Vol.31 承認欲求 x SNSに気をつけたい

2019.09.19

根拠のない私見、ここ数年で溜め込んでいたアウトプットしておきたかったことを書き散らすシリーズも、いつの間にやら30本以上? 似たような話を別の切り口で書いているだけにも思えるけど、それでもアウトプットし足りないので、誰の目も気にせず書いて行こう。

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手軽に褒められやすい世の中と、承認に対する渇望と

一抜けするための力と足場が手軽に欲しいのも、よく分かる

自分の才能を見てもらう、認めてもらうための機会はメチャクチャ増えた。何が出来るか、何が作れるかを見せるためのコスト、作り出すためのコスト、届けるためのコストも格段に下がってきた。作るために必要な訓練、修行もジャンルややる人によってはほとんど必要ないものもある。

スマホ一つで踊ってみてもいいし、歌ってみてもいいし、ショートフィルムを作ってみてもいい。きちんと許可を得た上で、路上ライブをやったっていいし、アイディア勝負の企画動画なり、ブログ記事、写真で耳目を集めてバズることを考えたっていい。小説の投稿だって、イラストや漫画の投稿だって、十年前、十数年前に比べると格段に裾野は広がっている。

ちょっぴり閉塞感を感じる日常から、才能一つ、アイディア一つで抜け出して、一躍有名になってチャンスを掴むためには最も手っ取り早く、最もコスパのいいやり方かもしれない。そもそも、勉強や運動で褒められることがない、愛されることに飢えている人の場合、そういう路線でなら褒めてもらえる、認めてもらえると取り組んでいるかもしれない。

衣食住は足りている。地方都市で普通に生きて普通に老いていくには何の不自由もないかもしれないけど、刺激が足りない、つまらない。狭い世界、息苦しさを感じる世界で生きている感じ、誰かに認めてもらう、求めてもらう喜びを感じたい、そういう欲求を満たしたいという気持ちが渦巻いている、膨れ上がっている人も、多少はいるかもしれないし、そういう気持ちはよく分かる。似たような年代の人や、近い地域の人、一見何でもなさそうな人が自分より注目されていて、有名になっていることに嫉妬してしまう、鬱屈した気持ちを抱いてしまうのも、よ〜く分かる。

でも、この一種のトラップといってもいい状況に、無自覚のままハマっていく、突っ込んでいくのはよく考えた方がいい。承認欲求とSNSが組み合わさった巧妙な罠が、非常に有能な人たちによって仕掛けられているということは理解しておこう。

同質性の高い「内輪」に、「上手さ」を褒めてもらう虚しさ

審美眼が不確かな相手に向けて、「分かりやすさ」を追求しがち

全てのSNSは網羅していないし、使いこなせてもいないけど、基本的には身近な人、趣味嗜好や属性の近い人に対して、コンテンツのやりとりなりコミュニケーションなりをするのではないだろうか。知的レベルや審美眼、リテラシーといったレベルも、まるっきり違う人とはいきなり出会わない、交流を持つことはないだろうから、色んな意味で「自分に近い人」とネットワークを結びがち。

そうなってくると、「自分が知っていること」や「自分が分かっていること」を受け入れてくれる人、好意的な意見を返してくれる人とのやりとりが多くなりがち。そういう人たちが好意的に褒めてくれる、承認してくれるコンテンツを投稿していくとどうなるか。ウケを狙いにいった、「(そのコミュニティの中で)誰にでも分かりやすい上手なコンテンツ」を追求するのが一つの答えではないだろうか。

こうなると、ある意味仕掛けた側、SNSを提供してくれる優秀な方々の思うツボだろう。「分かりやすい」ということは、多少の見栄えが異なっていても、「過去に前例があるもの」の変化系。上手に編集を加えてみたり、今風の脚色が加わっているレベルのコンテンツ、作品も最近はそれほど多くなく、「ちょっと自己流」が加わって、ニューフレーバーっぽくなっているのがいいところだろう。

後は、単純に先人の作ったコンテンツや先人のやったことをトレースして、「どれだけ上手に再現できているか」が一つの軸になってくる。上手くコミュニティの外に出られた時も、「ウケがいいもの」をやりにいくと、まずは「お上手ですね」と言われるところを目指してしまうだろうが、これも巧妙な罠の一角。上手さを追求してみたところで、中身がなければオリジナルには太刀打ちできない。

見せる相手、審査してもらう相手がきちんとした相手、リテラシーなり資格なりがきちんとある相手なら、まだ意味もある。自分より優れた人に、「自分はどこまでやれているのか」とか「自分のいいところや悪いところを判断してもらう」つもりで「上手さの診断」をしてもらうのは自他共に価値がある時間の使い方だろう。

ただし、「SNSの友達」や、「ウケを狙いにいったコンテンツ」に対してすぐに承認してくれる人というのは、必ずしも「そういう人」であるとは限らない。そのジャンルや、コンテンツに対するリテラシー、審美眼をきちんと持たず、ただ「何となく」で「内輪基準」でのいい悪いしか返してくれない。

