「情報発信」の話をする前に、気にしたいこと1

2019.12.06

ブログというか、文章ベースのコンテンツに関するノウハウ、自分の持っているものを段階的に整理していこうと思いながら、その前に横たわる気になること、最近引っかかったことを先に触れておく必要があると思ったので、思いの外、難産になったネタからコネクリ回していこう。

この記事は 約 6 分で読めます。

情報、メディア、言論の役割って何なんだろう?

「正しさ」より「イデオロギー」、「現実」より「幻想」? 情報、言動を信用しにくい空間、状況

記憶に新しいのは「アナ雪2」のステマ問題。あのD(の代理店)ですら、ああいうPR、広告をやってしまう今日この頃。特定野党のダブルスタンダードなブーメランの数々、豊洲移転に、福島の処理水。ワクチン云々、水素水云々も。

本来であれば、言葉に対して責任を持っておいてほしい言論界のエリートたち、メディア、広告業界、経済界の皆さんが、自ら率先して非常に不誠実な振る舞い、科学や学問を否定するような振る舞いをしてくれる。これでは、子供達の読解力が低下しようと、教科書が読めなかろうと、何の問題もないだろう。

アルファブロガーの不誠実な言動、ITバブルの長者と言えそうな人たちの立ち居振る舞い、目立つ人たちの残念な立ち方も見ていると、非常に虚しく、悲しくなってくる。

フェイクニュースとか、ポスト・トゥルースとか、そういうレベル以前の問題。言葉の使い方、コミュニケーションの仕方、情報発信のやり方が不誠実極まりないというか、あまりにも傲慢かつ、目的が不純すぎる。利己的であることは何の問題もないが、他者を害するレベル、社会を崩壊させるレベルの悪質な振る舞いが、目に余って久しい。この状況下でどんなに工夫して、心を砕いて情報発信をしたところで、何の意味があるというのか。そこが疑問でならない。

言論以前の大前提、我々はお互いに「分かり合えない」

社会はそんなに甘くない。世界はそんなに優しくない

3.11以降、目につくようになった「絆」という言葉。その周りに何となく漂う、「(痛みや悲しみを)分かり合えるでしょう」という空気。自分は「〜〜だから、優しくしてもらえる」? 自分は「XXしたから、優しくされる」? それに対して、ズルい、不公平だ? こういうの、もうそろそろ止めません?

特別な事情を振りかざす、あるいは自分の弱さ、守られるべき理由を嵩に着て強く出るのも健全とは言い難いし、「お気持ち」を相手に強く押し付ける、自分たちは特別だからと権利を主張しすぎる、ダブルスタンダードで他者を害する、抑圧するのもやりすぎ。

一部野党、メディアに入り込んだ人たちも含めたエリート層の言動も、非常に引っかかる。自分たちは優れているから、他者を指導する? 特別な理由で他を攻撃してもいい? 科学や現実より、自分たちのイデオロギーやゆがんだ理想を追求してもいい? そんな理屈は通らない。

世界は徐々に良くなっているし、日本はいい国だからとは言え、世界というか、自然はそんなに優しくないし、日本社会も全然甘くない。依然としてどこがヘゲモニーを握るかというパワーゲームは続いているし、この星で受肉して天寿を全うするには、それ相応の厳しさに耐えていかなきゃいけない。この国で十分なテイクを受けるには、それ相応のギブもいる。

努力は必要だし、多少の不平等も受け入れて工夫しなきゃいけない。どんな相手であっても他社は軽んじてはいけないし、先人が積み上げたきた文化、学問を思いつきで簡単に否定してもいけない。みんなで作って来た社会、守ってきた市場は、みんなで守る努力、パブリックを作っていく意識がないと簡単に瓦解する。

そこに、自分たちのイデオロギーを振りかざして傲慢な振る舞いをしてしまうのは、明らかに間違い。他者に対するリスペクト、他の文化に対する敬意を持たずに、自分たちこそが権利者だと振る舞うのは、自分たちの社会か、封建社会だけで終わらせておけ。外に漏らすな。

結局、どこまで行っても我々はお互いに、簡単には分かり合えないし、どれだけ親しい相手であっても100%理解することはできない。分かり合えないんだから、一緒に暮らしていくため、生きていくための共通理解、科学や哲学、言論はちゃんとやらなきゃいけない。そこへ、不誠実な態度、自分たちがマウントを取れればいいみたいな姿勢で入ってくる、利益を得られればそれでいいみたいな顔をするのは、本当にやめたほうがいい。

科学も哲学も、分かり合えないからこそ必要なものだし、分かり合えないからこそ、相手への敬意、相手方の文化に対するリスペクトは忘れちゃいけない。対等な存在として立ち振る舞うこと、プライベートな空間の外では公共性を優先すること。不誠実なこと、無責任なことはしないこと。それは守るべきだろう。

ステータスや立場は、もう何の役にも立たない。年齢も学歴も年収も関係ない。相手をきちんと立てること、気を配ること。それをやらない、過去や学問を無視して振る舞わない。ここでちゃんとやっていかないと、この国というか、この国が守ってきた価値観は本当に危なくなってくる。そういう局面に立っている。

マトモな情報発信をするために、自分くらいは誠を尽くしたい

目の前の人には敬意を尽くしながら、「天を相手にし、誠を尽くせ」

情報発信をする時でも、「人を相手にしないで、天を相手に」する。「人」というのは、己の私心であったり、自分の所属するコミュニティーであったり、大切にしているイデオロギー、価値観や自分たちの常識、物差しだったり色々だろう。こういう「今の時代性」とか「周りにいる人たちの目」を気にして、そこで立身出世を考えるような情報発信をするのではなく、あくまでも自分と天との関係、自分と普遍性、歴史との関係を踏まえた上で、真っ当なこと、発信すべきだと考えたことを送り出そう。

ただし、伝えたい相手、受け取ってほしい相手への敬意、おもてなしの心は絶対に忘れないこと。伝えたい相手にちょうどいいバランスで受け取りやすくする、分かりやすくしておく、誤読しないように工夫する。楽しませるようにエンターテインメントも忘れない。

ただ、クソ真面目なコミュニケーションもつまらないし、邪な気持ちが一ミリもないと宣伝広告は難しいだろうから、多少のいたずら心、駆け引きをする気持ちは持っておいてもいい。そういう小さな邪悪さ、小さな野心も持っている方が「ありのまま」っぽいし、嘘くさくない。

相手への敬意も持ちながら、自分も卑下しない。自分を大きく見せようと飾る、構えるのもよろしくないし、かっこ悪い。自分の持ち味、自分であることをそのまま曝け出しながら、しっかり届ける、しっかり伝える。そういう姿勢、スタイルが必要になる。

なんの権力も影響力もない、弱小な書き手がこんなことをぶちあげたところで何も変わらないだろうし、何の役にも立たないと思うけど、一人ぐらい、そういう愚直な姿勢、バカ正直、お人好しなアホのまま情報発信に取り組んでたっていいでしょう。少しでも情報に対する不信感が拭える、あるいはこいつなら信じてもいいと思ってもらえる状況を作っていく、信頼を勝ち得ていく。そこも今後のささやかな目標にして、この記事を締めるとしよう。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2019.12.06

2019.12.06

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