アフターコロナで思ったこと3 アフターコロナで思ったこと3

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はじめに

「アフターコロナ」を織り込んで適当なタイトルをつけながら、ここまで触れてこなかったけど、ここでざっくり整理しておきたいネタを詰め込もうと思う。それぞれぶつ切り気味に、ひとまとめにしなくても良さそうな項目なんだけど、ブログだけ長々と向き合ってもいられないので、一旦ここに好き放題詰め込んでおく。未来予測というよりはほぼ妄想なので、アホなことを言ってんなぁと捉えていただければ幸いです。

1.中国共産党が歴史から消えそう

2030年まで残るかどうか。ついでに半島の地図も激変しそう

今回の件で明確になった中共というリスク。グローバリズムを支えて来た重要な拠点なのに、コントロール不可なブラックボックスがそれなりに大きい、ブラックスワンが多すぎるというのも見えて来た。一帯一路の軍事的なリスク、地政学的な懸念といったややこしい話でもなく、単純に関与したくない相手、事業を進めるにあたって取り除いておきたい不確定要素であるということが、丸見え、大写しになってしまった。

「メイドインチャイナも質が上がった」とか「最近の中国、すごい」とかも理解するし、「安くて良いものが作れる」とか「深センでないと手に入らないものがある」とかも分かるけど、品質に関してはマスクの質や検査キットで懸念が露骨に出てるし、「安さ」や「深センならでは」を追いかける、追い求めるにはリスク、デメリットも小さくはない。最終的には自前でなんとかした方がプラスになる可能性もある。

今回の件で、賠償請求もあるだろうし、地政学的な意味で経済戦争が加熱、関税引き上げもあるだろうし、アンチグローバリズムというか、シーパワー系国家の鎖国政策も完全撤廃にはならないだろう。もっと単純に、中国回避、中共回避の機運、マインドが醸成されていてもおかしくはない。

首脳部と現場とがどこまで統制されているか分からないが、極めて偶発的な事故っぽい、未必の故意を装った仕掛けはいくつも散らばっているし、遅かれ早かれ米中の軍事的な衝突は起こるだろう。経済的にもっと衰退させたい米国側と、意外と後がなくてどうせやるなら早くやりたそうな中共に思えるけど、その辺りは全くの素人だし、蓋を開けてみないと分からない。2030年まで、中華人民共和国という国が地図に残るか。そういうイメージかな?

近くの半島も北は政治的に、南は経済的にしっちゃかめっちゃかな様相を呈しているので、米中が殴り合う頃には南はデフォルト、北は米国の操り人形化して平定、そのまま前線基地として使われる可能性もゼロじゃない? いずれにせよ、そこに暮らす人間は生命体として存在し続けるので、統治が変化したところでどうするか、どうなるか。その辺りもコレからややこしくなってくることは予想される。

2.IT推進は、コスト削減。デフレ圧力

生産性向上、高効率化は良いけど、付加価値はどうする?

DXなり、スマート〇〇なり。本格的に5Gが展開するから、というよりはソーシャルディスタンス等々の兼ね合いで加速するしそうな、IT投資、IT化。「人にできないこと」をする機械化などとは違い、「人がやっていたこと(で、面倒くさかったこと)」を効率化する、精度を高めるために用いる側面が強い、IT化。どうしても、コスト削減やデフレに繋がりやすい。

人手不足も予想される中、人が減っても回るようにする、無駄なコストは削減しようというのもよく分かるけど、削減した結果、削減したままに終わっている中小企業、BtoCが多い気がする。浮いたお金を水物の色が濃い宣伝広告に注ぎ込む、本質的な価値向上ではなく、見せかけの価値、中身の伴わないイメージ、人脈という名の養分囲い込み、楽して稼げるエコシステム造りに用いられてきたイメージが強い。

その結果、この自粛でどうなったかというとご承知の通り。浮いたお金の使い方、効率を高めた後の最適化、マーケティング等の用い方が宜しくなく、やるべきことを見誤った企業、事業者は少なくなかった、と。

IT化を推進すれば、人やお金、時間の最適化が図れる。何らかの効率が高まり、浮いたリソース、投資できる余剰が生まれる。それを、より一層自分たちの付加価値を高める方向に費やすのが賢明だろう。そのためには、いきなり宣伝広告、PRに熱を上げるのではなく、自分たちの事業、顧客をしっかり見定めること。その上で、最適な見せ方、伝え方、商品やサービスの品質そのものの向上、新規のイノベーションといった活動に注力しよう。

企業理念を実現するため、出会うべき顧客をより分けるために、自社の商品、サービスがもたらす世界観をしっかり作る。ビビッドなイメージを作る、形にするために情報を駆使する。自分たちの提案する世界観や物語、それに打ち込んできた人柄や取り組みといったバックストーリーで顧客、ファンを惹きつける。そういう付加価値の作り方、価値提案の仕方をすべき、と作家的には思うかな?

