Vol.44 正しさのタイトロープからは、もう降りる

2019.09.27

考えていることのアウトプットが、だいぶ個人的な事案、身の回りの思考やスタイルの開陳になってきているけれども、事前にアウトプットしておいた方が今後も誰かに説明しやすいように思うので、この機会に出していこう。今回は、自分の守備範囲について。

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何が正しいか、誰が強いか、上か下かという路線は誰かに任せる

王道の競争、人類史的にも価値がありそうな行為は、相応しい人がやればいい

何が正しくて、何が間違っているのか。「正解」を追求する生き方、働き方というのも世の中にはあるだろう。正解が明確にある学問の世界というのも、きっとある。過去に起こった出来事に対し、真相解明、追求するのも面白いとは思う。

陸上競技の短距離100メートル走や、「世界の大富豪」とか「ギネス記録」みたいな、同じ価値基準の中において、誰が優れていて誰が一番かがハッキリ分かる世界で、そのいただき、一番上を目指すという生き方も立派だと思う。

でも、どちらの路線も、弱肉強食の世界、序列がハッキリしすぎていて、「これが正解」という方向、領域がとても狭い。客観的にみても、「天」基準で考えてみても優劣がはっきりつく領域でもあるが、その戦いを制するために必死に熱をあげるというのは個人的には向いていないような気がする。

自分より頭がいい人がいる。自分より肉体的に優れている人もいる。自分より恵まれた家庭に生まれ、その恵まれたものを活用して運を掴みとれた人もいる。失敗とは無縁か、失敗したってリカバリーできる運に恵まれていた人もいる。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」、何かにチャレンジするための平等、機会の平等は確立されていても、結果は平等ではないし、前提条件もリソースも不平等。だからこそ面白いし、努力のしがいがある。勉強の価値というのも、その辺りの要素が全くないとは言えない。

ただ、ゲームクリエイター、それもシナリオライターを目指して大阪電気通信大学に入学し、結局内定を得ることなくデジタルゲーム学科を卒業し、就職支援のトライアル雇用、インターンシップを活用したにも関わらず、正社員になることなく早々に自営業を選び、順風とは無縁、順当に場数を踏みまくる状況とも無縁のまま来た身としては、「そういう路線」で勝負することはもうできない。

太い実家があったり、強い人脈を築けていればまだ違っただろうが、失敗に失敗を積み重ねたこともあり、真っ当な路線、正統派の競争にもう一度参入する、まともなやり方で競合他社や諸先輩方、後からくる優秀な若者たちに太刀打ちできるとはとても思えない。

だから、「そういう路線」は「そういう人たち」に頑張ってもらう。何が正解かは自分より賢い人たちがやるだろうし、スポーツの世界記録は肉体的に優れた人がやるだろうし、「どれだけ稼いだか」とか「素晴らしいイノベーション」みたいなものも、ほかの優れた人たちがやる。

正しさ、正解、序列が明確になるランキングという選ばれた人たちの世界、圧倒的な少数派のための狭い世界、立派な人生、立派な生き方というのは、それがやりたい人、それができる人たちにお任せしよう。

「正解じゃないこと」も一杯ある

無限にある「間違っていること」を追究したい

「正解」や「正しいこと」は、一つしかない、数が少ないからこその強さ、完全無欠さを誇っているが、だからこそ面白みにかけるというか、「その路線」に馴染めなかった人に対してはあまり優しくない尺度、考え方な気がする。

「正解」や「自然淘汰をくぐり抜けて生き残れたカタチ」の周りには、「そうならなかった間違い」が沢山転がっている。絶滅した生き物、間違いだった考え方の方が、「正解」や「正しいこと」よりも遥かに多い。「そりゃあ、絶滅するよ」みたいな古代の生き物、「上手くいかないよね」と思われる商品、サービスも山ほどある。

でも、何かが間違っていれば、その「間違い」の方が正解だった可能性がある。時代が変われば、「あれは早すぎたけど、正しかったね」みたいなモノもある。単体では正しくなかった考えや材料も、組み合わせ次第では「正解」や「勝者」になるモノもある。失敗や間違いがなければ、今の世の中に存在していなかった後発組、当時の「負け組」がのちの巨人になることもなかった。誰かが思いっきり間違える、あるいは正解だと信じて突き抜けなければ、あとからそれが生きること、失敗を踏まえた対策というのも生まれない。

「正解」や「正しいこと」にも素晴らしい価値はあるが、そこに価値があるのは、沢山の間違いや失敗の上に成り立っているから。失敗や間違い、正しくないこと、正解じゃないことにも価値はあるし、一所懸命やったことに無駄なことなんて何もない。

でも、「正しさ」や「選ばれた人たちの勝負」にこだわると、その間違いや失敗が見えなくなる。とんでもない間違い、面白いことも生まれなくなる。淘汰の圧、時間というふるいにかけられる前から、自分のやりたいこと、得意なことを封印してしまう。そこで生まれたかもしれない新たな間違い、「次の成功の元」を諦めることになる。

だから、思い切って「正しさ」を諦める。「誰かと同じ路線での競争」も諦める。他の誰かと競い合って勝てるかどうか、勝負に勝てるかどうかをそもそも気にしない。そこでの勝ち負けに一喜一憂するときもあるだろうけど、基本的には全て放棄する。その上で、正しくないこと、間違っていること、思いっきり変わっていることに取り組んで行く。全力で向き合ってみる。

そっちの方が面白いし、そういう「オモロさ」を追究する、貫き切るという生き方もあるように思う。

正しさ以外のものさし、価値基準も大切にする

自分なりの程よさ、多様な物差しがあって良い

価値を認められる基準が一つしかないと、世の中は途端につまらなくなるし、ドライな世の中、潤いも遊びもない社会になってしまう。ギスギスしたり、ガツガツしたり、そういう押しの強い人たちだけが楽しそうにやる、そうでない人たちを下に見る、虐げるのも正しくない気がするけれども、勝てていない、負けた人たちだから受け入れざるを得ないのだろうか?

全くもってそうは思わない。世の中には、色んな価値観、色んな表現、色んな考え方があって良い。客観的に価値があること、歴史的に意味のあることは、それが得意な人、それをやりたい人がやればいい。その上で、今の世の中で面白いこと、特定の分かる人たちだけに価値のあることだってあって良い。

正しくあること、王道の競争で勝負すること、勝ちを狙うこと。全部放り出して、自分が好きなこと、自分が追究したいことに集中する、注力する。その上で周りを巻き込んで行く、認められることを見つけて行く。孤立することなく、変わっていることを認めあえる世の中、変わっていることを求められる世の中に持っていきたい。

だから、間違えまくってみる。失敗しまくったことを、これから少しでも活かせるようにしていきたい。

厳しい世の中、時代の変化を乗り切る手腕とともに、柔らかい心、素直な感性を持って、世の中を少しでも面白く、豊かな世界に変えていきたいのだけれども、これはこれで茨の道なんだよなぁ……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.09.27

2019.09.27

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