Vol.34 「エッジが立っている」に抱く小さな違和感

2019.09.20

一通り言いたいこと、溜め込んできた言葉はアウトプットできた気がするけど、後もう少し残っているようなので、ちょっと前にモヤっとしたこと、違和感を覚えたこともこのタイミングでちょっとずつ出していく。まずは、「エッジが立っている」への違和感から、私見をぶちまけよう。

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最近の「個性的」が小さくなっている?

「エッジが立って」いても、何も傷つけないエッジな気がする。

表現するためのツール、手段は増えているし、コストダウンも著しい。何かを成功させたければ、踏襲したい前例を検索するなり、ノウハウ本を探せばいくらでも手に入れられる。ちょっと「やってみよう」と思えばなんだって試せる時代。承認欲求を満たそうという想いも余所に、「やってみたこと」を世間に見せるというのも、ザラにあるだろう。

老若男女、年齢や属性を問わず、色んな人が色んなことをやっている。そこに一風変わった表現が含まれていたり、若いのにも関わらず、様々な経験を有している人材に出会うことも珍しくない。働き方も雇用も多様化しているから、20年前、30年前ぐらいの物差しで見てみたら、「個性的だね」とか「エッジが立っているね」と言いたくなる人たちも、当時よりは格段に増えているだろう。

しかし、社会的に有用ではなく、価値があるともとても思えない領域で、「変わり者」と言われ続けている立場から、そう呼ばれる人たちを見ていると、どうにもその「変わり方」や「エッジの立ち方」が小ぶりというか、「それで個性的と言ってもいいの?」と言いたくなるレベルの人たちも沢山いるような気がしてならない。

確かに、「その他大勢」とはちょっと違う人たちだろうし、色んな才能もあるし、市場価値も認められている方々なんだろうけど、普通の人たちの中で生きて行けてる、あまり苦労することなく「人と同じ人生」や「誰かの定めたルールに素直に準じられている」ところからすると、本人の努力もあったり、環境の良さもあるのだろうけど、そこに「個性的」という印象や、「エッジが立っている」という感覚は、個人的には抱けない。

世間的に許される範囲、大衆的に認められやすい範囲内での、一風変わった新味、ニューフレーバーぐらいの、小ぶりの個性。ごくごく小さな変化の、底の浅い「変わりっぷり」に思えてならないんだけれども、ただのやっかみ、僻み根性だったりするんだろうか?

「個性的な変わり者」は、まだまだ受け入れられていないのでは?

ダイバーシティと言いながら、排他的な空気は変わっていない気がする

本当に、「変わり者」が増えていて、受け入れてくれる人たちも増えているのなら、この国の地方創生も社会変革も、もっとスムーズに動いているだろう。変わり者も、一風変わった考えも尊重される、敬意を持って取り入れてもらえる、真っ当に議論できるようになって入れば、目の前にある社会よりも遥かに柔軟で、もっともっと変化に富んだ世の中になっている。

でも、実際は、地域を変えるかもしれない余所者や若者、変わり者、新しい考え方はほとんど歓迎されていない。何かを変えようとすれば横槍が入るし、地方創生の取り組みは、色んなところで排斥されている。

結局、「今の自分たち」を脅かすレベルの変わり者、脅威となる力を持った変化は、多数派を牛耳る人たちに認可されていない。制御しやすく、扱いやすいレベルの変わり者、(小さな)エッジが立った便利な人材は可愛がられる。そうやって大きな脅威になる前にキバを抜き、骨を抜き、自分たちのいいなりになるよう、逆らえないように懐柔していく。

その便利な褒め言葉、称号としての「個性的」や「エッジが立っている」という評価を与えている? だから、その「小粒ぶり」というか「いい子ちゃんぶり」、世間一般との馴染みの良さ、埋没しやすさ加減に違和感を覚えるのだろう。

そうでなくても、現代はとにかくコンプライアンスにうるさい時代。何でもかんでも配慮して、自粛しろと圧力に近い動きも起こる時代。変わり者として堂々と、その変わり者っぷりを表現していく、アピールしていくにはあまりにもリスクが大きすぎる。変な奴だという、デマに近いレッテルも貼られやすいし、バイアスのかかった情報操作で叩きまくるのも容易な時代でもある。「エッジが立っている」ぐらいに押しとどめて、無害であるふりをした方が賢明なのも、間違いないだろう。

個人的には、容易には受け入れがたい変わりっぷりの方がいい

受け止める人によっては化け物、恐怖や嫌悪を覚えるぐらいの尖りっぷりを出してみたい

自分の屋号にもしている「仮面ライター」には、そういう想いも多少込めている。ネタ元の仮面ライダーって、もともと「そういう存在」でしょ? 見る側が受け入れられやすいように、ヒーロー然とした見え方、見せ方になっているけど、実際にいたとしたら、彼らの敵であるモンスターたちと、何も変わらない。

「普通の人」からはみ出している人たち。「普通の人」のふりをしようとしても、どこかでボロが出て怖がられる、力の強さ、能力の高さゆえにコミュニティから追い出される。そういう、疎外されてしまう人たち。

「本来の変わり者」も、基本的にはそういう人たち。世間一般にはなじめず、集団生活に収まりきれず、どこかで自分を抑えきれない、みんなの尺度に収まれず、どうしても自分の世界に入っていってしまう人。でも、そういう変わり者、強烈な奇人変人たちが、数々のイノベーションや名作を生み出してきたのも、また事実。生み出した作品や考え出した哲学、技術が世の中を大きく変えている。

今の日本に、本当に必要なのはそういうレベルの「変わった人たち」。支配者層、現在力を持っている老人たち、権力や財力を有している先人たちに都合のいい、制御しやすいちょっと変わった子、便利に使える「エッジの立った人材」では物足りない。変わり者具合が今ひとつ。

ちょっと違うだけ、組み合わせがちょっと新鮮なだけの新味、新フレーバー程度の変わり具合ではなく、完全に見たこともないレベルの変わり種、簡単には理解が及ばないレベルの新しさをもたらすような、強烈な奇人変人。そういう人なんだというのを、個人的にもそろそろ打ち出していくべきなんだろうな、と思いつつ、「簡単に打たれる杭」から脱する方法、潰されないレベルの変わり者になることを目指して、日々自分磨きに勤しむ今日この頃です……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.09.20

2019.09.20

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