Vol.21 日本らしさを考えてみる 9

2019.08.29

2回に分けて取り上げた『メディアミックス化する日本』から、同じ著者のさらに10年前の書籍を取り上げて、コンテンツの中身、物語の方向性について、思考を書き散らしてみよう。「らしさ」と言いつつ、ズレっぱなし、言いたい放題第9弾。

この記事は 約 12 分で読めます。

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『物語消滅論』(大塚英志著 角川oneテーマ21)

副題は、『キャラクター化する「私」、イデオロギーする化「物語」』

初版は2004年10月10日。一昔前というには不十分な気がする、「もう少し前」の書籍。ここから10年経って、『メディアミックス化する日本』で、世界観や偽史、メディアミックスの危うさ、Web系プラットフォーマーの問題を取り上げているが、本書ではもっと範囲を絞り込み、物語や文学、キャラクターや「私」の問題を中心に取り上げている。

前々回の記事でも言及したが、筆者の大塚氏に多少のバイアスがかかっているようで、マルクス主義に傾倒している節が見受けられる。一つは、副題である『イデオロギー化する「物語」』や冒頭から出てくる『「物語」がイデオロギーを代行する時代』というフレーズ。そもそもで言えば、マルクス主義も様々な宗教も経済理念や概念も、最初から「物語」であるということ。「現実」や「実際に起こった出来事」をただ時系列に沿って並べただけではなく、そこに後から見出した「なかったかもしれない因果律」や相関関係、前後の出来事を誤認して結びつけて出来上がった要素、嘘と言わなくても脚色や演出ぐらいは多かれ少なかれ含まれている。

もう一つは、「社会進化論」。これもマルクス主義と相性がいいというか、「社会は段階的に進化していく」という発想自体が、一種のイデオロギーであり、嘘(に近いもの)を刷り込まれている証左だろう。「社会進化論」は、科学でもないし客観的な事実でもない。ダーウィンの進化論を援用して、ハーバート・スペンサーが社会進化論を唱え、何人かの文化人、哲学者を経由してマルクス主義に取り入れられ、「共産主義」や「革命」を考える際の足場になっているが、今では「そんなものは存在していない」と捉える方が賢明だろう。

文明や社会に、進んでいるも遅れているもないし、国や民族が違うからといって、どっちが優れていて劣っているという話でもない。たまたま、得意なことや与えられた材料、環境が異なっていただけで、何を取り入れて何を取り入れないかはそこに生きる人たちの自由、その時代を作っていた人の自由。後から歴史を省みて、あるいは自分たちの発想をそのまま持ち込んで、自分たちとは違う考え方を即座に否定する、優劣を勝手に判断するというのは避けた方がいい。

最後にもう一つズレていることを取り上げるなら、「因果律」。因果律どころか、最近では「時間」の実在すら危ぶまれている。ただし、人間の脳は面倒臭がりで、バラバラの出来事をなんらかの時系列に沿ってひとまとまりにしたり、手近な情報から将来を予測する、未来を推測して安心したがる傾向がある。そちらの方が、バラバラの出来事をいちいち処理しなくて済むからだ。

しかし、量子力学を取り上げるまでもなく、実際にはそこまで「因果律」というのは存在していない。偶発的に起きたバラバラの出来事に連関を見出して、「ひとかたまりの因果律だ」と考える、結論付けてしまう方が楽だから脳はそうしがちだが、前後の出来事とは無関係に、急に「何かが起こる」可能性は十分にあり得る。

「合成性の誤謬」、ある程度の規模が大きくなってくると自然に表れるような気がする傾向、統計を取っていくと見えてきた相関関係になんらかの意味を見出そうとしてしまう。これらも、場合によっては悪癖になりうるので気をつけた方がいい。

3つの認識のズレ、土台にある左的な発想、価値観のバイアスが割とかかった上で書かれている書籍なので、その辺りは多少考慮した上でお読みいただきたいかな。

記号論、入れ替え可能な物語は、そろそろ限界?

代数学的な左脳一辺倒、人工的なストーリーが役割を終えつつある?

