思考の整理 2020 自分用の書き散らし 4 思考の整理 2020 自分用の書き散らし 4

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はじめに

思考を整理すると言いながら、実際は吐き出し切っていない言葉をアレもコレも寄せ集めて、一旦頭の外に出した「固めた」つもりになりたいがためにやっている独善的なアウトプット。今回で吐き出しまくりは一度区切りをつける予定。最後まで山も落ちも読ませどころも考えないまま、書き散らします。お読みいただく場合、読みにくさはご愛嬌ということでよろしくお願いします。

「自分しか分からない」を極めればいい

何にも似てない孤高のこだわり、世界観を作ろう。ど変態にやり過ぎ、尖りまくろう

言葉を尽くして説明してみても、肝心なところ、言葉にしにくいところは伝わらない。何かと比較して伝えても上手く伝えられない、似ているものがあまりない、独自性を追求しすぎて孤立してしまう、何が良くて悪いかが自分にしか分からない。それでいいんじゃない?

市場的にも付加価値的にも誰とも競合しないし、違いが分かりにくければ分かりにくいほど参入障壁にもなる。外からでは分からないから横槍も入れにくいし、競合を考える必要もなければ無理やり独自性、差別化を考える必要もなくなる。それぐらいのブルーオーシャンを目指したっていい。

「誰にでも分かりやすい」が正しいこととは限らないし、分かろうとしない人を顧客にするのはコストが高すぎる。顧客の側、受け取る側にもある程度のリテラシー、知識や訓練が求められるものを追求する、独自の考えを磨きまくったっていいと思う。細やかなニュアンスの違い、細かな感性、間合いの違い。分かりやすい言葉やデータに落とし込めない、分けられない部分、資本主義というか市場的に差や優位性が表現できないことでも、やる側や文化的な多様性、未来にとっては意味がある。

分からない人に合わせる必要もないし、市場的な価値を見出す、無理やり分かりやすい売りやメリットを探す必要もないし、無粋なラベリング、レッテルを貼る必要もない。そこで無駄に頑張ってみて、独自の良さをスポイルするようなことがあれば、それこそ損失。

先人の考えも、世間的や学問的な予想も、市場的や支配者に都合の良い制御も何一つ受け付けない、完全に振り切る用など変態な方向、バリバリに独善的な方向で突き進めばいい。

規模の経済を追い求めて、多数派に合わせる、大衆に迎合する必要もないし、それをやって利益を上げたところも実はそんなに多くない。無用な競争を招いていらぬコストを増やすより、自分がやりたいようにやることを考えよう。ご新規さんを自分たちの世界、自分の世界へ導く、丁寧に伝えてわかってもらうことも大切だし、否定はしないけど、それよりもどんどん狭いところ、どんどん高いところへ歩んでいって欲しいとも思う。

市場や資本主義的な「特別」は席が少ない

数値やデータ、分かりやすい金額に落とし込める分野で無理に頑張らなくていい。「普通」で行こう

いわゆる資本主義や市場的に、価値が認められにくい「普通」なモノでいいじゃない。そこで、何かと比較する中で得られる優位性、ランキングに自分から入っていって、無駄な頑張り、無用な戦いを繰り返す必要はない。

そういう分かりやすい世界観、考え方の中なら別に「普通」でいい。その「普通」が全く持って普通じゃないとわかる世界、理解される世界の中で、たった一つの独自性、オリジナルな取り組みを届けていく、深めていく方が、人類自然体を見た上で豊かになるというか、未来はそっちにいくしかないとも思う。

学校的な頭の良し悪し、体力のある無し、スポーツ的な才能、芸術的な才能、その数値化される世界、権威が絶対とされる世界で、特別を勝ち得るのは簡単じゃないし、「特別」を得るための前提も、ある程度平等になったとはいえ、やっぱり不平等だ。特別は特別で連鎖する。ただ頑張るだけでは特別にはならない。

頑張って獲得した「特別」で一生楽に暮らせるならいいけど、今の世の中、そんな風にはなってない。すべてを注ぎ込んでガス欠することもあるし、体や何か他の大切なものを壊すとか、何かを失ってしまうとか、よくある話。失ったところで、実家やバックアップが太い、特別であれば「特別」は無理でも普通には生きていける。

そんな「普通」を手に入れるために、特別を目指す? 目指す必要がそもそもないのでは?

見た目も経済力も自分たちの良いところも悪いところも、普通かそうでないかなんて、時代や相手、運で決まる。自分でどうにもならないところで、自分らしさを捨てて頑張るぐらいなら、自分らしさを守り切って、外から見た「普通」を貫いた方がいいんじゃない?

