『空気人形』の時代に追いついた?(ネタバレありかも)

2019.07.14

書くべき記事は他にあるんだけど、「書くべき」と思えば思うほど他のことを先にやりたくなってしまうので、作業用BGM代わりに最近見た是枝裕和監督の『空気人形』の話でも。特にオチも主張もないと思うので、頭からお尻までダラダラな記事になりそうだ……。

この記事は 約 10 分で読めます。

2009年に公開された是枝裕和監督作

ラブドール、ダッチワイフが心を持ってしまうR-15指定作品

「人の形をした人でないもの」に心が宿り、そこから話が広がっていく物語。
全年齢向けには『ピノッキオ』や『鉄腕アトム』、「それ」に恋慕するというところでは「ピグマリオン」、自由に動けるオモチャのお話も類例とするなら、『トイ・ストーリー』や(毎回こっそり帰ってくる)『ぼくブルン』など。「人の代わり」や「人形」に軸足を置いたパターンはちょっぴり物悲しい終わり方をするパターンが多いように思うけど、そこは今作も例に漏れずといったところ。

原作は、『ゴーダ哲学堂 空気人形』(業田良家著 小学館刊)。脚本、監督は是枝裕和。出演は、ペ・ドゥナ、ARATA(現:井浦新)、板尾創路他。ロケ地はどうやら、東京の月島らしい。

板尾創路演じる中年男(秀雄)が、自らの性欲を満たすために購入し、ともに家族ごっこをしていた「型遅れの安物」であるラブドール「のぞみ」(演:ぺ・ドゥナ)に、ある日突然心が芽生え、心と自由に動く体を得た空気人形は家を抜け出す。周囲を取り巻く社会に触れながら、とあるレンタルビデオショップに辿り着き、そこの店員である青年、純一(演:ARATA)と恋に落ちる。
夜はご主人である秀雄の部屋に帰り、不本意な性欲処理、恋人ごっこに付き合い、昼は人間のふりをしてビデオショップで働くようになる。

ビデオショップにやってくる近隣住民、純一とともに出歩く先で出会う地元の人たちっぽい描写も挟みながら、やがて無邪気さゆえの悲劇、危うさにたどり着いて、元の空気人形、燃えるゴミへと帰っていく……。
あらすじというにはエピソードのピックアップやまとめ方が今ひとつだろうけど、ざっくりいえば、そういうお話。

「程よさ」が生々しくてエロい

がっかりもしないし、是枝氏ならではのフェチも盛り込まれている

エロさを求めて見るタイプの映画でもないし、エロいから良い悪いという話もされたくないファンもいらっしゃるかもしれないが、ラブドール(=空気嫁)が主役になるお話なら、「エロ」の全回避はかえって不自然。もっとも、そこはR-15なのでど直球なエロ、キツいエロはそんなにない。

エロさという点では、キャスティングがやっぱり秀逸。「のぞみ」のぺ・ドゥナは、スレンダーでもグラマーでもなく十分な肉感。物語の後半、製造現場にも赴くが、そこにはもっと男の欲望を詰め込んだようなボンキュッボンなタイプや、金髪のチャンネー、激烈に可愛いタイプやらロリロリしてるのもありそうだったけど、「型遅れの安物」だと「こんなもんかな」と思える部分に着地している。

そして、ここで日本人じゃなくて韓国人女優を持ってくるところが、程よいファンタジーさを足しているというか、物語を通じて言葉や社会を学んでいくだけの「差」をナチュラルに持ち込んでいる。これが実にいい。金髪ボインでもなく、壇蜜っぽい人を持ってくるでもなく、でもバックショットの尻や胸にはフッと引き込まれそうになる具合が、作品やキャラクターに非常にマッチしてる。

板尾創路も良い味出してるんだけど、やっぱりARATA。最近だとミドルのおじさんっぽい感じになってるけど、この時は「どこにでもいそうな青年」で、その上で演技や色気がまぁ、ちょうど良い。もっとイケメンとか、少年っぽさがある俳優を連れて来ても良かったんだろうけど、今でいう松坂桃李的な人を入れてしまうと、この作品の空気感、バランスは着実に崩れる。

