Vol.27 パラダイムシフト2 利益偏重への離反

2019.09.11

個人の願望や希望的観測というか、偏見まみれの記事が続いていますが、今回も似たような放言モリモリになる予感。何かしらの文献やデータを論拠にせず、ほぼ100%で個人の感想や肌感覚を頼りに好き勝手、無責任に書き散らしますので、その辺りの諸々(特に内容の信憑性や取扱い等に関して)については、あらかじめご了承ください。

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モノからコトへ価値観が変化したとはいうけれど

機能や利益、便益みたいな「分かりやすいもの信仰」と距離を置き始めているのでは?

長引くデフレの影響もあり、(可処分所得にやや余裕のある)消費者の嗜好が、具体的な「モノ」の良し悪しで判断する消費傾向から、「モノ」を中心においた前後の消費体験、利用体験をひっくるめた「コト」の良し悪しで判断する消費傾向、いわゆる「モノ消費」から「コト消費」へ変化したのではないか。というのは、私が今更述べるまでもなく、少なくともここ3年から5年ぐらいの間にはかなり言われ始めている一般的な認識なのではないだろうか。

BtoCの感度のいいマーケターやブランディング、プロモーション関係の部署をお持ちの企業や、専門家とのパイプをお持ちの方々は、「すでに取り入れている」とか「切り替えて、着々と効果が出ている」というところもおられるでしょう。まだまだ極々一部の取り組みで、全ての商品やサービス、消費者との全ての接点で実践されているとは言えないものの、増えていく傾向にあるのも間違いないでしょう。というより、新規参入するのなら、よほどクオリティの高い(モノの質に支えられた)「コト消費」が提供できていないと長く続かない、継続して利益を上げる、顧客に認識し続けてもらうのは難しいので、やれないところは遅かれ早かれ消えていく……。

ただ、なぜ「モノ」から「コト」へ変化しているのか。あるいは、ただ「コト消費」を導入すれば上手くいく、と表面的にしか分かっていない人も沢山おられるのではないだろうか。根っこの部分のパラダイムシフト、価値観の変化を理解しておかないと、その上に展開される商品開発や宣伝広告の取り組み方、マーケティングやプロモーション、ブランディングの打ち出し方を履き違えることになる。この履き違えは戦術や戦略以前の、もっと根本的な話になる。ここを見誤ったままでは、これ以降の工程でどれだけ良策を打ち出しても、「挽回」と言えるだけの展開は期待できないだろう。

何が原因か。あるいは何が要因で「コト消費」のようなまだるっこしいスタイルに変化しつつあるのか。端的に言えば、「金カネ言う商業主義」に嫌気が指している、距離を置こうとしているから、ではないだろうか。

資本主義の世の中、それも貨幣によって税金を納める世の中、それもデフレが続いて現金の価値が下がり切らないこの国において、「何を言っているのか」とお思いだろうが、その反面、同意いただける方々も少なからずいらっしゃるのでは?

ヨコ文字系と起業家、キラキラ系の皆さんがやり過ぎた

小手先の「お金捻出策」だけが氾濫した?

自分も間違いなくその中の、それも成功していない方の1人なんだけれども、この手の「マーケティング」担当やら「コンサルタント」やら、「クリエイター」やら、「Web屋さん」とか「IT起業家」とか、情報商材系とか。パッと見はちょっとカッコいいかもしれない、ヨコ文字系の肩書き、職業を名乗っている方々とか、傍目には自由を謳歌しているように思えるやや派手めな方々など。

(自分も含まれているけど)こういう人たちが、一所懸命、「どう売るか」のテクニックをお勉強して実践しまくったため、底の浅い商品やサービス、中身がないのに期待値だけ上げまくるインチキなオファーを量産してしまった。ビジネスモデルやら会計知識やら金融知識やら、「何でもかんでもIT」みたいな感じで、結局はデフレに拍車をかけるだけの提案を盛り込んだ起業をする方々、お金を生み出すことだけを必死に考えて、社会的に、産業的に何をなすか、何を残すかはあまり考えずに上場される方々も、割と見かけるのだけれども、「上手く行った人たち」を素直にリスペクトする気持ちはあまり持てない。

成し遂げたこと、やられていることは素晴らしいことなのかもしれないが、どこか「成金っぽさ」があり、負け惜しみや僻みも込めて、「そういう成功」の中身の無さ、あまりにも薄っぺらい豊かさに対して、憧れや尊崇の念を抱くのは個人的には難しい。

買わせるテクニックや、集客するテクニック、消費意欲を掻き立てる技術は素晴らしいのだろうけど、だからこそ、そこで「見える価値」について言いすぎる、特にお金について取り上げすぎることに対して、なんだかなぁと思ってしまう。どれだけ稼いだ、あるいはどれだけコストダウンさせた、あるいは「これだけの機能がついているのに、どれだけお得」、または「どれだけの価値がある貴重な商品、サービス〜」みたいな文言、オファーなどなど。供給する側、提供する側は気持ちがいいのだろうけど、受け取る側からすると正直、食傷気味。

メディアが信用できない、仕事を果たさないのも責任重大

新聞テレビも、WebメディアもポータルサイトもSNSも、信用できない

完全に崩壊して久しいジャーナリズム、信用するに足らない情報に対する姿勢、あるいはそれを受け取る一般市民に対する不誠実な態度など。情報を供給する側に対する不信感、そこまで含めた供給側の宣伝広告やマーケティングに対する警戒感も、「いいものを作れば売れる」を崩壊させたと言っていい。

「いいものを作って、(消費者の足元を見て、受けるように)宣伝すれば売れる」は誰によって崩壊したのか。正直に言えば、商品やサービスを供給する企業と、その宣伝広告を手伝う情報産業、メディアの自爆に近い。自分たちが誠実に取り組まない、真摯な態度でやるべきことをやらず、表面的なテクニック、見せ方にのみ拘泥した、あるいはそこの費用だけを増大させて本質的な改善、厄介な問題を先送りにしまくった果てに起こった、集団自殺に近いのでは?

