マルクス的な資本主義、システムは役割を終えていた? マルクス的な資本主義、システムは役割を終えていた?

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はじめに

この1、2ヶ月ぐらいで見聞きするSNS上の呟きに対して、なんとなく「ん? そうか?」と思うところがチラホラあり、ここいらで適当に「言わねばならぬ」を出しておかないと先々の動きが鈍りそうだったので、無責任かつ根拠薄弱にど素人がど素人の考えをぶちまけてみる。誰も読んでないと思って書き散らすから、間に受けないでね。

「テメェで稼げ」な金融庁のWebCM

「給与」や「社会保障」をアテにするな?

たまたま、金融庁が様々な金融商品、サービスを紹介するようなWebCMを見て、斜め上の受け取り方をしてしまったのだけれども、新型コロナウイルスで見えてくる様々な情報を鑑みても、「雇用」や「(誰かから与えられる)給与」を前提とした社会システム、経済はいつか終わる、もしくはもう終わっているような気がしている。

「今までの世の中」や「(マルクス的な)資本主義」を、ちゃんと勉強してない理解も浅い素人が物凄く平たくすると、「雇用主と労働者」が真ん中にあって、その周りにカウンターパート的な「他の商売」があって、「被雇用者」が多数派、あるいは多数派になるようにデザインされていて、大量生産大量諸費、あるいはある程度の規模の経済が成り立つようになっていた。

しかし、日本の場合「雇用」は随分前から、幻想と化していた。「非正規雇用」だの「労働者派遣法の改正」だのがあった時点で前提が崩れているんだけれども、決して安くはない人件費、労働力に対し、終身雇用をある程度前提とした給与体系、雇用になっていたのに、同一労働同一賃金を成立させようとした途端、終身雇用も定期昇給も経団連から悲観的な物言いをされてしまった。

定期昇給の恩恵を受けられる人、大企業に就職した労働者は実は多数派じゃなく、中小企業に勤める人や自営業者も沢山いる日本。比率としては小さくても、それなりの数がいるから、その「労働者」や「賃金」を前提にした生産者、供給サイドも成立する。

「生活や給与がみんな同じ」な人が一定数いるから、大量生産、大量消費、ある程度の規模の経済を成立させられる。「同じ」になるよう、教育や広告、マーケティングを含めたマスメディア、社会がデザインされ、「同じ」だから機能する社会保障、徴税システム、公的サービスや国家が出来上がっている。

それにも関わらず、金融庁は例の「2000万円」を解決する手段をあんな形で示唆し、「自営業者と同様に稼ぐ力を身につけよう」みたいなメッセージも発信していた。もちろん、稼げる人が多数派になった方が財政としても経済としてもメリットが大きいのだろうけど、昨今の副業解禁の動き、人材の流動化を鑑みても、ガッチリとした「雇用」が中核に座る社会、マルクス的な資本主義は早晩終わっていく?
(もしくは、既に終わっている?)

ただの不況じゃなくて、旧秩序の終わり

安い労働力、衆愚、規模の経済、グローバリズムには戻れない

今回の新型コロナウイルスで見えやすくなるまで、国内経済の不調や世界経済の失速は、各種の取り組みがチグハグで上手く機能していないからだと思っていたし、商売については主にマーケティングが失敗している、リソースの最適化ややり方が間違っているからだと考えていたけれども、そもそもの前提、土台が機能不全を起こしていたようだ。

マルクス的な資本主義を支える「賃金」については、生産論か分配論かといった対立もあるけれど、ものすごく乱暴に言うと「安い労働力」で「高い収益」を上げ、「上手くやって」税金をちょろまかせば経営者はボロ儲けできる。ただし、賃金はきちんと支払わなければならないし、賃金以上の収益を労働者に生み出してもらわないといけない。

これを延々と繰り返すために有効だったのが、グローバリズムと衆愚化。それから便利な道具としての中国。時々、東南アジアとか、アフリカ? WW2の一応の戦勝国として中国を迎え入れ、それ以上に抑え込みたい日本を陥れるための道具としても、比較的操縦しやすい中国共産党の一党独裁を利用する。

日本には自虐史観とマスメディアを使って、高等教育の破壊と初等教育の変質化を図り、中国国内に対しては衆愚化させやすい共産党を陰に日向に操って、幻想に過ぎないマルクス的な資本主義の枠組みを利用して、十分に私腹を肥やした。