脇を固めるキャストも、程よく「そこらへんにいそうな人」たちで、美男美女すぎることもない。芝居が極端に引っかかるレベルの人もおらず、「ありそうな日常」を作り出しているのが非常に良い。

もちろん映画だから「作りもん」、フィクションなんだけど、そこの段差を大きくしすぎず、でも程よくオシャレ、ちょっと小綺麗なラインで現実からは少し浮いてる感じを総合的に演出できていて、この画面作り、キャスティングは簡単に真似できるレベルではないと思う。

肝心の絡みのシーンも、露骨なシチュエーションはあっても、露骨な撮り方はしてない。とはいえ、15歳以上なら察するのは容易なレベル。とはいえ、そういう用途に使えるかというと微妙だろう。むしろ、是枝監督流のエロス、フェチはARATAが空気を吹き込むシーン。中盤と終盤にそれぞれあるんだけど、ここの方が官能的。アーティスティックでもあるし、単純にエロさを感じるところでもあるし、そこらへんの変態さ加減を確かめたいなら、ぜひ映像でご覧いただきたい。

「代用品」問題と「低層っぽい」キャラクターたち

「綾波レイ」的な「のぞみ」と、代わりはいくらでもいそうな周辺人物

心を持った空気人形、「のぞみ」自体はいわゆる「付喪神」みたいなもので、日本人にはそれほど訝しがるテーマでもないでしょう。手で触れる人形、フィギュアを可愛がるというのもよくある話。一方で愛欲の対象にもなる、都合のいい代用品としての人形、「代わりはいくらでもいる」タイプのフィクション、キャラクターというのも、日本では珍しくもなんともない。

「代わりはいくらでもいる」、「自分は代用品」と自覚しながらも、自我を持っている、主人に逆らう心を持っているという点では、徐々に人間らしさを獲得していく「綾波レイ」的な部分も「のぞみ」は担っている。

一方で、周囲を取り巻く登場人物も「代わりはいくらでも」いそうなタイプ。決して高くはないアパートに住む秀雄、ビデオショップの店員、純一。店長もそこらへんにいそうな人物だし、近所に住む父子家庭っぽい親子も、決して収入のいい仕事や生活を送っているようには思えない。ビデオショップにやってくる客、交番のお巡りや変なおばあちゃん、「のぞみ」に「自分は空っぽ」と教える元国語教師のおじいさんも、恵まれた日々を送っていたとはとても思えない。

どちらかというと負け組っぽい人たち、コストカットの波に煽られればすぐに職や生活を失いそうな面々。豊かとは言えなさそうな見せ方に、どこか「上から目線」で、多少安全な位置から箱庭を眺めるような気分で鑑賞してしまっている自分がいつつも、その自分も「何かの代用品」や「空っぽ」でないとは言い切れないところもある。

自分の中に詰まっているのは空気なのか。それとも、誰かに吹き込まれた息なのか。はたまた本当に中身が入っているのか。自分自身を生きているのか、ただ生かされているだけの中身が無い奴なんじゃないのか。なんとなく、そういうメッセージも込められているような気もするけど、きっと何のメッセージも込めずに作ってくれたんだろうなぁ、とも思う。

是枝監督は、これぐらいのさじ加減が向いているのでは?

演出に集中して、フェチも盛り込んで、何も成し遂げない話の方が良さそう

そんなに沢山、是枝作品を見た訳じゃないけど、どうもこの人も原作ありの作品、自分で「おはなし」を考えないタイプの作品の方が、いい映画になるような気がする。

自分も割とやりがちだし、向こうは商業的に成功している人だから同じ立場でものは言えないんだけど、メッセージ性や成し遂げて欲しいことを盛り込み過ぎちゃうと、演出的な余力、見せ方や味わい方に力を割くのが、どうしても難しくなってくる。かといって、自分がやりたいことを好き放題にやってしまうと、それはそれで「同じ感性の人」にしか受けないし、そのボリュームゾーンは濃度を上げれば上げるほど小さくなっていくから、作家性むき出し、メッセージ性むき出しのものが出来上がったとしても、商業的にはまずハネない。