どうしても「普通」が多いし、分かりやすさや市場性を基準にしてしまう今の時代、遠くまで届く「特別」って数が少ない。そこで勝負しないで、もっと広い「普通」の世界で伸び伸びやろう。普通と思われているところで目一杯多様化して、目一杯とんがってやって、目一杯やりすぎてやって、独自のど変態、孤高の変な奴になればいい。

いわゆる資本主義やいわゆる市場性、今のGAFAが前提となるような価値観、世界観で、勝手に決め付けられる、比較される世界から足を洗おう。自分と目の前にいる相手の世界、その狭さで合うのか合わないのか、好きなのか嫌いなのか、趣味なのかそうでないのか、それだけで十分な世界、経済が成り立つような未来を考えたい。

今のままではどうしても、分かりやすい部分、言葉やデータで比較しやすい部分、スペックの勝負になりがち。良いとされるところ、悪いとされるところのどちらかだけで、順位付けされてしまう。良いも悪いも両方含めて自分たちの独自性だろうし、データにならない部分、雰囲気の部分や行間の部分で醸される個性もある。そこをちゃんと汲み取って、分かりにくくても届けられるような取り組みも考えたい。

「興味がない」って表現してきたのは正確じゃなかった

専門の世界には口を出さない、あなたが楽しいと思う方へ突き進んで欲しい

これからも、「変わり者」を引き寄せることが多くなるというか、その状況へ自ら踏み入っていこうと思っているんだけど、気を付けたいのは「興味がない」と口にしないこと。ついつい手短に「深入りしません」を伝えやすくて、ピシャッと口にしてしまう、言葉にしてしまうけど、かなり断片的なイヤな表現を選んでしまっているのであって、本当の意味で「興味がない」ではないなぁ、と反省。

コレから出会う「変わり者」の皆さんにはそれぞれ、その人の専門、やりたい世界、独自の考え方がある。細やかなこだわりであったり、自説だったり、個人的な研究やそこから導かれた発見だったり、とても面白いものがいっぱいあるだろうし、それを一緒に見て欲しい、わかって欲しい、知って欲しいという誘いもとてもありがたい。とてもありがたいのだけれども、今、それをやるのは時間の使い方が間違っている感覚が自分の中にある。

その人の好きな世界、専門の世界はその人にすべてお任せして、どこがどう面白いのか、どこがどう自分らしさなのかも伝えていただくのは非常にありがたいし、分かってくれそうと思われているのもありがたいけど、自分が先にやるべきは、そのそれぞれの世界、それぞれの分野へ誘う道、仕掛けやシステムを考えること、構築すること、形にすること。

イメージでいけば、図書館や司書。数々の変わり者、一風変わったこだわりの世界へ、色んな人をアテンド、案内する水先案内人であり、心地よく「変わりっぷり」を堪能してもらえるような上質な情報伝達、UXにこだわったコンテンツや時間、空間を構築、提供すること。

質の良いクリアな文体、引っかからないし、伝えたいことを何一つ加工しない、ねじ曲げないけど、分かりにくい独自性を伝わりやすくする、文章や文章表現を目指すのは、その辺りが関わってくるのかもしれない。その自己研鑽もまだまだやらなきゃいけないし、アテンドの環境、仕組みが収益を生むような運用、やり方も考える、早急に動かす必要も出てきている。

専門領域へ入るまでのパイプになるコンテンツも、一個ずつ理解して作る必要もあるんだけど、その手前の手前をやらなきゃいけないから、二人三脚で専門の世界を深めていくお手伝いというのは、今のところ難しい。

本当は一緒にやりたいんだけどね。何でも面白いと思えるし、知識欲もあるし、お手伝いできることは何でもしたいけど、時間的な優先順位、経済的な優先順位の関係で、どうしてもそんな順番になってしまう。

だから、何よりもまずは自分を立たせること。色んな意味で、自分の代わりっぷりも追求し切ること、外へ見せていくこと。そこも割と優先順位を上げて、しっかり地に足つけて動かして行かなきゃいけない。

「オレの望む未来」に手をつける

一緒に未来へ生き残るモノ、仲間を選ぶ?

