「隙間」ってめちゃくちゃ大事じゃない? 「中空構造」の空は、ただの空っぽじゃない 「隙間」ってめちゃくちゃ大事じゃない? 「中空構造」の空は、ただの空っぽじゃない

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はじめに

特別なご縁のおかげで、定期的に参席させていただく速水流8代目宗匠のお茶をいただく会。そこで出てくる「日本らしさ」として語られる「調和」というワード。日本らしさの背骨にある陰陽道、修験道(その後ろにある道教)から来る陰陽五行と「見立て」のお話。その辺を耳にしながらふと思い浮かんだこと、こねくり回した考えを好き勝手に展開してみる。

対立要素をバランスさせる「中空構造」

単純な二項対立を避け、両立しにくいものを共存させる「空」の智恵

『中空構造日本の深層』(河合隼雄著 中公文庫)を読んだのも随分前になるので、おぼろげな記憶というか、都合よく覚えている部分だけを引っ張ってくると、日本の神話には時々「3」が登場する、と。アマテラス、弟であるスサノオとの間にツクヨミがいる。高千穂に天孫降臨されたニニギの子供たちが、ホデリ(海幸彦)、ホスセリ、ホオリ(山幸彦)。神話の最初に登場する性別のない三神が、アメノミナカヌシノカミ、タカミムスヒノカミ、カミムスヒノカミ。

記紀神話の最初に登場する割りに、記述があるだけでほとんど登場しないアメノミナカヌシノカミ。神話を盛り上げるアマテラス、スサノオと比較すると、若干影の薄いツクヨミ(場合によっては、アマテラスやスサノオに組み込まれていないことにされる)。その後の代も、別名がつく長男、三男と違い、あまり注目されないホスセリ。彼も場合によっては出ない。

強烈な存在感を放つ人たちの間に、置いてもおかなくても良さそうな存在をわざわざ組み入れている。なくても成り立つ存在だからこそ、語り手によって消されてしまう。でも、この空間、隙間があるからこそ日本は大きな衝突を起こすことなく、色んな人たちが共存して来れたのではないか、というのが、河合隼雄氏の説(だったと勝手に解釈している)。

この一種の隙間を、字義通りに「空」、つまり「何もない空っぽ」と読む人もいるようだが、個人的にそれは半分正解で、半分間違っているんじゃないかと思い始めている。「空」は「空」でも、それは「空っぽ」であると同時に「満ち足りている空間」でもあるんじゃないだろうか、と。

単なる空っぽ、空性じゃなく、どちらかというと文字通りの「空間」、余白やスペースを意味する「空」だったのではないだろうか。単純な空っぽという解釈ではダメなのか、満ち足りている「空」があり得るのかを考える前に、改めて「空間」を考えたい。

空間、空気を大事にしている日本

どちらでもない曖昧な状態、グラデーションに満ちている

谷崎潤一郎氏の『陰翳礼讃』を土台に、写真と共に読ませてくれた同名のビジュアルブック『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎著 大川裕弘写真 パイインターナショナル)。パラパラと写真を見ながら谷崎氏の文章を読んで気付いたのは、「(陰影の)拡がり」と「(陰影の)曖昧さ」。

お茶室も、独特の拡がりがある。お茶室に使われる利久鼠だけでなく、無数に近い茶色、灰色、緑色が生み出されている。水墨画も、色味のないモノトーンで展開されているあの拡がり。ちゃんと読んでないけど『菊と刀』で言及された、縮める文化。でも、その背景にあるのは「拡げる」ため。松尾芭蕉がたった17音の俳句を必死に推敲したのも、縮めたところから展開される拡がりを考えてこそ。

庶民が簡単に手を出すことができなかった「赤」も、本当に多様な「赤」がある。雨や雪を指す言葉も沢山あって、(酒の)温度を表現する言葉も本当に多い。曖昧さのある日本語だけれども、それは文章として曖昧なだけじゃない。単語一つをとっても明確に区切られているのではなく、人によって、状況によって匙加減が異なってくる。

塩梅や肌感覚、職人の「勘」が大切にされるのも、一種の「広がり」が大事だからなのでは? この「広がり」こそ、「空(間)」。龍安寺の石庭も、「見立て」と「空間」。その見立ては「想像力」や「脳」という空間の上に立っている。

空間や空気、言い換えると隙間や何もないように思える部分こそ、実は重要? 外道衆が隙間から生まれる『シンケンジャー』の描写は非常に正しかったんだなぁ、とも今は思う。

「隙間」のための、清め?

