Vol.6 マーケティングとメディアの再考が必要か

2019.07.21

メディアや情報産業が果たしてきた機能と、今後も必要になりそうな役割、担わなければならない要素について、ここで考えていることをざっとぶちまけてみる。石田英敬氏の著書『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)も参考にしつつ、考えたことを晒してみよう。

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「価値の創出」や「消費促進」に貢献してきたメディア、マーケティング

「知ってもらう」のも、「欲しくなってもらう」のも、情報が牽引してきた

エドワード・バーネイズの『プロパガンダ』やウォルター・ リップマンの『世論』、フィリップ・コトラーの『マーケティング』を引き合いに出さなくても、何らかの商売を始めてみたり、新しい分野のサービスを立ち上げれば、「知ってもらう」ことがいかに重要か、すぐにご理解いただけるだろう。

知ってもらうだけでなく、興味を持ってもらう、もっと言えば欲しくなってもらう、来店してもらう、取り寄せてもらうという行動へ進んでもらうためにも、ある程度の情報提供、受け取る側の理解促進、説得や納得も必要になってくる。それをスムーズに進めるには、「マーケティング」を持ってきて、一定の型通りに進めてみたり、成功しやすい戦略に則って情報を編集、あるいは脚色することもあるでしょう。

今では若干斜陽な気もするけど、書店や雑誌、紙媒体や放送による宣伝広告が現在も重要なのは、「知らない」や「価値が分からない」部分に対して、(ある程度受け取ってほしいニュアンスやイメージをコントロールしつつ)積極的に情報発信をしていかなければ、その後の経済活動にも中々結びつかないから。

宣伝広告に著名人を起用し、文章や写真、映像や音楽といったものでほしいと思う気持ちを刺激し、その著名人の印象の肩に乗ってアピールする。著名人のイメージ作りには芸能活動が用いられ、映画やドラマのようなコンテンツ産業、情報産業で新たに付加価値を作る。その高めた付加価値をもって、宣伝広告に起用していく。

実在の人物に限定する必要もなく、特に日本では俳優の顔が見えない変身後の特撮ヒーローや、アニメのキャラクター、初音ミクのようなキャラクターや声だけ、イラストだけのイメージが、何らかの価値創出に力を貸していたりする。

ただし、この「宣伝広告」や起用されるキャラクターやアイドル、著名人の付加価値、そこから受け取る印象と、商品やサービスそのものの価値や体験感というのは、必ずしもイコールとは限らない。パッケージが変わるだけでは中身は一緒だし、「新発売」と言いながら、「その年の味」に調整したお酒やドリンクだって、商品としての効能は大きく変わらない。化粧品や衣料品、理美容関係だって、そうそう大きな違いというのはなさそうに思える。

原価がいくらぐらいだから、とか技術の違いから来る価値の有無みたいな話をするつもりもないし、長年培われた見えない文化、考え方から来る把握しにくい価値や希少性というのも存在するのも、理解はしている。もちろん、本当に「全然違う価値」をもっている商品やサービスも間違いなく存在しているんだけど、世にあるすべてのものが、必ずしもそうではないし、注目されがちな商品やサービス、広告に予算をかけられる商品やサービスがいつも素晴らしいものかと言われると、それもやっぱり違ったりする。

消費を促進するためにも、利益を上げるためにも「知ってもらう」や「欲しくなってもらう」は必要だし、それそのものが必ずしも悪だとは言い切れないんだけど、そればっかりを押し付けられるのも、段々辟易してきている、というか、事後の口コミや評判が容易に見える世の中になってしまうと、「期待値とのズレ」は致命傷になりやすい。

「キレイごと」を掲げる、あるいは期待値を広告によって高めるつもりなら、それ相応の「実際の価値や使用感」を現場がオペレーションできる状態にしておかないと、消費者に不信感を抱かれても仕方がない。

ポジティブな口コミも効果は大きいが、ネガティブな口コミも効果は大きい。正直な商売、素朴な広告、やり過ぎないアピールの方が、段々効果が高まってきているような気もしている。

「何を買えばいいか」をメディアに刺激されたくない

故意や過失を問わず、「消費促進」や「欲望の刺激」が嫌になってる?

