Vol.17 『日本国紀』関連の3冊を読んで思ったこと

2019.08.22

「日本らしさ」を考えるシリーズとして、かなりはみ出す中身になりそうなので、今回は別枠として書き散らす。日本らしさを考えるため、探るための軸として調達した『日本国紀』だったものの、そこから感じた雑感、罵詈雑言をここへ吐き出そう。

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百田尚樹著 有本香編集『日本国紀』(幻冬社)

事前期待を裏切られた、肩透かしな歴史書

日本の原点、今の日本になっている理由を探るために、自分が認識していない歴史、知らない歴史について少しでも知りたいと思い、刊行前から話題になっていた百田尚樹氏のベストセラー、『日本国紀』。その後に発売された『「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史』(百田尚樹/有本香著 産経セレクト)、外伝と位置付けられた『今こそ、韓国に謝ろう そして、「さらば」と言おう』(百田尚樹著 編集・解説 有本香 飛鳥新社)の3冊を入手して、ざっと読んでみた。

「(小説家として)売れていること」を割と大々的に掲げている感のある百田氏で、なおかつ何度もランキング1位を取るような書籍だったので、よほど素晴らしい本とその関連本なんだろうなと思いきや、事前の期待や販売実績からすると、何となくがっかりしたというか、残念さを感じてしまう読後感だったように思う。

「教科書では学べない日本通史!」が若干過大?

語られてこなかった要素もゼロではないが、新鮮味はそれほどでもない

いわゆる虎ノ門ニュースメンバーである、百田氏や有本氏の博識さ、分析力の確かさは素晴らしいと思うし、その人たちが「百田さんにしか書けない」みたいなことを何度かつぶやかれていたように思うので、どれほど素晴らしいものなのかと勝手に期待値を上げすぎたのだと思う。また、「めちゃくちゃ売れてます」とかポジティブな感想も割と見かけて、読む前の期待値や期待感というのはバンバン上がって行ったのだけれども、いざ読んでみると、そうでもなかったかな、と。

「教科書では学べない」というのは偽りがないように思うけど、「歴史の事実」や「隠された真相」みたいな部分に関しては、それまで他の方の書かれた書籍で何度か見た内容も多く、高めすぎた事前期待をどうにかできるような中身ではなかった。もう少し、百田氏ならではの組み立てや新事実、新発見みたいなものが入って入ればマシだったんだけれども、そのあたりは「悪い方向」でしか入ってなかったようで、その「独自性」胸焼けが起こるんじゃないかと思うぐらい、肌に合わない書籍だったかな。

あくまでも、「百田さん物知りね」とか「百田さんの考え方、書き口が好き」とか、そういうレベル。個人的には百田氏の「そういうところ」がどちらかというと苦手なので、本当に申し訳ないけど、3冊の中でも特に『日本国紀』を読むのがしんどかった。

『日本国紀』や関連の2冊に、個人的に期待していたのは、「今まで書かれてこなかった歴史」。教科書や他の書籍、フィクションも含めて出来上がっている「こうだろうな」という表の歴史、化石を掘り当ててそれを分析するような、「後世に残しやすい、書き残されたメインストリームの歴史」をいかに覆すのか、その裏に隠された書かれなかった部分、「骨」や「石」にならなかった柔らかい部分、後世に残りにくい形になりにくい部分をどれだけ見せてくれるのか。そこを、「百田さんなりに」、あるいは編集の有本氏なりに見せてくれるんじゃないか、新しい世界へ連れて行ってくれるんじゃないかと思ったんだけれども、そこを思いっきり裏切られたというか、勝手に勘違いして本を手にとってしまった。

百田尚樹氏の語り口や解説も、個人的にはそこまで好きじゃなく、そういう意味も含めて、近そうな著者、書籍から行くと、上念司氏の『経済で読み解く』シリーズの方が、何倍も良かったかな。彼の解説、書き口の方が個人的には肌に合うというか、身を委ねやすい。『日本国紀』の幕間、コラムのような小欄だけでなく、好きを見れば個人の感想、知識の疲労を挟まれるのも、本当にしんどかった……。

