vol.0 風呂敷を広げる前に

2019.06.09

肚をくくって動き出す前に、毎度毎度、直前まで考えていたことを整理して、以降のシナリオのごとくまとめていかないとスムーズに動けないクセ(?)があるので、今回もその工程に入っていく。本来なら、二、三ヶ月前には終わっていそうな工程なんだけど、遅らせた分多様なインプットを経て多少のブラッシュアップはかかっていると思うので、気負わずに吐き出していきたい。

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動く前に立ち止まる時間と、動き出すための儀式が欠かせない

自分でもものすごく面倒くさいクセというか、習性を今から時間をかけてやっていく。何よりスピードを求められるこのご時世に、凄まじくのんびりだと自分でも思うし、立ち止まって考えすぎてみて、インプットしすぎてみて自分の中で練り上げまくった思考をアウトプットする、多少は読めるものとして、意味のあるものとして小分けにしてまとめていくのも相当面倒臭い。
でも、ここをきっちりやらないと今後の動きに支障が出るというか、きちんとした動き、積み重ねに入っていけないので、自分のためにも周りのためにも、手間も暇もアホほどかけてやっていこうと思う。

テンポよくブログを更新しなくなる時は、大抵考えすぎているか、アウトプットがまとまらずに先送りしている時期なので、書き始めるのにも静止摩擦係数がかかっていて億劫になるんだけど、ここを超えなきゃ次には進めないので、いい加減に肚をくくって前に進めよう

動くための考えを開陳する、前にエピソードゼロを。
急に大きなものを掲げても受け止めてもらえないだろうから

今回の意見陳述、「こう考えてます」は割と大きな構え、大きなフレーズが出がちな気がするので、それを飲み込んでもらうには、前提となるものをその前に置いておかないと、主張なりが弱くなるというか、建て付けがもろくなるというか、考えのきっかけ、基本的な方向性とかも整理しておかないと、(受け取ってくれる人がいる場合)受け取る側の準備が間に合わないように思うので、衝撃緩和のため、受け入れる余地を作って置いてもらうために、今回の記事を活用しようと思う。

と、事前に色々飲み込んでもらうために書いているはずなのに、すでに700字ぐらい使っちゃってて、並みのブログなら店じまいしてても良さそうな文字数で、まだまだ序の口ですみません。そろそろ本題、本筋に入って行きましょう。

「未来」とか「変化」とか「自由」とか「前人未踏」とか掲げがち

今回改めて伝えておきたいのは、上記の傾向。その背景にあるものをいくつか書き添えて、なんでそれを掲げがちになるのかをふわっとでも飲み込んで置いていただけると、次回以降の記事も引っかからずに飲み込んでいただきやすい気がするので、まずはそれが少しでも伝わるようにお伝えしていこうかと。

理由1.幼少期から身体的なスペックが高くない

無理が効かない。臨機応変、機敏な対応、柔軟に合わせる能力に乏しい。

もう十分な大人だけれども、病弱な身体を鍛えることなく今に至れば、総合的な体力、運動能力が高くなるはずもなく。簡単に風邪をひいたり大病を患うということはなくなったものの、いわゆる「頑張る」とか「無理をする」に対する耐久力は高くない。
他の人と同じように起用されても、使う側の想定以下しか稼働できないので、自分以外に支持されても「いい動き」は中々取れない。

おまけに、マイペース以外で動けば動くほど安定稼働から外れていくため、急に大きく崩れる可能性もある。マイペースに動くには、「自由」は自分にも相手にとっても、都合がいい。

理由2.異常なビビリと、高くなりがちな集中力

注意力<集中力、想像力。安定した環境でないと動きが鈍りがち。

身体スペックが高くないのに、草食動物的な視野の広い注意力には乏しく、「変わったもの」や「危ないもの」、「気になるもの」が視界に入ると、そちらに集中して観察してしまったり、その先を想像してしまったり。「感じて動く」がそれほどスムーズに働かない。これも、幼少期も、今も大して変わらない。

横から指示されても、すっと動けない一因にもなっている? 自分の頭で一回考える、納得するなり答えを出すなりしないと動けなかったり、動くにしてもその先がどうなるかの予想がネガティブ(動く時間に対するリターンが自分にとってプラスでない)なら、動かないこともあったり、ある程度安定している状態、安全な環境の中で、自分起点で動けるかどうかは重要になっている。

ただ、「自分の半径xメートル以内」や「自分で制御できる範囲の過去未来」を超える範囲であれば、「予測不可能」はマイナスに働かない。自分がコントロールできるか否か、他の人にも完全に制御できるか否かが境目なのか、「分からないこと」にはそこまで怖いと思えない。
その辺が絡まり合って(?)、第三者が横槍を入れにくそう(=マイペースに動けそう)な「前人未踏」や、誰の指示も役に立たなさそうな「未来」は歓迎したいフレーズになっている。