でも、『空気人形』はその辺りが上手く噛み合ってたんじゃないかな。子役に何か成し遂げさせようとするでもなく、メッセージ性を盛り込み過ぎようとするのでもなく。その一方で、R-15をつけながらも自分の変態さを少し露出してみて、着眼点の変態さと演出面での変態さをしっかり出せていて。抑制を効かせながら、分かる人には分かるライン、刺さる人には刺さるラインにしっかり持って行ってる。メジャーになるとやりにくい部分を、今作では結構やり遂げたのかなと感じる。是枝監督も、原作ありで見せ方や画面作り、演出や仕上がりに集中できるタイプの作風の方が、不本意かもしれないけど向いてるんじゃないかな……。

『空気人形』という作品は、劇中で何かをやろうとしたタイプの作品でもないし、劇的な何かが起こるタイプの作品でもないし、強烈なメッセージ性があるような作品でもない。まるっきりメッセージがないように見えて、どこかに少し盛り込まれていそうな気もするけど、そこら辺は見る人次第、なんでしょう。

作品自体も、「のぞみ」とはそこまで直接関わらない過食症の女性、星野真里が「綺麗」とつぶやいて終わる。そこに一縷の希望、次へ繋がる明るい展開があるのかなと匂わせつつ、結局何も進展させてない、解決させてない雰囲気もあって、鼻息荒く「映画を見たい」という人にはお勧めできない感じの作品なんじゃないかな。
でも、これがいい。ここで星野真里を絡ませるところが、なんかすごくいい。

逆に言えば、いい映画、いい物語ってこういう感じのパターンなんだろうね。重くない感じ、何かも果たしていない感じ、時間や空気だけそこにあって、解釈したければどうぞ、ぐらいの。これが自分が原作だとそうそう簡単じゃないというか、一人だと変にやり過ぎて失敗するところよね。

代用品の幅も種類も質も変わってきた、今日この頃

2009年にはフィクションだった「おはなし」も、近々リアルになりそうだ

年増の受付嬢や、近所のお年寄りの話を聞くだけの巡査、レンタルビデオの店員だったりオーナーだったり。肉感の欲しいラブドール、性欲処理の部分も、着実に置き換えやすくなってきているし、代用品、代替手段がかなり豊富、お手頃なものになってきている。

「AIに仕事を奪われる」ってことでもないけれど、機械学習で「自分の代わり」を作ることはできるだろうし、「もっと安く」とか「面倒くさくない手段がいい」となると、生身の人間じゃなくてもいい、ってことにはなってくる。顔を突き合わせなくてもいいのなら、すでに雇用や働き方は自由化が進んでいる。

「バ美肉」と言われるVチューバーやVR、各種ガジェット等も用いてしまえば、デジタルやアナログを問わない人形愛というか、存在しない人と本物っぽい愛欲のやりとり、性欲の処理だって可能だろう。いわゆるパッケージ詐欺も、詐欺じゃなくなる可能性もあるし、生まれた時の性別だって、そのうち問われなくなる。

「代わりはいる」し、「中身のない人間」も量産できるし、「空気しか詰まってなさそう」な人がそこら中にいる社会も、案外近くにある気もするし。本当に生きていると言えるのか、心を持っていると言えるのか、ビジネスのみならず、プライベートでも代わりがきかない人、大切な関係を結べているかどうか。そういうところを、今後より一層見ていかなきゃいけないんだろうなぁ、とか。

『ブレードランナー』的な要素も出てくるだろうし、『鋼鉄都市』的な要素もあるだろうし、『ソラリス』的なのも一部現実にはなってくるんだろうけど、そういう諸々も含めた上での『空気人形』、アンドロイドやロボット、人工知能との共有や共存、交流みたいなのも、考えてしまった。

とりあえず、「反知性」や「知らなかった」は取り返しのつかないことになる可能性もあるので、そこだけは本当に気をつけたい。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.07.14

2019.07.14

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