2020 やっていきたいこと Vol.5 2020 やっていきたいこと Vol.5

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はじめに

誰かに分かってもらうというよりは、自分の考えを整理するため、ノートに書く代わりにブログへ書き散らしてやろうという魂胆で取り組んだアウトプット祭り。4本書いてもまだ折り返しだけれども、ナンバリングタイトル的にはこれで最後? やっていくことのイメージはラベルの「ボレロ」だという雑なお話。

「デジモン」で出会ったボレロ

同じことを延々と繰り返すスネアドラムが、やっていくこと、在り方のイメージ

東映アニメ『デジモンアドベンチャー』のテーマというか、代表的な劇伴といえばラベルのボレロ。一区切りらしい次の劇場版でも、予告には使われているようで。あの曲は他の楽器も割と同じことを繰り返して大きくなっていくイメージだけれども、指揮者以上にあの場を支配しているのが、1台目のスネアドラム。

色々考えた結果、自分が今後も延々とやっていくべきなのは、あのスネアドラム。周りに誰もいなくても、お馴染みのあのリズムを延々と叩き続けるのがやるべきことであり、在り方なんだろうなというのが最近の気付き。

自分の周りに、色んな音を出す「変わり者」、個性的な人が集まってくるように、同じ場所で同じことをやり続ける。確かな安心感、安定感を提供するのが自分の役割。そしてそこで、変に馴れ合うんじゃなくて、それぞれがそれぞれの音を出したまま一つの曲を作り上げていく、徐々に大きくしていけたらいいなというのも、ボレロのイメージに重なっていく。

変わらないこと、ずっと同じことをやり続ける、その精度を磨く、高めるという変化を積み重ねていつでも同じことを繰り返す。その安心感、自分も好きにやれるという場になる、繋がるための装置を提供できるように努力したいし、色んなものを見出したい。

不確かなもの、よく分からないことに対して安心できるブランド、人を目指す

色んな権威、情報の確かさが揺らいでも信用できる存在になりたい

各種芸術賞も、有識者もなんとなく信用しきるには疑問符がついてしまう世の中。お金の力で歪んでしまっているというか、受け止める側のセンス、リテラシーが貧弱になってしまったというか、何を信用すればいいか、何を信じたらいいかが揺らぎまくっているような気がする。

そこで、「こいつのいうことは信用できる」という存在、ブランドになってみたい。今以上に色んなものがフェイク塗れ、信じられなくなっていく、あるいは知見が散逸していく世の中において、そういう「軸」みたいなものがあるのとないのとで大きく違う気がするので、そこはしっかり誤らないように気をつけながら、研鑽し続けたい。

こいつは信じられる、信用できる。それがあるか否か、今後はかなり重要になってくると思うので、今のセンスやリテラシー、感覚、知見はどんどん磨きたい。

モノ書きだけど、受動的にならない

受け身に見せて、メインの人より前に行く。強引にリードする

今まで以上に、色んな人と二人三脚、プロジェクトを推進していくことになるだろう。基本的にはネタを持ってくる「主」の人がいて、どちらかというとサポート、従になる立ち位置で関わっていくことになるだろうけど、どれもこれも、どこかに「一緒にやりたいから」というのが含まれるような気がするので、そこは甘えるというか積極的に受け止めて、遠慮せずにやりたいようにやろうと思う。

受け止める役、キャッチャーの役割を果たすことにはなるだろうけど、正面に向き合う相手を微妙に変えながら、背中で示す、背中で語るつもりでゴリゴリ押していく。守ると責めるを同時にやるような能動的な動き方を、今後はどんどん模索したい。

モノ書きは観察してなんぼ、素材があってなんぼだろうけど、だからと言って受け身、受動的になり切るのも求められていないと思うし、もっと自分が色々やることを求められているような気もするから、ガンガン前に出る、積極的に立ち振る舞うような主体性も発揮できるよう、動き方、立ち方を磨きたい。

どんなプロジェクト、どんな相手であってもそれをやるというのは結構ハードルが高いように思うので、少しずつ無理のない範囲で練習しながら、動ける範囲、できること、責任を負える範囲を少しずつ広げていけるように工夫したい。

やんわりと受け止めながら、豪胆に進む。動かないつもりで、ゴリゴリ変化していく。その路線、ちょうどいいさじ加減を見極めて、着実に前進できたらいいな。簡単じゃないだろうけど、だからこそやってやろうという気持ちで、見えないスネアドラムを叩き続けたい。

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。