個人の心の問題も、決して小さくない気がする

2017.09.22

岡田尊司氏の著書、『母という病』、『父という病』、『パーソナリティ障害』他から始まった、臨床心理や心の問題に関する乱読。経済事情の変化も絡む、個人の問題、家庭の問題が案外、社会の問題と絡み合っているような気がするなぁと、アウトプットしてみる。

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心に課題を持つ大人が、沢山いるらしい

心理学の専門家でもないのだけれども、多分我が家も『母という病』に罹患していた家庭。極めて軽度で決して毒っぷりを感じさせるような要素はなかったけれども、振り返ってみれば、母系に受け継がれていく「陰鬱な雰囲気」みたいなものは何処かにあったような気はする。

『父という病』で描かれるほど重度な症状はなかったけれども、「父親なき家庭」に近い空気も間違いなくあった。実父の代わりに父親をやろうとした人も、多分「母という病」や「父という病」を患っていた、心に課題を抱えた人だったんだろうなと今は思える。それでも、和やかに相手をするほど大人でもないんだけどね。

自分自身、そういう家庭でそういう過程を経て育ってきた。非行に走ったりグレることもないし、極端に頭のおかしい人になったとも思わないけれども、どこかいびつな気がするのは「一連の賜物」なんだろうなと。その結果かどうか、本当にそういう症状を抱えているのかも定かでない素人の生兵法なんだけれども、どこかに自己無価値感を抱えているのは、自己愛性バーソナリティ障害の匂いは感じる。他に怪しいところでいくと、回避性と強迫性。特に回避性は付録のテストでも怪しい数字が出ていた。

自己評価と他者からの評価に、少々大きめの乖離が生じている? 特に、「見せかけの自己評価」と「本当に思っている自己評価」とは絶対に一致していない。思春期の頭から大学を出るまで作っていたカバーストーリー、良い子の仮面の反動だとは思うけれども、もう治せない。

片親になる事情は色々あるだろうし、離婚に至る事情も様々だろうし、全ての離婚再婚や養子縁組が悪いということもないのだけれども、そういう過程に育ってしまうと、どうしても真っ直ぐには育ちにくい。順当にまっすぐ育ったとしても、劣等感だったり利己心というのは大きくなるだろうに、歪んで育った人だとより一層そういったネガティブな要素を握りしめやすくなる。各家庭の毒っぷり、母という病、父という病、それからその背後にある経済的な要因の重大さでどの程度になるかも変わってくるだろうけど、案外ここが無視しにくくなってくる。成人後のメンタルヘルスにも影響しそうな気もするし、目に見えない問題なんだけれども、本当に小さくない問題だと思っている。

「心に課題を持つ人」はパッと見には優秀に見えたりする

それこそ、本当の自己愛性パーソナリティ障害の人たちの中に、とんでもない天才がいてたりする。歴代母系に受け継がれてきた「母という病」に侵された天才もいるようだし、「父という病」にかかっていた人や過程の中にも、優秀な人物は存在している。一種のハンディになるからか、父や母に「見て欲しい」という気持ちが働くからか、「良い子でいよう」と自分で思うからか、その要因は絞り切れないけれども、一定の範囲内や環境では問題を感じさせないレベルに優秀な人、というのはゴロゴロ存在している。

人の気持ちというか、入念に隠した機微にまで敏感だったり、脅しに近い駆け引きや黒に近い手段を選ぶのも得意だったり、心に課題を抱えているからこそ、心や感情に由来する領域のことが他人より上手になったりするんだろうか。自分自身も完璧にそうだとは言わないけれども、感性やスキルの由来を考えると、幾らかはそういう病の結果なんだろうなと思わなくもない。

で、そういう人が優秀だったりすると、昇進していくこともある。問題が起こるのは、昇進していったり、社内政治にのめり込んだり、力を誇示したくなる立場を手に入れた時。その瞬間、今まで問題になっていなかった部位が火を吹き始めたりする。