『韓国に謝ろう』の方は、最初から「そういうスタンス」が明確に打ち出されていたので、事前の期待や認識とそれほど大きな齟齬をきたすこともなく、最後まで読むことができたのだけれども、『日本国紀』の方は、装丁や前書きの雰囲気から予想しにくい書き口、スタイルが取られていたので、マイナスの印象を積み増す結果になってしまったかな……。

特に、個人的に引っかかったのは「言霊主義」という部分。「第六章 江戸時代」、226ページ14行目付近〜227ページ5行目付近で「日本人は昔から言葉に霊が宿ると考えていた。わかりやすくいえば、言葉には霊力があって、祝福を述べれば幸福が舞い降り、呪詛を述べれば不幸が襲いかかるという信仰である。(後略)」のように書かれていたり、「第十一章 大東亜戦争」、393ページ13、14、15行目で『私はここに「言霊主義」の悪しき面を見る。つまり「悪い結果は口にしないし、想定もしない」で「いいことだけを言う」というものだ。(後略)』と書かれている。

そういう考え方がなかったとは言わないし、物書きだから「言霊」というものにやや過剰とも思える思い入れを抱いているのも理解はできるが、「言霊」を便利に持ち出しすぎではなかろうか。この場合は、「言霊」よりも内側を向きがちな意識、「甘え」や「擬似家族」にありがちな権威性の方が実態に近そうな気がするが、何でもかんでも「言霊」を持ち出して、それに寄りかかる、期待を寄せすぎるというのは、作家としてどうなのか。他にも、陳腐なレトリック、巷に溢れる言葉に対する向き合い方、評価の仕方も作家としてどうなんだろうなと思う書き方がなされている場所がある。

「作家、百田尚樹」をそこまで評価していない

大阪人っぽい、ふにゃふにゃした土台も苦手。その上にある作家性、文章が肌に合わない

百田氏の周りにいる人、特になぜか有本香氏辺りが、小説家、作家としての百田尚樹氏、あるいはその文章、作品を異様に評価しているように思える。『日本国紀』の帯文でも、「当代一のストーリーテラー」と評しているが、それを持って「小説家の大家(の一人)」というニュアンスも、なんだかなぁと思ってしまう。

もちろん、文章の好き好きは読む人の数だけ存在するだろうし、どんな作風の小説が好きかも人それぞれだろう。小説や文芸のどこを評価するか、どこを好むかも誰に強制されるでもない、「自由」な部分なんだけれども、「小説や文芸って、本当にそういうこと(=百田氏、凄い)なの?」という思いがある。

まともに読んだ百田尚樹作品としては、『永遠の0』(講談社文庫)ぐらいで、それを読んだ時にも思ったんだけれど、『探偵ナイトスクープ』等の放送作家、構成に携わってきた経験から、ストーリーテリングや資料の調査、構成に関する巧さは感じるものの、それ以外が物足りない。

頭の中でこねくり回しただろう、人物描写や心理変化も「なんだかなぁ」と思うところがチラホラ。「売れているから作家としては正義」なんだろうけど、そこやストーリーテリング、プロット構成力だけが高くても、文芸や小説としての魅力は半分以下かなぁ。安全だし、分かりやすいし、読みやすいのだろうけど、小説や文芸はそうじゃダメだろう、と。もっといえば、帯文のように「ストーリーテリング」を「当代一」と書かれてしまうのは、小説家、作家としては半分敗北に近い気もする。そこを評価されないのも悲しいけれども、そこを強調されてしまうのは、もっと虚しい。

今は評価されていても、時間が経てば経つほど忘れられて行く十把一絡げの作家の一人、という印象。小説的な文章が書けない人には百田氏の文章はすごいと思われそうだけど、書ける人からすれば、正直大したことないなという印象を持たれそう。妬みや僻みも込めて、この人に芸術やアートを語ってもらいたくないとも思ってしまうんだけど、そう思うのは自分だけなんだろうか。

大阪っぽさも、なんとなく苦手

美学、在り方が二の次、三の次っぽく感じる

百田氏から感じる大阪っぽさも、割と控えめな気もする。個人的に苦手な南大阪、長堀通りより南のコテコテ感も少ないが、阪急沿線っぽさというか、北摂っぽい洗練された雰囲気も感じない。

