんだけど

情報の取捨選択力、リテラシーみたいな話でしょ、ということもできる。フェイクかどうかや詐欺かどうかを判断するには、知識や教養があればなんとかなるケースもある。言語表現や言語以外の表現で描かれていない部分、影や行間にあたる部分も汲み取るというのも、なんら新しい能力ではないんだけれども、そういう能力は割と限定された一部の人しか持っていないイメージがあった。

でも、最近はどうもそれとは少し毛色の違う感性を持った人たちが、似て非なる能力を獲得し始めている、ように思えてならない。広告の伝え方だったり、広報担当の表現力の欠如だったり、そういった要素はあるものの、あまりにも伝わらない感じがするのは、受け取り手の変化、特に若年層で情報の受け止め方に変化が起こっているからではないか、とぶっ飛びの仮説を立ててみる。とはいえ、「どうやって検証するのか」と言われても困るのだけれども……。

自分たちの生活圏を大幅に超えたところで、情報に対する認識が変わってきたり、情報に対する洞察力が伸びてくるというのは、そうありえない話でもないとも思うし、受け取る一方で発信する方にもそういう方面の能力を伸ばしている人がいるかもしれない。デジタルネイティブ、いやもっと若い世代の感覚だと、もっともっと普遍的な感じで世界の見え方が変わっているのかもしれない。

大量に情報を流せば、受け取る側のニュータイプ化が進む?

もし、情報量で生活者に何かをアピールしようとしているなら、たぶんやめた方がいい。なんらかの商売っ気や下心を秘めたアプローチというのも、鋭敏に酌み取られるかもしれない。決してクオリティが高いとはいえない編集の甘いコンテンツに若い世代が群がるのも、もしかしたらそういう言外の情報を察知しているからかもしれないし。

小手先のテクニックに走れば走るほど、相手もどんどん鋭敏になっていく。目先の表現や小賢しいやりとりで相手を屈服させようなんて考えない方がいい気がする。素直に真正面からニュータイプと向き合った方が、無駄がないんじゃないかと思う今日この頃。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.09.21

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