筆者の大塚英志氏と言えば、『ストーリーメーカー』などで著名な創作活動を支援する、あるいは指導する立場になっていった、技巧派クリエイター、プランナーの一人。彼の見出した公式、プロット作りのため、キャラクター作りのための考え方は、個人的にもお世話になったこともあるし、非常に有効なツールだとは思う。

土台になる「神話の法則」や「ハリウッド脚本術」的なノウハウ、そこから導き出された代数学や記号論的な「物語構造」論、メソッドやツールの数々も、「どうやって作ればいいか」を考える側、模索し始めたクリエイター達には頼りになる武器でもある。

物語だけでなく、キャラクターも、外側のデザイン的な要素だけにとどまらず、そこに付随する来歴やシチュエーション、内面性や身体性も含めた「記号」の集合体、「属性」という情報の集合体へと変遷していく。

左脳で磨き上げられた制作手法、マーケティングの観点で、あるいは文化人類学等の応用学問をメディアや広告、情報産業に取り入れていったニューアカデミズムを取り込んだサブカルチャーの領域では、仮構の歴史や地勢図といった偽史、フェイクの時間とフェイクの場所という情報すらも不要になりだし、本来はバラバラな「情報」の束から勝手に結びついた結果を見出して遊ぶ、楽しむという文化まで出来上がってしまった。

つまり、「ストーリーでの差別化」をしたくても、ストーリーラインや構造としてはそんなに多くの原型、類型は存在していない。ストーリーテリングの領域で独自のアイディアを捻出してみても、「どこかに似たものがある」か、同じ代数式を使って「斬新な組み合わせ」を代入した、「新しいフレーバー、属性を生み出した」程度にしかなり得ない。マーケティングとして目一杯洗練させてみても、左脳でとことん考え抜いてみても、とどのつまりは「記号論」。代数学にしかなれず、「変数に何を入れるか」という入れ替え可能な部分で差別化を図るしかなく、非常に小さな違いしか見出せなくなる。

ストーリーもキャラクターも、バラバラに切り分けられる。自由に組み立てられる。入れ替え可能で非常に情報的、デジタル的な発想で、遠くまで届けられやすく、誰にでもわかりやすくて安全安心、品質も安定していて量産もしやすい。その反面、斬新さという面では物足りないし、インパクトも独自性も薄い。頭でひねり出した人工物の塊、自然に根ざしていないことによる不安定さ、時間の流れにも耐えられない軽さを抱えてしまっている。本当に、それでいいのだろうか、というのが一つ目の疑問。

コンテンツに対するリテラシーも磨かないとダメ?

何が良くて、何が悪いかをきちんと見極める審美眼、誰に作らせるかを判断する感覚も持たなきゃいけない

本書の初版である2004年当時よりも、はるかに「固有の作者」や作者だけに許されていた「自己表出」、「自己表現」は特権ではなくなってきている。マーケティングの手法として殊更新しいやり方かのように「コンテンツマーケティング」が取り上げられ、個人ブログや企業ブログの広報活動や、SNSのアカウント、クオリティの有無を問わない動画投稿までが一緒くたに「コンテンツ」とされている。

昨今は、本流のコンテンツ産業、情報産業ですら『ドラゴンクエスト ユアストーリー』や劇場版『二ノ国』のような、相当残念なクオリティの作品も登場している。クリエイターとして選ばれた人、メディア業界、コンテンツ業界で生活する術を得ている人たちですら、そんな状態というのは、非常に危ない気がする。

サブカルチャーの領域が拡大し、分かりやすく魅力的な記号論の集合体、マーケティング手法の結晶みたいなコンテンツが林立、乱立するようになってきたけれども、果たしてそれでコンテンツ産業が充実してきているか、豊かになってきているかと言われると疑問符をつけざるを得ない。

商業主義が行きすぎて、「数字をあげればいい作品」みたいにもなっているし、マーケティング畑ではコンテンツとしての中身はさして問われず、「誰がやっているか」、「何を取り上げているか」、「その結果、どれだけ売り上げに貢献したか」、「集客につながったか」が良し悪しの判定基準になりつつある?

Web系スタートアップや、新進気鋭のYoutuberやVtuber、その他InstagramやTiktokといった分野でも、「何がいいコンテンツか」「どういうコンテンツが評価されるのか」をよくよく考えることなく、価値判断のできない人たちが作った数字、トンチンカンな評判に振り回されて、世の中が徐々におかしなことになりつつある分野も出てきている。

その一方では、表現の中身について云々かんぬんと横槍を入れてくる、専門家でもクリエイターでも当事者でもない、声の大きい外野までいる。短絡的に分かりやすくないとダメ、危険な表現やエログロが含まれているからダメ、暴力的な表現も差別的な表現も何もかもアウト。色んなことに配慮しろ、コンプライアンスを遵守しろ?