ところが、米中貿易戦争が発生し、いつの間にか中国は「理想のおもちゃ」から逸脱して暴走。故意か偶然かの違いはあっても、いつか発生しただろう米中経済戦争の次のシーンを華やかに演出。結果的に、自爆気味に世界的な規模の健康被害、経済的な被害を齎してしまった。

日本はと言えば、外的な要因に加えて、順調な消費税の引き上げによって青息吐息。「雇用」が十分に機能しなくなったこともあって、内需が低迷、それを補う方法を観光、インバウンドに求めてやりすぎた結果、運頼みの体質、前例踏襲の型が身につきすぎて、今の大ダメージに繋がっている。

したがって、「コロナが落ち着けば元に戻る」ことはないし、「ただの不景気」でもない。多様な働き方、多様な暮らし方に目覚める人もいるだろうし、厳しくなる自然災害にもレジリエンス性の高い柔軟な働き方を模索しようとすれば、必然的に今のスタイルはこれ以上に強化、発展していくだろう。多様化はますます拍車がかかる。

つまり、「今までの経済」を成立させていた前提が一気に崩れていく。2020年以前のやり方、特に「前(規模の経済を前提とした時代)に有効だったマーケティングや広告」をそのまま持ち出してみても、従来通りに機能することはなくなっていくだろう。

成熟した欧米も、社会進化論も嘘だった

過去を模索しても、縋ってもダメ。次を考えなきゃ

個人的には以前から、「新しいゲーム、新しい物語を」とは思っていたし、何回か書いた気もするけど、今まで信じられていたこと、少なくともマルクスが掲げたことや、WW2以降に作り上げられた「戦勝国による秩序」、グローバリズムを前提とする社会システムからは、明確に脱却しなきゃいけない。

じゃあ、どうやって? どうすれば? それは、自分で考える、あるいはみんなの知恵で捻り出すしかない。

今回の騒動がひと段落した後も、もうしばらくは「今までの仕組み」が機能してくれるだろうから、それが完全に機能停止する前に、新しい秩序、新しいシステム、新しい社会デザインを終えられればいい。「経済」はもちろん、「徴税システム」や「国家」、どう生きればいいかという緩やかな意味での「宗教/信仰」、それを固める、広げていく「教育」など、色んなものを再デザイン、再構築する必要がある。これは結構大変だ。

方向性としては多分、「自由」と「規律」がキーワードだろう。アンチグローバリズムで「農村へ帰れ」みたいなことは言うつもりもないし、いわゆるアルカディア(理想郷)みたいなものがベストだとも思わないし、文明を捨てることがいいことだとも思わない。また、『富国と強兵: 地政経済学序説』(中野剛志著 東洋経済新報社)やピケティが掲げたみたいに、戦時下の強烈なリーダーによる戦略的な取り組みと国家の買取みたいなやり方が、自由な経済より強く発展していくのもよく分かる。

だから、ニュアンスとしては、『ティール』が近い? 近代以前の自由さと、近代以前には難しかった大衆の自立(自律)。グローバリズム、ポストモダニズムを葬り去ることで、教育が変質化してくれるのなら、決して不可能な道ではない。

民衆は自由を謳歌しながら、高い組織力も生産性も発揮する。そんな「ありえない」社会、経済を目指す、確立していく。そういう方向で公的サービス、国家なんかもデザインしていくと、多数派にとって良い社会、世界が形作られるのでは?

どうやって作っていくのか、その考え方が本当に正しいと言えるのか。その具体論、実証方法も別途発信しないとね……。

『REALxEYES』を地で行く

そして、『別の夜明け』に辿り着こう

マルクス的な資本主義という幻想、それに沿って受け取りやすくデザインされた数々のフィクション。そういったベールを一気に取り去って、醜くて恐ろしい現実と向き合わないといけない。今回の騒動の肝は多分ここ。幻想の世界、閉じられて単純化されたモデルの世界にいつまでもいると、見えていなかった現実に殺される。

データは過去、言葉は記号。過去を検索しても、正しいと思う答えには辿り着けない。だったら、現実を見る。己の五感を信頼して、誰もいない道を歩んでいくしかない。自分の人生を生きるのも、自分のビジネスを成長させられるのも、ただ1人。そう、自分だけ。

自分を含めて、今、弱い立場の人、弱いと思い込まされている人には、意外と良いチャンスかもね。

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。