Vol.29 マーケットインは50%ぐらいで良いと思う

2019.09.12

似たような切り口の話を、角度を少しずつ変えて小出しにしている気もするけど、どう見えるかはあまり気にせず書いて行こう。今回も、文献もデータもなしに、好き勝手かつ無責任に言いたいことを書き散らしていく。

この記事は 約 9 分で読めます。

プロダクトアウトより、マーケットインと言うけれど

「ユーザーの声」を真面目に拾うと、消耗戦になる

市場を無視して商品開発、サービス提供を行うな、というのはよく分かる。供給する側の勘違いをすり合わせないまま、「これは良いものだから、受けるに間違いない」と明後日の方向に全力を出すとトンデモナイ事故になりうる。それもよく分かる。

その一方で、ユーザーや顧客の注文に一所懸命応えるだけというのも、良策とは思えない。Web屋さんや販促ツールを作るデザイナーさんのような、受託の場合は特にどんな地獄が待っているかはお分かりだろうが、自前の商品やサービスを提供できる立ち位置の企業さん、サービスオーナーさんであっても、マーケットイン100%、市場の声から顧客満足度100%を狙いにいくと言うのは、相当な負荷がかかるように思われる。

利益を出すため、お客様に満足していただくため、仕事だから仕方ないという意見もよく分かるが、全てに対応できたからといって、いいことが待っているとは限らない。ただひたすらストレスをかけられただけで、満足とは言えない利益、正味の人件費等を差っ引けば赤字にしかならない仕事も、チラホラあるだろう。辛うじて赤字を免れたとしても、自分たちの得意でないことまで求められ、それに応えるべくパフォーマンスを下げまくった現場の方々は、その後もしばらくパフォーマンスが落ちたままになるかもしれない。そうなると、ハッキリとは分かりにくい微妙なパフォーマンスダウン、微妙な利益の低下が現れる、場合によっては長引く可能性もある。

そうやって応えたことが実績となって、本来評価されたいところ、積極的に再生産したいところとは違うところ、不得意なところ、過去に僅かな利益を出せたところばかり、発注や販売実績が増えることにもなりかねない。

また、マーケットインに力を入れていくと、一つ前の記事でも触れた「ドロ沼の戦い」にも引きずり込まれることになる。売りが「お金に替えられるもの」になりがちで、他社の参入も比較的容易にもなりがち、宣伝広告でアピールするのも、「(他者や他製品と比較して)いかにメリットがあるか」になりがち。こうなると、自社の優位性はどんどん小さくなっていく。安心材料も時事刻々と減って行き、一旦売り上げを挙げられても、顧客をロストしてしまえば途端に足元がぐらついてしまう。

とにかく売ること、目先の利益を上げること。他者より先んじて、他社より便利なもの、機能性に優れたもの、見栄えや希少価値に優位性があるものを探して、頑張って商品開発、サービス向上に力を尽くす。その結果、自他共に旨みの部分、利益や独自性の部分が小さくなっていって、結果的に「働けど働けど」のサイクルにも陥ってしまう。

とにかく働かなきゃいけないと言う意味の「貧乏暇なし」ではなく、利益の薄い面倒なこと、コストがかかる割にリターンの小さい部分にやたらと時間をかける、惜しんでも良さそうな手間暇をかけまくると言う意味での、「貧乏暇なし」になってしまう。時代の変化や、技術のコモディティ化、オープンソース化などの取り組みも、時間と共に価値を目減りさせていく。消費者も消費者で、シェアリングサービスなどを多用するような消費者は、実際はどんどん可処分所得が減っていくサイクルに身を置いてしまっている。

こう言う時に大切なのは、一旦足を止めてリセットすること。自分がやりやすい方向、進むべき方向を見定めてやるべきことをやる、それができるように切り替えていくことなんだけれども、なぜだか盲目的に「前と同じこと」や「昨日と同じこと」をやりがち。やるべきことをやっていっても簡単に抜け出せないトラップなのに、比較的早い段階で心が折れて元の木阿弥、と言うのもよく見かける。とても悲しいことなんだけど、仕方がないんだろうなと諦めの気持ちも抱いてしまう。

マーケットインで勝負すると、「強い打ち出し方闘争」にも陥る

「分かりやすい違い」の中から選ばれるために、強い表現を探しがち

商品やサービスの質そのものも問題になるが、それ以上に厳しいのが宣伝広告の局面。価格や利益のような、市場性の「メリット」を追求した商品、サービスを宣伝広告、PRしようと思うと、凄まじいレッドオーシャンに自らお金も身も投じることになってくる。実際に顧客と接点を持つ手前の段階、営業や広告の時点、認知獲得の段階、覚えてもらえるか否かの領域で、理屈だけでは勝てない激しい戦いが展開されていると言うのに、後発で知名度も潤沢な資金もないのに、無策で飛び込んでいっても死ぬだけだ。それでも、分かっていても突っ込んでいくのが、日本人なんだろう。

万が一それで伝わったとしても、市場性の「メリット」に注目したユーザーがやってきがち。そういうユーザーは、他の「表面的なメリット」で優位なものが出てきた場合、すぐに乗り換える。あるいは、2回目3回目と継続して利用してくれる可能性が高くない、一回限りの一見さんに終わる可能性も十分ある。