東京や京都に対して「どうせ二番手でっせ」みたいな空気、自分から安く、低く見せようとする姿勢、行き過ぎたサービス精神というよりちょっと下卑た感じ、客も身内みたいな田舎根性、内外の線をないがしろにする身内意識。「これが受けるんやろ」とか「これなら受ける」みたいな先読み、雑な先回りも苦手。

だから、ほとんど見ないけど『探偵ナイトスクープ』みたいな番組も、個人的にはあまり得意ではない。大阪に住んで久しいとはいえ、血筋的には大阪人ではないし、住んでいる地域も北摂が多く、「THE・大阪」みたいなのが嫌なのかもね。

百田氏にちょっと近そうで非なる人で言えば、虎ノ門ニュース繋がりで青山繁晴氏がおられるけど、神戸の人、兵庫県の人である彼のほうが、立ち居振る舞いや佇まいが個人的には肌に合う。地域だけでなく育ちの問題もあるのだろうけど、あちらの方が「美学」や「在り方」を立てておられるように思える。

関西人、特に関西人の物書きらしいおチャラけた見せ方、おどける瞬間もチラホラあるが、それはあくまでも「愛嬌」の範囲で受け止められるのも、そこに「THE・大阪」っぽさが薄いから、「イヤな大阪」を感じないからだろう。大阪や関西に対する「甘え」や「緊張感」があるかどうか。そこの違いも気になるかな。

「大阪」は、凄いところ

自由な気風が、人や思想を育ててくれる

大阪を「ものづくりの街」や「第二の都市(圏)」と思うのは自由だけれども、それでは大阪の強みを半分も分かっていないし、強みも歴史も生かすことができない。「ものづくりの街」だけを前に押し出してしまうと、「なんだ、ブルーカラーか」と下に見られる。手わざ、技術があるのも素晴らしいことではあるが、企画や知識の部分を他所に委ねる感じになってしまうと、大阪はずっと二番手のままになる。

大阪の一番の強みは、自由さだ。奇抜な発想、奇想天外な発想が「おもろいやんけ」と認められる、受け入れられるのも、日本広しといえど、「まずは大阪」となるだろう。その発想を生かすための「ものづくりの街」だから、今の大阪や大阪発の大企業が存在している。

「大塩平八郎の乱」も大阪、福沢諭吉が生まれ育ったのも大阪。様々な日本初が生まれたのも大阪。大阪の強みの半分は、企画力、知識の部分。利に聡い部分、金儲けが上手な部分もあるだろうけど、一番大事なのはコアになる哲学の部分。人としてどうあるか、一人の人間としてどう表現していきたいか。それを生み出す部分、「おもろいやん」と受け止める土壌の方が、はるかに重要な強みのはず。

だから、前に誰もいない状態、誰も参考にできない場合に、パイオニアとしてイノベーションを起こす時にはプラスに働く。多少の恥をかいても「まぁ見てろよ」と強がれる根性、それをサポートしたくなる気風も揃っている。個人的に嫌いな「THE・大阪」の部分がなければ、もっと多くのものがこの地域から生まれるはずなのに、メディアに取り上げられがちな「残念な大阪」のイメージが、そこに蓋をしてしまう。

百田氏をあまり持ち上げすぎると「前例踏襲で上手くやる」程度の器の小さい「勘違い野郎」が多い大阪になってしまう気がする。孤高のアーティスト、憂国の志士、稀代のイノベーター、ホンモノの誕生を期待するのなら、もっと違うものを評価するリテラシー、審美眼を育てていった方がいいんじゃないだろうか。

自分勝手な事前期待を裏切られたからと、『日本国紀』や百田尚樹氏、大阪の嫌いな部分をひたすら揶揄してしまったが、こういう意見もあるんだなと温かい目で見守っていただければ幸いです。書籍の中身自体はどれもいいもの、学べるところもたくさんあるかと思うので、ぜひご自身の目で確かめてください。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.08.22

2019.08.22

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