Vol.23 「日本らしさを考えてみる」でやりたかったこと

2019.08.31

固定のタイトルをつけ、ナンバリングを付してまで一連の塊にしたかったこと、中身とタイトルとがズレ始めているのにどうしてもやり通したかったこと、10回分やってやりたかったことを、誰も興味がないだろうけど、改めてここでまとめておこう。

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そもそも、何をやっていた?

主に「過去や歴史」に触れた書籍を足がかりに、自分の考えをぶちまけていた

このカテゴリーの記事全てがそもそも、ここ2、3年ぐらいでひたすら本を読んで、独自に勉強して来たことについて、考えをぶちまける、言葉を吐き出していくというテーマの元にやっているのだけれども、その中でも「何か一定の枠と方向性をつけないと、まとめにくい」と思っていたネタがチラホラあった。それを、「あ、本の書評のつもりで手をつけていけば、多少はスムーズにまとめられる、いい感じに角度をつけながら、独自の思考をぶち上げやすいかも」と思い立ち、割と早々にタイトルからも書評からも離れちゃったんだけれども、あえてそのままのタイトル、そのままのナンバリングで、ひとまず10本分やり切ってみた、というところ。

「一からタイトルを考えなくてもいい」し、アイキャッチで悩むこともないし、本編前の枠も、本編の中も多少の型を作ることができたし、「ちょっと書きにくいネタ」を扱うにあたっては、非常に良かったのかな? それでも、「ちゃんと扱う本を読む」とか「どう言う方向、どう言う流れでオチまで持っていくか」とか、「どのネタをコアに語って、この記事ではどこを切り捨てるのか」をひたすら悩んで、書くときは書くときで毎回うん千字になるし。書くまでも時間がかかったし、めんどくささに対してどうするかの気持ちのコントロールにも時間を要したし、書いている最中も時間がかかったし。そこまでテンポよくバンバンかけていたかと言われると、それもそれでちょっと違ったかな。

まぁ、別にプロの物書きでもないし、固定の読んでくれている人、待ってくれている人がいるわけでもないし、もっと無責任に、もっと好き勝手にやりたいようにやっても良かったんだろうけど、きっちりやってしまう、やり過ぎてしまう性格から、どうしてもこういう形、時間の掛け方にならざるを得なかった、というところで。

途中から気付いた狙い、「見えないものを見る」

「書かれていない歴史」を少しでも掴みたい

みんなが知っている歴史、学校で勉強する歴史、教科書で書かれている歴史。それも、まちがいなく一つの歴史なんだろうけど、それは主流の歴史、メインストリームの「書かれやすい歴史」「書き残しやすい歴史」。「勝てば官軍」、勝った側がピックアップして都合よく編集した可能性もある歴史。

でも、歴史にはどうしても「書かれやすい歴史」、「残しやすい歴史」がある。文字や絵として資料が残っているもの、資料として残されていても、現代まで無事に残っているもの。そういうものでなければ、「歴史」としては残りにくいし、歴史の「主要人物」に関わりが薄い歴史や資料、目立つ要素の少ない出来事も、目を向けられにくい、語られにくい。語ることが禁忌になる部分、残すことが難しい闇の部分、言葉にされにくい領域も、少なからずあるだろう。

でも、骨が残らないからといって、古生物は存在しなかったことにならないし、骨しか残らなかったからといって、恐竜に筋肉がついていなかったり、表皮に色がついていなかったことにもならない。

歴史で語られる為政者や、偉大な宗教家、武人や文人でなくても人はいるし、名もなき民衆、職人もいる。それこそ、語られない人々、後世に残されない歴史の方が、ボリュームとしては圧倒的に多い可能性もある。でも、メインストリームの歴史だけを後世の立場で見てみると、「目につきやすい部分」にしか目が向かない。

学校でいい成績をとる、受験を制していい学校に行く。それだけが目的なら、それで十分なんだろうけど、個人的にはなんとなく、それが嫌だった。嫌なんだろうなということに、この10回分を通じて気がついたというか、それをなんとかするために一連のナンバリング記事を活かせないかと考えるようになった。

