強みとか弱みじゃなくて、中身と気持ち 強みとか弱みじゃなくて、中身と気持ち

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はじめに

元々は別々のアカウント、メディアで見かけた言葉の断片。たまたま別件の資料をまとめる過程で一つになりそうだったので、オチも考えないで勢いのままブログにまとめてみよう。どうせ誰も読んでないから、本件も好きにやる。

打ち出し方が変化しつつある?

時代の変化というよりは、個人的な構え方かもしれないけど……。

用語がごっちゃになりそうで申し訳ないけど、いわゆるアピールポイントとしてプッシュするべき「強み」というのは、その人のバリューだったりストロングポイントだったりする意味合いでの「強み」から徐々にスライドしつつあるような気がしている。ストロングポイントの「強み」の対極にあるウィークポイント、「弱み」も従前の意味からは変わってきてるんじゃないかな?

前にも似たような記事を書いた気がするけど、いわゆる「上手い下手」というのはコレからの時代、大した意味を持たない気がしている。ライブのパフォーマンスならまだしも、音も映像も写真も文章もいくらでもリテイク、「この世にありもしないもの」すら生み出すことができる時代。「誰が作ったか」が問題にならなくなるのも、ほぼ秒読み段階。気持ちが早すぎかもしれないけど、時代が進むにつれ、誤差の範囲になってくる。

いわゆるパネまじ、フォトショップは当然、Vtuber的なバ美肉、AIによるディープフェイクやら何やら。もっとローテクな詐欺メイク、若干特殊な異性装もまだまだ進化していくのなら、話をかけて何が「強い」か「弱い」かなんて意味を持たなくなりそうじゃない?

そして何より、何をもって強みとするのか、弱みとするのかも不変とは言い切れない気もしてくる。そんなカテゴライズ、なんか意味あるの? とかね。統計学、易学や占いの類を否定する気はないけど、結局は誰が線を引くか、出目をどうみるかの話でしかなくて、切り分けたい要素を両方保有している場合もあるから、そこで強弱をつけられる、何かしらの区分けができると思っている時点で、「データは過去、ワードは記号」。答えは404なんですよ。

何をもって上手いとするか、何をもって下手とするかの判断も、ある程度のリテラシー、センス、肌感覚的なものは残るとしても、表面的な技巧、応用テクニックの部分は時代によってどんどん変わっていく。自分たちの打ち出し方、アピールポイントとしての「強み」をどう演出するか、そこを必死に考えてみても言葉遊びに過ぎなくて、中身が伴わなければ何の意味もない。何の意味もないんだけど、言語化が重要と思っている、大して言語化に苦労してなさそうな人たちが声高にいうから、ちゃんちゃらおかしいわ、と。

「お上手ですね」はほぼ、忌み言葉

上手い下手、分かりやすさの罠に囚われると先はない

ただ上手なだけなら、ロボットやAIにとって変わられる。分かりやすいのがいいのなら、人にやってもらう必要はない。他の何かに置き換えやすい比喩で説明できるなら、そもそも大して新しい概念でもなければ、説明しにくい独自性もない。

何がストロングポイントで、何がウィークポイントかも、正直どうでも良くなってくる。技術的な上手い下手を気にしているうちは、「お上手ですね」は嬉しいだろうけど、プロとして勝負すべきなら立つべきステージはその先。もし、大して経歴を積んでいないのにそう言われたら、芽を摘まれにきていると思ってもいい。

上手いか下手か、得意か苦手かなら前者の方がいいだろうけど、ただ上手なだけ、ただ得意なだけで褒められる、認められるより、下手だけど「なんかいい」、不得手なことでも「いいセンスしてる」とか言われる方がいい。先輩たち、先人たちが言語化できない「何か」があなただけのオリジナリティ。カテゴライズが好きな人、自己啓発で食べている人の商売道具による勝手なラベリング、レッテルに引っ張られない方がいい。

これから大事になるのは、「中身」と「気持ち」

アナログ的な肌感覚、データにしにくい部分を大切にしよう

もうしばらくAI、ロボットにできなさそうなことは、動物的な感覚、「中身」や「気持ち」を持つこと。身体を持たない、生き死にの概念を持たなくてもいいのが強みである一方、それが伴わないからこそ苦手な部分、上手にマネるしかない部分はまだまだ大量にある。

上手にマネる精度が極限にまで高まったとしても、そのマネの背景にあること、マネした行為によって成し遂げたかったことがなんなのか、そこまで相手に伝わるような動きはAI、ロボットには難しいだろう。逆に言えば、そここそが人間ならではの強みになり得る。

つまり、技術的な「上手いか下手か」じゃなくて、その行為にどんな気持ちを込めたのか、その行為を導くに至った行為者の背景、人間性が肝になってくる。そんなスピリチュアルな話をここでしても意味がない気もするけど、アニメ界の偉大なハゲがウン十年も前から言ってることって、多分こういうことでしょう?

何をやるにしても、気持ちを込めること。どんな気持ちでその行為をやるか、はっきり意識する、認識すること。そのアナログな部分、曖昧な部分の土台になるのは、そこまでどう生きてきたか、何をインプットして何をアウトプットしてきたか。そしてどこまでそれを自分のやり方で、自分らしく表現できるか。そこにかかってくる。

強み弱みより、自分らしいかどうか

ええカッコしい、見栄えを気にした中途半端はウケなくなる

表面的なクオリティの勝負なら、AIの方がいい。そういう時代になってくる。綺麗なだけ、安全なだけ、上手なだけ。そういうのは、キカイがやってくれる。

だったら人間がやることは、生き様を見せること。生き物として持ちうるものを見せること。そこに、優等生的なポージング、お坊ちゃんお嬢ちゃんな小綺麗なええカッコしいは、逆にカッコ悪い。生き物として、動物としてガツガツすること、その上で人間らしく節度をもって振る舞うこと。その鍛錬がものを言う時代になっていく。

強み弱みの時代じゃない。いかに自分を見せられるか、見せたくない部分も含めて全力で飾らない表現ができるか。勝負はソコ。

耳障りのいいことばかりを言っているとか、カッコいい部分だけ見せようとしているとか、そう言うのはもう十分。いかに恥部まで見せられるか、いかにダサいところを魅力的に見せられるか。愛嬌にできるのか、キモい方向で振り切れるのか、それは結果次第だろうけど、振り切らないで置きにいくのが一番カッコ悪い。

いかにやり切るか。いかに生き切るか。表面的な話はもう沢山。あなただけのあなたらしさを見たいし、それが一番良いコンテンツ、武器なんですよ。でも、これが意外と訓練できていないからやればやるほど前に出るチャンス。いまだに強みだの弱みだの、上手いだの下手だの言ってる連中の鼻を明かして、誰にも太刀打ちできないガツンとくるオリジナリティ、見せ方を追究しましょうよ。ね?

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。