だから、ただくっちゃべるだけのYoutubeなんかやっちゃダメ。情報をそのまま出すようなコンテンツも一所懸命やっちゃダメ。中小企業、個人事業主ほど、質の高いフィクション、ハイクオリティな物語、世界観構築、対外コミュニケーションのUX/UIは力になってくる、ような気がする。

3.「経済」や「社会通念」が大きく変わりそう

マルクス的な資本主義、強いマスメディアなポストモダンも、終焉か?

マルクスの亡霊っぽい中共が消えそう、というのと若干連動するんだけど、SNSが発達したことによって、情報、コンテキスト形成の民主化が割と進みつつある、ような気がする。フェイク等も駆使して扇動に使いたがる人たちもまだまだいるけど、支配者層、権力者層が情報をいいように加工して「勝てば官軍」をやれていた時代はそろそろ終わるのかな?

バーネイズやリップマン的な、マスメディア、大手広告代理店主導のキャンペーン、偽り、不誠実な価値創造、イメージ付けも段々効力を減らしていきそうな気配。もっとも、まだまだ1G、2Gが精一杯の人たちが沢山いるっぽい日本の場合、もうしばらくは地上波テレビ、ワイドショーのミスリード、ノイジーマイノリティーによる操作も効くかもしれないけど、ニセモノやウソに対するリアクションは変化しつつある気がする。個人的な願望かもしれないけど。

「神は死んだ」と「父なき社会」で空位になった王座についたっぽい「経済」とか「机上の無謬さ」、従者のような「マーケティング」だったけど、急激な不況下でも力を余り発揮してそうにない、「いわゆるマーケティング」については「どうも正しくなかったね」という印象。休業要請、自粛に応じて減っているTVCM、折り込み広告も合わせて、機能不全気味。活況になれば戻るのか、よく分からない。

「経済」の方も、「止めると人が死ぬ」と言われていた割に、自殺者は前年同月比減。兎にも角にも「経済」、「(手元の)貨幣を増やせ」になったこの150年ぐらいだったけど、必死になって追いかけるものでもなかったのかもしれない。

広告費をかければ上手くいくものでもない、マーケティングを駆使して手練手管で稼げる、ものでもない。不誠実な付加価値創造は長続きしない、フェイクやインチキは後ろ指刺され続ける。オフショアで「安くて良いものが作れる」のも幻想だった、限界があった。無駄をとことん削れば良いというのも、今回の事例で嘘だとわかった。

少なくとも、この20〜30年ぐらいの間に賑やかになった価値観、考え方というのは必ずしも正しいものとはいえないようだ。そういった幻想が吹き飛ばされて、資本主義、経済も簡単じゃない、都会で暮らす、事業をやるのも厳しいんだと当たり前のものが露呈したように思う。

色んな要因の合わせ技で、マルクス的な意味での資本主義、情報が従になる価値観はそろそろ終わり? 社会進化論、段階進化説も欧米諸国が自分たちで否定していってるし、人も社会もどちらが優れていて、他を抑圧、指導する権利があるという幻想も一緒に吹き飛ばしてくれそうだから、儒教の変な側面も一緒に葬りさられれば生きやすくなりそう。

資本主義から、人の想いや心が主になる、アダム・スミスやヒューム的な資本主義、情報主義の世の中が早晩訪れるのかな、と1人で勝手に期待している。

4.日本はまだまだヤレる

分断工作に乗らない、まとまればヤラレない

技術や経済は放っておいても発展していくんだろうけど、SNSなんかも見ていると、みんなよく分からない敵と戦っているように思えてならない。前の記事でも書いたように、様々なイノベーション、分野においても技術や営業、文化的な部分でまとまりを欠いている印象がある。何を守ってどこへ進むべきか、分野の違い、思想の違いを乗り越えて一つにまとまる必要があるんじゃないだろうか?

解くべき問題を整理する、様々な洗脳、扇動を無効化して、科学を有効にする。元々の日本らしさ、自由奔放さ、好き勝手さを取り戻す。好みの違い、優先順位の違い、個々の主義主張も大事にしながら、「和を持って尊しとする」。それができれば、日本はまだまだ成長できる。

変な分断工作に乗らない、ノイジーマイノリティーに振り回されない、インチキなフェイクをもてはやさない。ちゃんと報われる世の中、信じ合える世の中、勉強、修行にしっかり応えられるようにすれば、資本主義を続けたい連中、共産主義で甘い汁を吸いたい連中を葬ることもできるのでは?