整理整頓、清潔は「空間」のため?

単なる無秩序では、「隙間」は生まれない。乱雑な空間では、拡がりを感じられない? だからこそ、日本人は整理整頓、掃除や清浄を大切にしてきた、ような気もする。

たまたま水が豊富に手に入った、海に囲まれていて湿度が高いから防疫のために清潔にする必要があった、急で短い河川、軟水で清らかな水が入手しやすかったのも理由だろうけど、整えることがいかに大事かが分かっていたから、半ば道徳として伝えられてきたのではないだろうか。

天才の机は乱雑、なのかもしれないけど生み出した何かを活かすには、やはり十分な余白が必要になる。乱雑なだけ、無秩序なだけではよろしくないのだろう。その一方で、両極端な陰陽だけでも上手く調和しない、というか対消滅するだけだから、混ぜ合わせるための隙間、「空」が必要だった? その概念、発想がまさに天才的というか、日本を形作る上、永く続く歴史をもたらす上で重要だったような気がする。

両立し得ないものも、バランスさせる隙間

太極図の境目が、一番大事?

真っ白なだけでもダメで、真っ黒なだけでもダメで、間にスッと「どちらでもない」線が引かれる、隙間が差し込まれるから何かが生まれる、動き出す。背景があって点や線があるから二次元になる、二次元に境目が生まれるから三次元が考えられる。

もし、両立し得ない要素、対立するものが全く同じ量でぶつかり合うとどうなるか。調和なんてせず、中和してどちらも消える。調和した結果、何かを残すには偏らせるか、グラデーションにしてちょっとずつ混ぜるかのいずれかしかない。

「和を持って貴しとなす」や速水流の流祖が文字を並べ直した「敬和静寂」は、それぞれの意見やそれぞれの性質をもった人たちが、直接ぶつかり合わない隙間、空間がないと成り立たない。二項対立のまま殴り合う、対極の性質を持ったまま対峙して対消滅する、どっちが正しいか優れているかの比較、潰し合いになる。それらを避ける、やんわりと曖昧にする、妥協点、一致点を探るための調整機構としてエアーポケット的な空間、隙間を置いておく。

単純な空っぽではなく、一緒にいるための隙間、混ぜ合わせる、分かり合うための空間。お互いに自分も相手も守るためのエアーバッグを備えるための空気。それが、「中空構造」の「空」なんじゃないだろうか。

ぎちぎちに詰まっていないから、何かを生み出せる

「どちらでもない」から加工できる、全く新しいものにできる

白か黒か、正しいか間違っているかに分類できるものなら、「以前の秩序」に合わせて振り分ければ終わり。整理整頓できて、何の問題もない。その代わり、新しいことは何も起こらない。ここで、「白でもない黒でもない」ものだったり、「正しくもないけど間違ってもいない」ものが出てくると、それは「以前の秩序」では解決できないから頭を捻らなきゃいけない。頭を捻った結果、1人では解決できないから協議する。協議、ディスカッションした結果、「今までになかったもの」を生み出せる。

秩序立てて、整理整頓する。明確に隙間を作る、余白を用意するから、そこから何かを想像/創造してしまう。何もないからと言って、完全な空っぽなのではなく、空っぽゆえに全てがある。観測できないだけで、そこには見えているもの以上の何かがある。まるで、宇宙を満たすダークマターやダークエネルギーのように。

新しい何かを生むのは隙間や余白。「空」は「空っぽ」でもあるし、緩衝地帯でもあるし、パレットでもあるけど、何かが満ち足りている状態でもあって、矛盾すること、対立するものを両立させる。ちょっぴり仏教的な「空」も、「中空構造」と表現していたんだろう。

無駄なことが大事、価値のないことが大事、何もない部分が大事、不可分なもの、計測できないものが大事。それは同時に、「そうでないもの」=「究極の白」と「究極の黒」もないとダメ。見えるものも見えないものもどっちも必要だから、日本神話は「3」がある。陰陽の調和は、間の線がメチャクチャ大事なんだというところで、一旦区切ろう。

メチャクチャ、滅茶苦茶な話を展開した気がするけど、誰も読んでないし、自分のためのメモだからいいよね、別に。

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。