最も手間とコストがかかる新規顧客開拓なのにも関わらず、利益の薄い商品、サービスだけに接触して、自社の価値を好き勝手にああだこうだと言いふらす。それが、広告代理店に無理やり作らされた商材、サービスでたまたま質が良くなかった、強みや売りがあまり活きない部分だったとしても、メリットしか見ていないユーザーには、おかまいなし。価値が分からないユーザーのネットワーキングで、被らなくてもいい損を被ってしまう。作らなくてもいい無駄な在庫、無駄なコストを咲いてしまうことにも繋がりうる。

最も出会いたいはずの、「違いのわかる顧客」、「長く付き合ってくれそうな顧客」とは、残念ながらこのやり方では出会えない。打ち出し方のそもそもが間違っている、と言うのはすでに他の記事でも触れた通りだ。良質な顧客は、「誇大広告」は見破る、期待値を上げすぎた「中身のない商品」は見向きもしない、強い押し出し、刺激が強いオファーには警戒感を抱く。つまり、「マーケットイン」主体で商品やサービスを開発する、宣伝広告すると言う時点で勝負の仕方を間違えていると言っていい。

恐らく好まれるのは、一時的な「派手なメリット」や分かりやすい利便性、刺激的な文言ではなく、長く一緒に過ごせるかどうか、日常生活を少しでもアップグレードさせてくれる信頼感、安心感を有していること。「ハレ」をアピールするよりも、「ケ」を考える。「普段遣い」、「定番」の中に潜り込むような打ち出し方、アピール方法に切り替えていこう。

これからのキーワードは、「長く付き合えるか」どうか。安心感と信頼性、生活を着実によくしてくれる、向上させてくれそうな「静かな期待感」も、ポイントじゃないだろうか。

マーケットインは、受け身な商品開発、サービス展開にも繋がっていく

どうしても反応的、受動的、相手主導になっていく

宣伝広告がイケイケの打ち出し方になるのに、実際の商売としてはかなり消極的、市場任せ、相手任せな構え方になりがち。もちろん、市場の展開やユーザーの動向を見た上で、未来予測した商品開発、サービス開発をしていくのは有効だろう。ただ、それ一辺倒で、「理念」や「自分ごと」抜きで頑張って見たところで、必ずしも上手くいくとは限らない。

上手くいった場合は、動機が外発的、「利益が出るから」とか「誰かの役に立つと思ったから」になってしまって、これもこれで依存しすぎてしまうのは危険なスタイル。自分が頑張ってみたところで、必ずしも欲しい結果が得られるとは限らないし、斜め上のフルスイングをかますことにもなりやすい。勘所を抑えていたつもりでも、実際は全然何も見えていなかった、気がついたら競合他社に囲まれている、あるいは時代が予測しない方向に変わりすぎて、思い描いた市場環境、経済状況にならなかったと言うことも十分ありうる。

相当反応的、外発的な動機付けで動かなければならない割に、周囲への言動は不必要なぐらい積極的、押せ押せのスタイルでやっていかないと上手く回らない。このチグハグな感じ、無理をしなくてもいいところで無駄な努力をしてしまっているやり方は、大抵どこかで破綻する。無理は長続きしないし、道理を抑えていないこと、普遍的な法則にかみ合っていないこと、頭と体がかみ合っていないやり方というのは、いつか痛い目を見る。極力避けられた方が無難でしょう。

自分ごとのプロダクトアウトも、50%ぐらい入れる

相手にも合わせつつ、「理念」もブレさせない

「自分たちはこうしたい」という理念があれば、どんなにマーケットインな商品開発、サービス開発をやってみたところで、必ず「自分好み」のものが出来上がる。あるいは、そもそも現状の市場すら見ずに、自分たちの作りたいものを採算度外して、とことん好きなものを追求して、とんでもないものを生み出すこともあり得る。

そうやって、「好きすぎて作ったもの」を「よかったらあなたも一緒にどうですか?」と相手に差し出す、おすそ分けする感覚のプロモーション、商品自体には主体的なのに、外向けにはやや消極的になりそうなぐらいが、実はちょうどいいんじゃないでしょうか。

どっちも、「いずれか一方の考え方100%」ではバランスが悪いというか、片面だけを見るところはいかにもニュートン的、全時代的な感じがするので、一番いいのは、プロダクトアウトもマーケットインも50%ずつで考えること。自分ごと、自分の好みや希望も50%、相手の望むこと、市場が求めることも50%で着地点、一致点を探る。

内発的動機付けで出来上がってくるものと、外発的動機づけによって生まれるものと、ちょうどいいバランスを探る。ちょうどいい塩梅の商品、サービスを考えて、それをちょうどいい塩梅の反応性と主体性とを持って宣伝広告する。期待値を上げすぎず、「ハレ」にも「ケ」にも対応した打ち出し方を見つけ出す。その努力を惜しまない。

そんな中庸の姿勢、自分も捨てない体制が、これからの時代には必要不可欠になるのでは。皆さんも少し、考えてみるのはいかがでしょうか……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.09.12

2019.09.12

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