心に課題を抱えた人は、手離すことを恐れるような気がする

心に課題を抱えた人が社長なり、部長なり、決裁権なり議決権を持ったポストに就いたとする。その人の立場を揺るがすような案を会議なり企画なりで提案すると、心に抱えた課題をある程度克服できている人でない限り、まず間違いなく叩き潰される。愛着問題を穴埋めするように、代わりに手に入れた目に見えるものは、簡単に手離そうとしないのがこの人たちだから。

もし、これが一人なら他の人と協力すればなんとか懐柔できるだろうけど、誰の言うことも聞かないワンマン社長が該当する人物だったり、社内に似たような人が何人もいて、微動だにしない門番みたいな人が何重にも重なっている組織だと、まず間違いなく変革なんて通らない。自分たちの優秀さを振りかざして、下から這い上がってくる危険な目はどんどん積んでいって、組織全体を滅ぼしていく。

これが、一組織に影響が止まる状態ならいいものの、業界の一部や行政の一部、あるいは国政の一部にまで及んでいたらどうなるか、考えるだけで恐ろしい。

もちろん、「そういう人たちが悪い」ということではない

本当の問題は、そういう問題を抱えた人たちに対してきちんと向き合っていくこと。母という病、父という病。それから、そういった問題を誘発しやすい経済的な事情に対して、全面的に対処していくことが必要似なってくると考えている。とはいえ、基本的には心理カウンセラーとか職業カウンセラーの仕事だろうから、素人が簡単に踏み入っていい問題ではないと思うものの、問題がありそうな人物に対して簡単に判断を下すのではなく、「心にも問題があるかもしれない」と向き合う姿勢ぐらいは持ってみてもいいのかなと。

もちろん、勝手に診断を下してもいけないし、素人が治療めいたことをするのもいけないことだし、先走ってあれこれするのは逆効果になる。厳密な答えは専門家に委ねるべきだし、そこへ誘導するべきなんだけれども、だからと言って「あの人はこうだから」と結論を出すよりは「なんでだろうな」と考えるぐらいは素人がやったっていいんじゃないか、と思っている。

まぁ、似たような育ち方をしてきた人なら、感情のスイッチが切り替わる瞬間とか、何にこだわっているかを見れば専門家に頼らなくても、ピンと来る。育ち方に問題があるのか、性格に問題があるのか、あるいは両方か、全く別の問題か。じっくり話してみても話が通じないのなら、話の中身や論点の問題じゃない可能性が高いと分かるはず。

心に課題を抱えた人ならではの得意なこともあるだろうし、長所もある。メンタル的にへたりやすい人は付き合うのにしんどいことがあるけれども。人の機微や、見えないものに対する感度というのは普通に育ってきた人たちよりは、たぶん敏感だろうから、そういう仕事を頼んでみるというのも手だとは思う。

過度な劣等感とか、過度な自己保身を取り除ければ幸い

自己保身は適度でも邪魔でしかないと思うけれど、劣等感なら程々であれば成長するためのいい材料になるだろうから、否定はしない。でも、行き過ぎれば自分だけでなく他人や社会を傷つけることにつながる。もしそれが、「母という病」や「父という病」に起因しているものだとすれば、そこに対するケアや根回しもできる範囲でやっていって、少しでも誰かが傷つく可能性を減らしていければと思う。

誰も幸せにならない感情の奔流とか、他人の不幸の上に成り立つ幸せとか、そんなのを一つでも減らしたい。その先に、自分の理想とする幸せが待っているとも思うし。他人のことにかまっている余裕なんてないはずだし、自分の幸せ、自分を守ることが最優先だとは思うけれども、その外側にちょっとだけおせっかいなことをしていけば、世の中が良くなる速度が早まったりしないだろうかと、お人好し極まりない希望的観測をしていたりする。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.09.22

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