5.「適者生存」は正しくない。変化しなくて良い

守るべきは「自分」と「型」。「変化に適応」に気をつけよう

大なり小なり、変化が起こりそうになるとすぐ「変化に対応したものが生き残る」みたいな文言を掲げる人が出て来そうだけど、これはダーウィンが見つけた科学的な価値観ではなく、社会学者であるスペンサーが導き出した考え方。ダーウィンが提唱した「自然選択」は、自然環境により選び取られること、淘汰されることを指し、自然選択による適応とは「自然選択により、環境に適していない個体が死に絶え、適していない遺伝子が取り除かれ」ることで起こる。

変化に対応したかどうかは、後から振り返った講釈に過ぎず、そこになんらかの因果関係を見出すのは科学的ではない。なんらかのコンサルタントや妙な自己啓発セミナーなどに感化されて、「とにかく変化しなくては」とか周りの変化に追従するように、自分たちの本質をねじ曲げてまで対応することを考えてしまうと、「生き残る」から遠ざかる。

「適応」、「生き残り」が結果に過ぎないことから行くと、最優先すべきは「変化」や「対応」ではなく、兎にも角にも「生き残る」こと。そのためには、「自分たちらしさ」や「自分たちならではのスタイル」を手放さないこと。ここを崩されてしまう、変調をきたすと生き残ることはできなくなる。

「生き残る」ために必要な要素が、どれだけ外部に依存しているか、どれだけ自己コントロール下から外れているかも重要になってくる。他からのアクションを待つ必要がある、偶然や運による要素を不可欠にしてしまうとジリ貧を免れない。

変に頑張らず、いつも通りで生き残れる方法を確立しておく。その上で、生き残り方、よりスムーズに生き残りやすいやり方を見出していく、外部との関わり方を調整していくのが無難だろう。変化に対応するにしても、やり方、順番が大切。まず、「自分」と「自分たちの型、パターン」を守ること。そこから始めるようにしよう。

6.これからは「修行」と「実力」の時代

「形無し」が目に余る。「型破り」を目指そう

インチキが有効だった時代、見せかけのイメージ、価値が効力を有していた時代は徐々に終わっていく。時間をかける修行や、すぐに役にたたなさそうな「無用の用」、痛みや苦しみを伴う積み重ね、苦行が嫌がられる昨今だろうけど、パラダイムシフトの後、必要になるのはそういう修行や、実力の方。

小手先の応用技、雰囲気だけの自由人、表面を擬えただけの形無しパフォーマーはどんどん追いやられる。小賢しいだけの人、肩書きだけの人、ただの「お金持ち」が社会的な立場を失っていくのも、これからの時代ジワジワ起こるだろう。

時間をかけて、知識や実力を養っていく。本質を抑えた取り組み、積み重ねが実を結ぶ。そんな時代がそろそろ来るから、形無しの人たちは震えてな、って感じ。

7.切り替えが苦手だから、変化を先取りしたい

嫌気が差している人を引き込んで、アドバンテージを形成したい

スロースターターというか、のんびりというか。素早い切り替え、臨機応変みたいなのは自分の中でコスパが悪い。何かやるからには、全部次に生かしていきたいから、「明らかにそっちじゃないだろう」みたいな方にはあまり注力したくない。

取り組む過程、努力する過程で実力が養われる、経験が養われるというのも理解はするけど、そこで頑張って報われたいとか特にない。さっさと未来、より良い社会で花開きたい、立場を得たい。

だから、さっさとゲームチェンジする。攻め方、やり方、考え方を切り替える。尻上がりだから、早めに取り組んで、イニシアティブを握る、アドバンテージを得られるように動きたい。

今の目の前の動き、周囲の変な人の取り組みに辟易している人、さっさと伸び伸びやりたい人たちを巻き込む、分かり合える人たちと未来を作っていくためにも、「こうやった方がうまくいく」を捻り出したい……。

「アフターコロナ」と言いながら、出てくる未来予測、捉え方があまりにも小さく、あまりにも細かすぎるから、もっと大きいところ、もっと根本的な流れ、変化を抑えておこうよと思って、だいぶ大きな、というか無理くりな考えも目一杯広げてみた。相当ゆっくりだろうけど、多分こういう方向へ変化していく「アフターコロナ」だろうから、単なる流行病や経済的な事象、生活様式の変化という考え方にはとらわれない方がいいように思う。

相当大きなパラダイムシフト、歴史的な移行期に差し掛かっている。そう思って先々の取り組みを進めていきたい。

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。