これで面白いコンテンツが本当に作れるのか。本当に前衛的なアートが世に送り出せるのか。何が良くて何が悪いか、真っ当に判断する審美眼、リテラシーがきちんと備えられているのか。個人的には、大きな疑問符を常に持ち歩いている感覚がある。

人工物に塗れすぎ、頭で作ったものを求めすぎ、安全なだけの要素、分かりやすいだけの代物を求めすぎ。そういうやり過ぎ、行き過ぎが「真っ当な価値判断」を鈍らせる。専門家から程遠い、批評ですらないいちゃもんに幅を利かせて、本来認められるべき活動、クリエイターを萎縮させ、情報産業やその先にある消費活動、経済活動までシュリンクさせる。

これではダメですよ。絶対に。誰にコンテンツをやらせるか、そのコンテンツが本当にいいものかどうか、ちゃんと見極める、評価する、批判する。そういう大人なやり方、コンテンツに対するリテラシー教育、アートや文学、自然や身体性に対する感覚の強化をしっかりやらなきゃいけないんじゃないかと、強く思う。

もう一回、「文学」をきちんとやろう

「私語り」だけの近代文学はもういい。でも、「私」をもう一度扱わなきゃいけない

私小説が盛り上がってしまった、いびつな日本の近代文学。それはそれでいいものだったとも思うし、「身内」と「おおやけ(=天皇)」が土台だったこの国に、「公共」に対する文学を求めるのも難しかった。「自分たちの外側」が確立していなければ、「身内の中での私」や「そこでの相対的な私」、「私とその周辺」が軸になるのも仕方がない。仕方がないのだけれども、それすらも一旦昇華させて、違う形の文学を考えていかなきゃいけない。

まるっきり「私がいらない」とは言えない。「私」(という要素、要因)は欠かせない。その一方で、「私」の極端なキャラクター化、無理矢理に現実感を持たせるような「歴史」や「地勢図」を持たせる必要もない。「置き換え可能なキャラクター」や、「偽史の中の一人」、人工的にデザイン化された様式美の外側と複雑な内面を持つ「私」にもならなくていい。

大事なのは、しっかりと「私」を模索すること。「私」として表現し続けること。そこから逃げてもいけないし、何かを隠そうとしてもいけない。私の内側にこもりすぎるのも不健康だし、それは先人が散々やり尽くしたから、今さら無理にやらなくてもいい。

商業主義に走りすぎたサブカルチャー、自然や身体性に根ざさない軽さ、人工物の安全性しかないツルッとした分かりやすさに、「私」を全て委ねてしまうとおかしくなる。それを避けるためには、きちんとした文学、体臭や身体性を感じる文学、自然と向き合った分からない要素、悪い部分も丸ごと抱えた文学を考えていくしかない。

分かりにくいこと、遠すぎたりデジタル化したりすると取りこぼしてしまう届きにくい部分、匂いだったり手触りだったり、腐りやすい部分だったり、安全とは言い難い毒々しい要素だったり、苦い部分だったり醜い部分だったり。動物の部分、自然由来の部分、日本人なら元々持っていそうな部分、元々感じられていそうな部分を文学やコンテンツ、物語の部分にも落とし込んでいく。

危険な香り、動物的な野性味も含んだ分かりにくさや怖さ。そういったものも、半分ぐらいは持ち込んでみて、表現していく、文学していく。それが今後必要になる気がする。

頭で作る部分を半分、身体で作る部分を半分

記号論、代数学の技術を追求した人工的な左脳側と、正体不明の塊の部分、叫びや感情的な右脳側とを両方合わせる

どっちかの要素だけでは、届かないし受け入れてもらえないし、商業的にも鳴かず飛ばずになるだろうし、時代の流れにも負けることにもなる。数字を追いかけすぎないけれども、そこそこのファンには届けられるようにさじ加減を工夫する。全くの無毒、無臭で腐らない物語、痛みを感じない苦味ゼロの物語ではすぐに消えてしまうから、そこの独自性、分かりにくさもしっかり盛り込んでおく。

両方の調和、中庸というかバランスを取ろうとする努力が、今後全ての領域で欠かせなくなるように思う。何か一つだけに偏るのはよくないし、二元論の悪い面に落ち込むのも避けておきたい。

複雑な世界、予測ができないところへ進んでいく、身を投じていく時代においては、二元論で交わりそうにない要素、相反する要素をどちらも持ち続けること。できれば両方半々を保てるように工夫し続けること。そこが肝心になってくる。

だから、物語、コンテンツでも、替えが効きにくい部分をしっかり作る、用意する。分かりにくいこと、隠しておきたい負の部分もちゃんと盛り込むようにする。分かりやすい部分と分かりにくい部分の奥行きを持った状態を目指す、作っていく。見える部分、書かれている部分だけじゃなく、それ以外の部分、空気の部分や余白の部分も含めてコンテンツや物語として届けられるように表現していく。

見せたくないところも見られてしまう。隠したいところも見つけられてしまう。だからこその、唯一無二性。その勇気こそがアート、その告白こそが文学。その原点にもう一度立ち返って、表現者として改めて進んでいけるよう努力したい。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.08.29

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