Vol.47 「他人への期待」と過剰な支配欲

2019.09.27

どんどん細かいところに入り始めている気がする、アウトプット祭りの最終盤。今回は、「他人に期待する、しない」というフレーズ、言い回しに対する違和感を整理していく。今回も文献もデータもなしに、無責任に書き散らそう。

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「他人に期待しない」って、なんか変

そこに込めているニュアンスも、突き放した言い方にも違和感がある

個人的な観測範囲の話にはなるけれど、「他人に期待しない」はどうやら、「その人や誰かが自分の期待通りに行動しない」ことを指しているように思う。でも、この言い方、ニュアンスが「他人に期待しない」に現れてしまうと、それを口にする人がとても損をするというか、ちょっぴり残念な思想の持ち主だというのが、外に漏れ出しちゃうんじゃないかと思う。

というのも、「他人に期待する」というのを個人的な願望も込みで言い換えると、「その人の将来に明るいものを見る、託す」あたりになるから。本来の意味合いでは違うのかもしれないけど、自分としてはそういう「期待感」を強めに込めたニュアンスで、「他人に期待する」という言い方を選んでいる。

その否定になる「他人に期待しない」ということは、それの裏返し。目の前にいる人、期待しようとしていた人の将来、期待感にネガディブ、マイナスに振れるイメージを持っているということ。言い換えると、現時点がピークで、「期待されない」相手はこれから成長しない、衰退する一方にしか思えない、と伝えてしまっている、放ってしまっているように思えてしまう。

もちろん、別の意味合いで「他人に期待する」と使っていそうな人の場合、そんなところまでは考えていないのだろうが、「期待」や「期待感」に付随するポジティブなイメージ、明るい将来みたいなものまで否定される、ネガティブに反転されてしまう気がして、とても強い言い方、非常に失礼な発言になっているような気持ちになる。

で、もう一つ気になるのは、「誰かが自分が期待した通りに動かない」みたいなニュアンスで発言している、その心算、心根もやっぱり引っかかる。だって、そんなの当たり前じゃない? 自分は自分の意思で動くのだから、相手だって、第三者だってその人の意思、想いで動く。それを、自分が動いて欲しい通りに動いてくれないなんて、当たり前すぎるというか、他人のそんなところまでいうことを聞かせようとしている、指示通りに動かそうとしているとすると、それはそれで相手に対して失礼というか、あまりにも驕りすぎなのではないだろうか、と。

たとえ仕事上の関係で、上司や部下、あるいは指示を出す側、受ける側の立場であったとしても、お互いに別の人格を有した人間である以上、相手に委ねる、任せる、その上でフォローをする、フェイルセーフを考えるのが上に立つ人、指示を出す人の役割。それを放棄して、ゾンビやロボットのように、「指示通りに動け」は良くない。

まぁ、ディレクションとかプロジェクトマネジメントとか、外注さんとかを巻き込んで何かをやる場合、そういう気持ちになるのは分かるし、「想定したものを出してこい」というのも分かるし、「約束や契約は守れ」も分かる。ご家庭の中で、家事を手伝わない夫や子供らに対して、「やってほしいことと違うことをする」のにイライラするのも分かるけど、それはそれとして対策を取るべきで、自分でどうにもならないところに気力を消費しない、浪費しないようにすべきではないだろうか。

「期待しない」に、過剰な支配欲が漏れている

傲慢な人、プライドが高い人というのが露呈するよ?

どんなニュアンスを込めて「他人に期待しない」と発言するのも自由だし、それを発言することでどう見られるのも、もちろん「表現の自由」だけれども、「他人に期待しない」というフレーズそのもの、それを発する行為自体に、割と強めのネガティブなイメージが付いて回る、それを発する人にも若干の悪いイメージ、嫌な臭いみたいなものが漂ってしまうというのも、分かっておいたほうがいいかも。

なにせそこには、相手に対するものの見方、世間や社会一般に対する認識みたいなものまで、漏れ出しているから。自尊心が高いのは結構だけれども、自分が思い通りにできるものにも限界がある、自分の身の丈以上の支配欲、他者より優れているみたいな自負もちょっと出ちゃっているというのも、理解しておこう。

もっとも当人には、そんなつもりはないだろうし、そこまで考えているということもないんだろうけど……。だったら余計に、「他人に期待しない」という言い方、そのフレーズは選ばないほうがいいし、言葉のチョイスを考え直したほうがいい。余計なネガティブイメージ、口癖による自損事故は減らせるだろう。

他人は自分の思い通りにはならない

自分の支配欲を見直して、それを適度に手放そう

「他人に期待しない」の強さ、ネガティブイメージはすでにお伝えした通り。そう言いたくなるシチュエーション、込められている神威みたいなものも思いを巡らせて見たけれど、変な印象をいただかれたくなければ、「他人に期待しない」は封印しよう。そして、そう言いたくなる自分の支配欲の強さ、傲慢さを自覚して、適切にコントロールできるよう修業しよう。

洗脳や催眠術でも使わない限り、どう頑張っても他人、第三者は思うようにならない。自分の身体ですら脳が指示した通りに動かない、心で思った通りに動かないのだから、コントロール下にない第三者、目の前にいる相手はより一層動かしにくい。だから、動かそうとするのをそもそもやめる、諦める。

二十三重に対策を考える、誰でもやりやすいように仕組み、フローを考える。意識的に取り組まなくても、習慣化できるデザイン、流れや動線を考えるなど。やってもらう側、上に立つ側の苦労はより一層大きくなるけれども、それで属人性が排除される、誰にでも使いやすくなる、動きやすくなるのなら、その苦労は買って出てもいいんじゃない?

人間は間違えるし、自分も含めて思ったより賢くもないし、想定してない事故やトラブルにも簡単に巻き込まれる。「期待」が関係なくなるレベルまで、とことん「ケ」を見直す、準備する、備えるようにすればいいと思う。

その上で、「他人に期待しない」ではなく、「自分が思うように、他人は動いてくれないよね」とか「間違えても大丈夫、失敗しても大丈夫」みたいな言い方を選ぶほうが、あなたにも周りにも伝わり方は良くなると思う。もっとより良い言い方もあるような気がするけど、今は思いつかない。

どうしても口にしやすい言い方、口に馴染んだ言い方、長さの問題なんかもあるし、癖になってたりもするだろうけど、言葉や言い回しというのは、極力誤解なく、別のニュアンスに捉える余地が少なくなるよう、改善、工夫を続けたい。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.09.27

2019.09.27

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