いわゆるオールドメディア、マスコミの凋落だけに限らない。数々のWebメディアやポータルサイト、量産されまくるキュレーションサイトやブログ、動画サイトを含めたSNSの信用も、同じように下がっていく傾向にある。なぜ下がるのか。結局、「お金」を偏重しすぎた考え方、価値観から抜け出せないまま、偽りの立ち居振る舞いを続けているから。

「お金儲けしたい」ならそれをはっきり打ち出して宣言すればいい。「大して価値はないけど、売るものはそれしかないから、お金を巻き上げさせてほしい」とか、「楽して稼ぎたいから、取り上げず入金してくれ」とか。それを隠して、全然違うものを掲げて下心を満たそうとするから、「見える価値」や「モノの良さ」を前に出すものから逃げ出しているのでは?

その変化が分かっていないのに、表面だけ「コト消費」とか「ユーザー目線(になったふり)」を掲げてみても、ムダでしょう。もちろん、全ての人にこの変化が起きているとは限らないので、あくまでもごく一部、同調していただける方だけに見える反応にはなりますが……。

消費者には「情報」を提案する

自分も楽しんでいるサービス、実現したい世界観に巻き込むイメージ?

消費者やユーザーと、どう接点を作っていくか。これはかなり手探りな提案、考えになってしまうが、商品やサービスの「便益」やそれによって生み出される「利益」を押し出すのではなく、その商品やサービスの持っている背景情報、あるいはそれを取り入れることによって起きる生活の変化、その物語を前に押し出した接し方、立ち居振る舞いをする方がベターな気がする。

可能なら、「そうなりたくなる」暮らしや生き方を設定し、それに沿った商品やサービスの提案というのも、取り組まれた方がいい。供給側の都合や事情はユーザー側には関係ない。ユーザー側に憧れて欲しい生き方、浸って欲しい世界観が明確にあるのなら、自分たちでできない領域は他企業とコラボするなど、「こちら側」で勝手な線引きをしない体制、構え方を考えたい。

ここで「キーポイント」になってくるのは、「物語」。コンテンツとして提供され、それを「フィクションとして物語を追いかけて満足する」タイプの物語ではなく、「自分もその世界を味わいたくなる」タイプの物語。オープンワールドやRPGの世界で「住んでみたくなる」ような、肌触りや手触り、空気感を重視した「その中で暮らす、遊ぶ」ための物語を指す。

だから、頭の中でこねくり回した「面白いストーリー」でも「目新しい組み合わせのキャラクター」や、「斬新なプロット」は重視されない。あくまでも、日常の中の「物語」。ケの物語。そこが「いつでも楽しい」や「いつでも居心地がいい」かどうか。「そうなりたい」暮らしに浸れるか否か、近付けるか否かは、大きなポイントになる気がする。

だから、提供する側の「自分ごと」かどうかも重要になってくる。自分はどんな暮らしが好きか、どんな社会を目指そうとしているか。自分が見つけ出したもの、自分が味わっているものをおすそ分けする感覚。あるいは、一人では実現できないけども世に訴えかけたい社会、世界観があるから、そこに一緒に加わって欲しい、ともにその未来を目指しませんかというオファーをする感覚。

未来を総合的に、でも自分らしくプロデュースする意識、あるいはキャラクターを提案する、大勢を巻き込む舞台の脚本を書く、演出や舞台美術を考える気持ち。そういうテクニックだけど、テクニックだけじゃない部分、自分の中にあるものを引っ張り出してこないと差別化が難しい部分も、これからは大切になってくるのではないだろうか。

見えない豊かさ、分かりにくい豊かさが大事

「お金に置き換えられるモノ」を押し出しすぎない

見えない豊かさが大事だからと言って、見える部分が余りにもお粗末なのはいただけないが、見える部分だけ、お金で買える部分、あるいは置き換えることが可能な部分だけが豪華なのも、これからは求められにくくなる。

入り口は広くても、知っていけばいくほど奥行きがあるようなユーザー体験、何度も体験していけばいくほど「折りたたまれた」背景や情報に気がつくことができる、紐解くことができる、解釈する楽しみが広がっていく。

それをやり遂げるには、分かりにくい部分のリテラシーも高めて、実践できるようにしておく。あるいは、どうしたいかを伝えられるようにしておく。少しずつ理想を模索していける探究心、誰かと一緒に作っていける根気強さやコミュニケーション能力も高めておけると、より理想的ではないだろうか。

「どれだけ稼いだか」で勝負しない。「どれだけ価値があるか」をひけらかさない、そこで何かしようとしない。言葉巧みに騙そうとしない、弁舌さわやかなのは結構だけれども、真摯さと誠実さとを忘れない。それが、何よりも大事。

消費者を「消費者」と区切るのではなく、共に生きていく相手、一緒に好きなものを楽しむ仲間として、長く寄り添う存在として認識する。それでも、「親しき仲にも礼儀あり」みたいな感覚で、ちゃんと対峙する。その責任を負うため、線を引くための関係として、「お金」や「交換」を利用する。そういう感覚を持っておくと、いつか何かの役には立つかもしれない。保証は一切しないけど。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.09.11

2019.09.11

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