内輪で褒められること、認めてもらうことに時間を費やす、リソースを投入するというのは、非常に虚しい。次に繋がる保証も、投じたリソースを回収する、再投資する可能性も決して高くない。にも関わらず、承認に対する渇望、SNSの中、内輪とはいえ誰かに認めてもらう気持ち良さにどっぷり浸かってしまうと、空虚な時間の使い方、無駄な努力に繋がりかねない。

趣味でやっているからいいとか、向上心を持ってやろうと思っていない、自分が満足すればそれでいいという方なら、そのままでもいいんだろうけど、それではあまりに勿体無いのでは、という気もしてくる。せっかく取り組むのであれば、もっと高みを目指して、表現者として追究する道を選んだって良さそうなのに……。

アマチュアリズムの報酬を、外に求めるのも違う気がする

「褒められるために努力する」、は「関心の輪」

一つ前の記事で、「外はプロ、中はアマチュア」とアマチュアリズム、愛好精神や求道精神で、自分の喜びのために物事に打ち込むことは素晴らしい、好きな奴にはかなわない、という話をした。ここで、その喜びや打ち込んだ見返りを、外部からの承認欲求に依存するのは、あまりよろしくない。結局、内発的動機づけのはずの考え方が、外発的動機づけ、自分の外、相手や第三者に依存した状態、自分で制御できない部分に比重を置いていることになる。これでは、「自分の人生を生きる」のは難しい。

褒められるのは嬉しいし、「これが素晴らしい」と自分が打ち込んでいる事や物に対して、相手や世間から認めてもらえる、何らかの価値が付与されるのも嬉しい事なのはよく分かる。半分ぐらいは、経済的なそれを求めて取り組んでいくというのもよく分かるんだけど、あくまでも手段や結果の一つであることを忘れないようにしよう。

褒められる事、認められる事、承認欲求を満たすことが目的や目標になってしまうと、最終的な着地や取り組んでいる最中の気持ちの制御ができなくなる。ブレブレのまま打ち込んでも、「好きこそ物の上手なれ」や「無我夢中」の境地には至れない。内側から出てくる自分の欲、喜びに素直になる、集中するためには、何が主体で何が付属かをきちんと見極めて、振り回されないように注意しよう。

世間は案外、ちゃんと見抜いている?

伸びていくのは、その人にあった表現、コンテンツだけ?

表面的な上手さ、豪華さ、それにぶら下がった評価なんて、意外と世間、内輪の外にいる多くの人は価値があると思っていない? その人らしい「中身」や、その人に合った「表現」が組み合わさっていないと、十分にハネることは難しい気がする。

表現している人が本当にやりたいと思っていることかどうか、ウケを狙いにいった下心があるかどうか、市場の普遍的な物差しに照らし合わせて価値があるかどうか、より多くの人にハマりやすく、好きな人には強く響くものになっているかどうか。そこを、意外とちゃんと見抜く人、見出してくれる人がいる?

それまでの取り組みとか、技術云々なんて、結局は二の次三の次、人から切り出されたコンテンツ、作品がどれだけ素晴らしいか、身体や心に訴えかけるものがあるかどうか。時代を上手く捉えて、運を勝ち取れるかというポイントもあるけど、「内輪受け」だけで評価されていたコンテンツや、恐る恐るやっていた表現、世間一般でウケそうなレギュレーションなんていうのは、本当のところ、やるだけ無駄なのかもしれない。だからーー。

褒められるより、顰蹙を買おう

諸先輩方の鼻を明かそう、思いっきり尖ってやろう

もちろん、それに足るだけの外側、十分なテクニック、プロフェッショナルさも必要になる。やった後に狼狽えないだけの心、精神性を身につけておくことも欠かせない。何か突っ込まれたり、批判されたりしても、きちんと反論できるだけの先人へのリスペクト、知識やリテラシーというのも大事になってくる。

その上で、必要以上に萎縮しないこと。過度に1世代前の人に「お上手ですね」と認められようとしないこと。どうせ褒められるなら、それ以上上の世代、本来の価値を知っていそうな世代にだけ認めてもらえるように、見せ方、伝え方を工夫していったほうがいいかもしれない。

直前の世代、直後の世代とはどうしたって対決する。そこで、上の世代に「お上手ですね」とウケを狙って卑屈にせまる、自分から懐柔されて懐に入っていくというのは、あまりオススメできない。向こうはそれでヨイショしてくれるかもしれないが、そうやってキバやホネを抜く、抑え込むのが本音かもしれない。

横の世代、世間に対しても、過剰に気にしすぎない、配慮しすぎない方が、多分いい。もっともっと、自分のやりたいようにやろう。法令は守るべきだが、コンプライアンスを盾にした自粛云々はガンガン無視して、暴れてやろう。そこで伸び伸び、思い切って振り切った表現、コンテンツを出してやった方が、あなたのためにも世間のためにも、応援してくれる人たちのためにもプラスになる。

「沢山の人に褒められる努力」より、「認めてもらいたい人に届ける努力」を。「誰にでも分かりやすい流行りの表現」より、「分かる人にしか分からないツウ好みの表現」を。炎上は上手く避けつつ、丸くなるより、星になりたいもんですね。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.09.19

2019.09.19

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