『大人のためのメディア論講義』(石田 英敬著 ちくま新書)の第3章「現代資本主義と文化産業」(P085〜)で、アメリカでフォードやディズニー、ハリウッド等が誕生した時の話に触れている。バーネイズの仕掛けたキャンペーンや、現代資本主義におけるメディア、マーケティングの果たした役割が議論されている。

『メディア技術が書く〈テクノロジーの文字〉が意識を生み出す』、『私たちは写真が撮られた瞬間を見ることができないが、その見えなかった瞬間にとらえられた像(写真記号)を事後的に「見」て「思い出」をつくる』(いずれもP86より引用)。『メディア・テクノロジーを基盤に、人びとの意識を生産する産業が、「文化産業」』、『物をつくるよりも、自動車をつくるよりも、「意識」をつくりだすほうがずっと効率がいい』、『社会が、「意識産業」によって成り立つようになる』(P87より引用)。

世論形成、人の考えを揃える。あるいは一定の方向に向けて、供給する側、資本家側、支配する層にとって都合のいい情報や意識を、メディアやマーケティングを駆使して積極的に作っていく。そうやって、みんなが似たようなものを買い、似たような生活を送り、人口に応じて相応の規模の利益を計算することができるようになり、不平や不満は問題になることがない時代があった。

現在、少なくとも2010年後半頃以降は「そういう価値観」が合わなくなりつつある(と、個人的には思っています)。19世紀や20世紀から今にかけて作り上げられた、「現代資本主義」や、「規模の経済」の上に成り立つ「民主主義国家」など。そこら辺の仕組みやルールが、意外な脆さを露呈して崩壊し始めている、徐々に秩序が崩壊しつつある、ような気がしています。

なぜ、こうなっているのか。その理由は「文化産業」や「意識産業」、あるいはメディアやマーケティングが今までやってきたことと、関係があるような気もしています。端的に言えば、「消費の促進」や「欲望の刺激」、外側からの「意識の刷り込み」。これが拒まれつつある、受け入れられにくくなってきている、のではないでしょうか。

SNSやスマートフォンがそこまで発達していなかった世の中であれば、インターネットやIT、デジタル産業があったとしても大してその辺りの事情は変化しなかったように思いますが、個人が好き勝手に発信できるようになった時代、それも言葉だけでなく、写真や映像で世に訴えかけることができるようになった。今まで支配する側、力を持つ側にいた人に握りつぶされない程度に、見聞きしたことや感じたことを発信できるようになってしまった。

だから、口コミやユーザーレビューといった、受け取る側の情報発信が可視化され、一定の力を持つようになった。自分で情報発信、編集するようにもなれば、そこに秘められた意図や狙いにも気がつく人が出てくるし、情報の触れる頻度が増えれば増えるほど、触れた情報から無意識に、その背後にあるものを感じ取る人も生まれつつある。

新聞や雑誌、地上波テレビだけでなく、一部のWeb広告やWebサイト、Web動画も忌避されるのは、同じ理由でしょう。そうなると、純粋な想いの「知ってもらう」、「欲しいと思ってもらう」行為すら、埋もれてしまうことになる。

マーケティングもメディアも、終わってないし、放棄もできない

「消費」や「現代資本主義的な商売っ気」を一旦引っ込める?

これからのビジネス、仕事にも、マーケティングやメディア、情報の活用は不可欠。ただ、今までのようにあまりにも不誠実なやり方、とにかく「売り気」というか「買わせよう」とする意図を盛り込んだやり方は、たとえ少量であっても忌避される可能性がある。

今、すでに強い立場を築いている状態でないなら、最も怖いのは、顧客に不信感や不満を抱かれること。一回一回の接触、購買時の不満を抑えられなければ、不利益しか募らない。利益を着実に確保しつつ、将来的な利益にも可能性を繋げたければ、都度の体験を最高の状態に保つこと、商品やサービスの価値や品質を目一杯に高めておくこと。

それから、誠実なコミュニケーション、「買って欲しい」を決して前面に押し出さないマーケティング、メディアの活用にリソースを割いていく。少ないチャンスをものにする、いい評価を着実に得ることに重点を置く。この優先順位でないと、弱い立場、チャレンジする立場では生き残ることすらままならない、ように一人で思っているのだけれど、いかがだろう。

利益を追いかけすぎる、あるいは集客に力を割き過ぎて、事前の期待値調整を誤ってしまうと、結果的にネガティブな口コミを広げることになりかねない。顧客満足の軽視、商品価値そのものの軽視を続けてしまえば、事業の継続も危ぶまれる。

素早く売り切って、ネガティブな評判がたっても次に行けるだけの素早さがあればそれでもいいんだろうけど、評判や名前はシマを変えてもすぐにバレる。バレた時の対応にかかるコストを考えると、コストパフォーマンスは最悪、次に打てる手も協力してくれる人たちも減るだけでしょう。

だから、誠実に真摯にやる。まずは現代資本主義的な「沢山売る」、「数を売る」ことを諦めてみる。「必ず日の目を見る」と信じて、やるべきことをやる、変なヤマ気を起こさない。これが、これからのマーケティング、メディアの利活用に必要な考え方、取り組み方、なんじゃないだろうか。

価値の創出、意識の創出も、自然と高められるやり方、誠実な方法だけ、専門家の理にかなった真っ当なやり方だけに絞る。そういう姿勢が求められている気がするんだけど、どう思います?

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.07.21

2019.07.21

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