理由3.真ん中っ子 x 転勤族 x 文化系

(無)意識的に拾ってしまう情報が過多。孤独も欲しい

子どもの頃に培ったのは、感情や思考、人間関係を(無)意識的に察知したり、推測したりする技術。特に「その人が見ていないもの、考えていない部分(=穴)」を予測するスキルは、多少高められている気がする。スポーツ少年とは程遠い幼少期、物書きを考え始めた思春期から、物語性の強いゲームだったり、小説やら映画やらもインプットしていくと、そこら辺はより一層磨きがかかってたんじゃないかと、勝手に考える。

注意力より高い集中力、感じところから想像力を働かせるところにも繋がるんじゃないかと思うけど、現実の小さな断片から大きな想像の世界を拡げがちだったり、目の前の人がどう感じているかとか、何を欲しているかとか、その場の空気や醸されている雰囲気にも、意識的や無意識的を問わず気を張っていたり。気力というか、精神的な何かはそこそこ消耗しやすい性質な気がする。

精神的なものもある程度ニュートラルを保っていないと、すぐ悪い方に囚われてしまったり、些細なことに気を取られて身動きが取れなくなることもあるので、時々というか、そこそこ頻繁に「一人になる」時間を作って、「自分」へ戻していく必要がある。
誰かといる時も、コミュニケーションが増えすぎると気疲れが加速するので、指示でなくても動いている時に声をかけられすぎるのは得意でなかったりする。

よって、出来得るならば、マイペースに一人で黙々と積み上げる、一つの目標へ向かって進むだけでいいようなプロジェクトに身を置いた方が、自分の持っているスキルや持ち味を発揮しやすいのではないか、と。そうなると、ゴールが分からない「未来」や「前人未踏」、孤立してスタンドプレーをしても良さそうな「自由」というフレーズがとても魅力的になってくる。

理由4.持たざる者なりに勝ちたい、居場所を確保したい

弱いまま、変化で一点突破。埋没はしたくない

物凄い才能もないし、太い実家やセレブリティ、「いわゆる人脈」も有していない。おまけに、何の価値ももたらさないのに、「人と同じこと」をやろうと思っても、変な変換装置がついていて自分独自のアウトプットが返りがち。訓練を積んで矯正してみても、感覚や考え方がズレているからか、「見たまま」とか「教わったまま」とかが上手にできない。

これで体力があったり、人の言うことをそのままやれる、できるようになるまで時間をかけられる忍耐力があれば、まだマシだったんだけど、そういうのも「なんとなくイヤ」でワガママを貫き切るなら、「変化」や「変える」は守るべき戦略だよね。
「同じやり方」では勝てるはずもないし、先行者を追い抜くこともできないし、リソースでもいつか競り負けるのなら、屁理屈でもなんでもいいから、「自分が勝てる領域ややり方」をひねり出して、そこにこだわり抜く、それを認めてもらうだけのことを考えたいところ。

おまけに、その行動を無駄にしたくないと言うか、無駄になるなら「予測」の段階で手を出していないから、ウィークポイントが減らせるように、長持ちするやり方を選んで積み重ねていきたくもなる。そうするとやっぱり、「大きな変化」が居場所を作る上でも有効な手段なんじゃないかと思ってしまう。

周囲から潰されにくい「変化」を「自由」に選び、受け入れられやすい「変化」を考えるなら、(何を選ぶにせよ、なんだか分からないにせよ)「未来」を選ぶ。自分でイニシアチブをとりながらマイペースにコツコツなら、「前人未踏」だとやりやすい。誰もやったことがなかったり、誰も手を出さないことであれば、指示も横槍も口も手も出してこない。

見えないものを形にするなら、コミュニケーションの手前に「黙々と作業する時間」がある程度挟まるし、「未来」をひねり出そうと思うと、孤独に試行錯誤、あるいはスキルや思考を磨く時間も必要だろうし。「誰かの後追い」や「マイペースでない頑張り」に対する忍耐はできないけど、「自分しかやらなさそうな、厄介な取り組み」とか「マイペースにコツコツ」なら集中力を発揮して、ひたすらやり続ける、終わるまで耐え抜くことはできてしまう、ように思う。

特別じゃない弱さを貫いて、ワガママにいきたい

他の生き方、ポリシーとも、共存共栄できる頑固さでいたい。

「自分さえ良ければ、それで良い」と思えるなら、もっと気楽だった気もするけど、他に生活している人がいることや、今までの社会を成り立たせてくれている方の毎日も大事にしたいし、なんなら感謝も表すべき立場だから、このワガママな生き方、ヘンな頑固さは、誰にも押し付けずに居場所を確保できたらなと思う。

「今」とか「多数派」とかがどうにもしっくり来ない「弱い奴」、「ありふれた特別じゃないその他大勢」が、頑固なまま生きるなら、「新しい変化」を目指す、作り出すことに取り組むのが順当なんじゃない? だから、「変化」や「未来」やら「自由」やらをたいそうに掲げながら、そこを必死に守りながら、ああだこうだと述べながら、自らのダメさ具合と向き合いつつ、何度も何度も仕切り直して動くしかないんだろうなぁ、と。

いい加減に肚を決めて、気合いを入れ直して、改めて動き出さなきゃなというところで、この記事は終わりにします。いやぁ、長いっ!

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.06.09

2019.06.09

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