いつか誰かが未来を作る、自分に心地いい未来が訪れるとなぜか思っていたけど、多分そうじゃないんだろうね。自分で色んな責任を引き受けて、自分で望む未来を自分で作っていかないと、欲しい未来は永遠に出来上がらない。

一歩先に未来へ進んだ人間のつもりで、未来を描く、紡ぎ出す責任を追った作家のつもりで、何を未来に連れていくか、誰と未来へ生き残るか。時代の変化、パラダイムシフトの荒波を乗り越えるための知の方舟、文化の海賊船とそこに乗り込む、詰め込む物や仲間を選んでいく。そんなイメージで、知と知、変わり者と変わり者を繋ぐ司書、自由を手に入れるための船長、リーダーに手を挙げなきゃゃいけないんだろうな。

司書をやりたかった母の願望、船長だった父方の祖父のアレコレがここで意味を持ってきた? 色んなものを掛け合わせると、このイメージ、ニュアンスは案外悪くないところを突いているのかもしれない。

未来に持っていく、残せるのか。基準はやっぱり「繰り返し」に耐えうるかどうか。時間の流れに耐えうるのは、中身がしっかり詰まっているモノ、道理や原理に基づいた正しいモノ、極端に考え方を尖らせたモノ、不純物をとことん取り除いた純粋なモノ、無理な複雑さがないモノ、シンプルで美しいモノ、勢いがあって荒々しい清らかなモノ。表面だけ、見せかけだけのキラキラしたものはすぐに壊れる、どこかに無理があるシンプルでないもの、ややこしいものは何回か繰り返せば壊れてしまう。

儚げだけれども何度も蘇るものは「繰り返し」に耐えうる。真っ直ぐでなく、一見使いどころがなさそうな曲者、曲がった木材や「無用の用」、形がないものや概念なんかも長く生き残る。腐ること、使い捨てられること、何回も繰り返し購入されることが前提のものでは、こうはいかない。

言い換えれば、今の資本主義、市場的に売れ線のもの、シェアを占めているもの、違いがわからない大衆に支持されている底の浅いものは、個人的に選ばない。クセがなさそうで良い人そう、どこにも問題がなさそうな人物も、個人的には選ばない。何でも出来そうな人も選ばない。

何か一つしかできそうにない人、一つのことしか得意でなさそうな人、表面的にはすごく難がありそうだけどカリスマ性のある人とかを選びたい。ハードルが一つ二つある人の方が信用できるし、確かなものを持っていそうな気がする。

兎にも角にもクセが強そうな人、変わっている人、「分かりやすさ」が趣味じゃなさそうな人こそ、個人的には未来へ残したい、一緒に連れて行きたくなる、かな?

反GAFAな生意気スタイル?

意識高い系な優等生スタイルからは程遠い、全然効率的でないスタイルの水先案内人?

反Google的というか、反GAFAというか。「分かりやすさ」とか「エスタブリッシュメント的」に思いっきり背中を向けるというか、個人的に好きじゃない、嘘くさい良い子ちゃんスタイルにかなり喧嘩を売っていくというか、反抗的なトーンで海賊的というか、ヤンキー的なスタイルの「似て非なるもの」を構築したい。

エゲツない知的体験を、効率やスマートさに背中を向けつつも、お上品さ、お行儀良さは捨てないで、分かっている人、ツウな人、本物のセレブや知識人に発見されるような知的さ、本当に価値が認められるような司書、アルゴリズムとかそんなものをかなぐり捨てて、自分のアナログな感性、鼻先の感覚、拙いリテラシーや人生観を頼りにいろいろ失礼なこともしながら、伝わる、伝えるための代理人をやってみる。

情報伝達のコンテンツもコンテキストもどっちも力を入れる。UXにもUIにも力を入れて、資本主義から情報主義の世界を作れるよう、力を尽くす、時間を費やす。そこを有意義に、豊かに過ごせるように、文章をこねくる日々、Web屋さんとして色々やっていく日々を繰り返す。そんなイメージで、仮面ライターとしてのらしさ、やるべきこと、あるべき姿を磨き上げる。

全く持って至らないスキルやテクニック、頭をしっかり鍛えて、研鑽を積んで、世のため人のため、自分のために、楽しい知識の方舟、知識の海を新たに届ける。知のハコモノをお届けする、それが自分の収益に繋がるような取り組みを、ちょっとずつ考える、形に落とし込んでいくように、日々の生き方、働き方を変えていきたい。

そのためにもまずは、ドナドナを卒業する、足抜けすること、やらなくても生活できる状況、環境の構築等々を一所懸命やらなきゃね。テクニックの研鑽、セルフマネジメントの向上、仲間作り等々も必死にやり直さなきゃ、先は遠いぜ……。書き手としての認知、社会的地位の獲得もしっかりやろうっと。

とりあえず、今のところ考えていること、捻り出された考えとかはそんなところかな。また何か出てきたら、その都度書いてみよう。ではでは……。

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。