そこら中にある、「知らない歴史」。まるで、宇宙空間には普遍的に存在しているのに観測が難しい「ダークマター」のよう。直接的に知ることができない、全容を掴むことができないのなら、「主流の歴史」以外の光を当てて行く。色んな角度の「観測できる光、文脈」をぶつけまくると、間接的に輪郭ぐらいはつかめるのではないか。その過程で、自分の考えていることも、コアは分かりにくくても、断片的に拾ってもらえるのではないか。集めていけば、「全体の行間」をお届けすること、「書いていないこと」も伝えられるのではないか。

そういう発想、考え方でこの10本分は記事を書いていた、書いてみた。まだまだ足りないだろうし、結局何も伝えられていない、何もつかみとれていない気もするし、ただの独りよがりな自己満足で終わっている可能性も高いけれども、「亜流の歴史」や「今の日本(人)に至った経緯」が少しでもお届けできていれば幸いである。

未来に対しても、同じことがしたい?

亜流の強い光、ブレない視線を増やしたい

ハミ出している変わり者の1人として、多数派や主流派の「こうあるべき」という未来像、価値観に対して、少しひねくれた態度、素直ではない向き合い方をしてしまう。もし、その「未来図」が順風満帆で、誰もが幸せになれそうなシナリオ、考え方なのであれば、ひねくれた態度をなだめすかして賛成することもできるが、「このままでは良くない」っぽいから、「この流れ」に対して抗いたくなってしまう。

それも、「このままでは良くない」のルーツが、どうも民衆の側ではなく「指導者や支配者層」、「お勉強のできるエリートたち」の考え方、文化にありそうで、それに巻き込まれがちな「(怠惰な)人の弱さ」にもありそうなのが、より大きな問題、宿痾だなぁ、と。

「人は不合理だし、意志が弱いから仕方がない」し、「エラい人が言うから、逆らえない」から、「そのまま流されよう」? どうにもならない、抵抗しにくい強い力が働いているから、何も考えずに言われるままにする? それが我慢ならないと言うか、多数派がそう考えがちなのであれば、より一層反発してやりたくなっちゃって、より効果的な抵抗の仕方、創造するために必要な破壊とか、従来からハミ出したやり方、アウトかもしれない手法についても、必死に考えてしまっている。

「誰かが決めた未来」、「誰かが規定した社会」へ進んで行きたくない。ただ、「自分が考えた正しいと思う未来」も、周りに押し付けたくない。それでは「誰か」が入れ替わるだけで過去の焼き直しにしかならない。斬新じゃないし、前人未到でもない。すでに誰かがやっていること、「前例があって簡単なやり方」なんて自分は求めていない。

「過去の手法」で「恒久的な平和」や「(恒久的に)発展的な社会」を構築できた例も、勉強不足なんだろうけど、自分は知らない。じゃあ、今までとは違うやり方、今までとは違う考え方で未来を模索する他ない。

その回答の一つ、アイディアが、「強いはみ出しもの」や「自立した変わり者」を増やすこと。斬新な発想をする人たち、主流派ではないけれども、革新的なだけではなくきちんと原理原則に則っていて、独自の哲学やスタイルを見つけ出している、追求し続けている人たち。資本主義のこのご時世にあって、道楽としか思えないことをとことんやり続けている人。そういう「変わり者」をガンガン増やして、その多様な考え方、多様な「ブレない意見」、多様な「真っ直ぐさ」を光に見立てて、「誰か一人では想像しきれない未来」を見出して行く。

一人ではできないこと、大勢、みんなでないとできないこと。資本主義的な価値がなくても、何一つ切り捨てないで、できるだけ多くのものを未来に送り届けること。遺伝子的な多様性だけでなく、文化的、人間的な多様性も進化させて行く、未来へ持って行く。何が正解かは、時の流れ、未来の人たちに委ねればいい。

別の記事でも似たような考えをぶちまけた気もするけど、結局「そういうこと」をやりたい、できるような世の中にしたい、切り開くためのツールを届けたい、一緒に汗をかきたい。「何故、こう言うことがやりたかったのか」を考えていったら、自分は「何がやりたかったのか」を改めて見つけることになってしまった、違う表現でしたためることになってしまった。

似たようなところをひたすらグルグル回りながら、見えたこと、考えていることをこれからもう少し吐き出していこうと思うので、もしご興味があるようなら引き続きご愛顧いただければ、非常にありがたいです、と言うところで、この記事はこの辺で。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.08.31

2019.08.31

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