Vol.2 「未来」という言葉に求めたいもの

2019.06.14

本格的な話題に入る前に、「自由」の話をしたのでもう一つのキーワード、「未来」の方も整理しておきたい。これまでにも何度か触れてきたように思う話題だけれども、2019年後半に向けたイメージ、ニュアンスなどをここで改めて整理しておこう。

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単なる時間軸の先にあるもの、は求めていない

「今から想像つくもの」や「予定されているもの」は含めたくない

誰かの頭の中に組み立てられてしまったものや、計画として紙や計画に落とし込まれたもの、すでにプロジェクトとして動き始めているものは、「まだ出来上がっていないだけ」であって、未来ではなく「ほぼ現在」。あるいは、「過去の見聞きしたことがあるものの親戚」にすぎない。

革新性、イノベーションの度合いがどれほど高いかは個々の案件それぞれだろうけど、その大小は問題じゃない。個人的に引っかかるポイントがあるとすれば、事業やサービスとして「ある程度勝算が立つ、計算ができる」こと。リスクの予測、リターンの算出、どんなブレがあるかまで未来予測されて、計画した人の制御下、想像力の下に置かれてしまっては、「その人の未来」ではあっても、「自分が求める未来」とは少しズレる。

「未来」には、とことん予測不能、とことん制御不能、「何者にも永久不可侵の聖域」であって欲しい。予測したくても、備えたくてもどうにもならない想定外に位置し続ける、よくわからないもの、「誰にもわかり得ないもの」。そういう掴みようのないイメージを、「未来」には持っていてもらいたい。

一人では生み出せない「未来」を作っていきたい

一人の限界を超える。関係性の中にしか生まれないものを「未来」と呼びたい

どれだけ頑張ってインプットして、勉強して、イノベーションのアイディアなり、商品やサービスを生み出してみたところで、「考え出した通り」に形を与えられてしまえば、「その人の過去」や「その人の中にあるもの」の枠を超えないものしか生まれない。自分では新しいものを生み出したと思っていても、見聞きしたものを自分の中で編集してアウトプットするだけであって、無意識のうちに「知っているもの」に近くなる。

おまけに、生み出す過程で「第三者」や「仲間の意見」を取り入れず、「自分が思った通り」になるようハンドリングしてしまった場合、間違いなく、大なり小なり「前例踏襲」の罠に陥る。自分では頑張ったつもりでも、怖くない範囲に収まるだろう。

これでは、「生み出された未来」は「何者かに依存」、あるいは「何者かの支配を受けた」状態になってしまって、「自由」とは程遠い。その「未来」が作る市場も「自由」とは言い切れない。商品を送り出す側の想定通りの反応を顧客がしてしまうなら、なおのこと。

もちろん、ビジネスでやる場合はリスクヘッジはしたいし、計算の立たない計画や戦略はお話にならない。利益の見通しが立たないままでは商品やサービスのリリースどころか、研究開発すら成り立たない。積極的に購入してくれるユーザー、顧客層をファンとして引きつけて、手堅い数字を見込みたくなるのも分かるし、そうすべきなのも分かるけど、そこには強烈な真摯さや誠実さ、信仰心のような清廉な心や姿勢も持ち合わせておきたいのが、また難しいところ。まぁ、この話は長くなるので別の機会に取り上げよう。

それでは、どうしたいのか。「一人の手」や「頭」から「作りたいもの」を切り離し、二人以上のコミュニケーション、双方向のやり取りの中で、「二人以上が揃わないと生み出せなかったもの」へ変えて行きたい。一人の時の予測より、変化の幅は大きくなることもあるし、アイディアがさらに強化されることもある。二人が似た者同士であれば「過去からの離反」は小さくなるが、違う分野の人間、弱いつながりの他者となら、「過去の焼き直し」に収まる度合いは小さくなるだろう。

「一人の発想」、「一人の制御」から切り離して、予測し得なかったイノベーション、未来の片鱗を生み出す。その工程に関わりたいし、そういう工程となるよう、促しても行きたい。単なるオペレーターや下請けとして関わっていてはできないこと、リスクフルな取り組みにこそ参画して、少しでも「未来っぽいもの」を生み出していければ幸いである。

「未来」に期待するのは、「予測不能」

「こうあるのが未来の姿だ」と掲げた時点で、失敗だと思う

「未来」や「未来の社会」、あるいは「未来の世界」も、「自由な社会、世界」あるいは「自由そのもの」であって欲しい。だからこそ、誰かの支配や誰かの制御、誰かの思惑が力を持つような世界、「こうあるべし」という思想、信条からも解放されていて欲しい。

それを実現するには、「一人では生み出せない未来」を一つずつ作っていく、世の中に増やしていく他ないんだろう。あくまでも、「過去の延長」として「ほぼ現在な未来」があるんじゃなくて、「未来」の方から「現在」や「過去」に根を下ろしていくようなイメージ。それでいて、その先の先は絶対に観測できないというのが、最もワクワクする未来なんじゃないかと、一人で勝手に考えている。

ただ、それを作るためには、より多くの「予測不能」とそれを選べる人たちも増やしていかなきゃいけない。これが簡単なようでいて、案外難しいというか、多すぎるぐらいの障害が影に日向に転がりまくっている。真面目にやっても、気が遠くなるというレベルじゃない取り組みだろうけど、だからこそ前人未到、何の利益にもならなさそうな厄介ごとだから、あえて手を出してみたい。

誰の支配も拒む、真に自由な社会。依存も同調圧力もない、フェアでフラットで変化に満ちた世界。その片鱗のいくつか、あるいは一連の全てを含んで超越するイメージ、ニュアンスを「未来」という言葉には求めたいかな……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.06.14

2019.06.14

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