もっとガツガツ、オレオレで行く? もっとガツガツ、オレオレで行く?

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はじめに

つい2週間ほど前に、考えたことを徒然と読み手のことも鑑みないでアウトプットしたのに、また色々気がついたことというか、頭に想い浮かんだことがグルグル回り始めたので、この辺りで一度外に出しておく。これも前回までと同様に「誰も読んでない」ことを前提に書き散らすので、読みやすさも根拠も責任感もゼロで行くので、あらかじめご容赦ください。

サポートって柄じゃないのに、サポートを掲げてた?

割とゴリゴリパワープレイな、強引グマイウェイだった……。

融通が効かない頑固者なのは否定しないけど、そこまで「剛の者」だった自覚はあまりない。頑固者さ加減が表に出るような見た目もしていないし、どちらかと言えば優男風。線が細い弱そうなタイプ。

中身も体育会系みたいなオラオラ系、元気溌剌なガッツマンではない。知的で穏やかな人を装いつつ、学力的には低い方、腹の底では卑怯者なところもある小悪党。狡く、小賢しく世の中を割と柔軟にひょいひょいと渡っていく方だと思ってたけど、立ち止まって振り返ってみれば、全然そんな生き方をしてない。

自分が思った通りの道以外、進まない。道がないのならできるまで待つ、もしくは道がなくても突き進む。自分がやりたいようにやる分には、見えない何かが味方してくれる。分かりやすいお金や地位、権力みたいなもの以外は、望めば割と手に入れてきたような気もする。それを全て運で片付けるには、周囲への感謝が足りないんだろう。そうやって、運以外のものも諸々使って、自分以外をねじ曲げて真っ直ぐ進んできた?

手に職をつける、食っていくためにとIT、Web系のスキルを身に付けてみて、小狡さも持ち出してコンサルだのサポートだの掲げてきたけど、かなり無理をして捻り出してる仕事だった? 確かにそっちの方がお金にはなりやすいし、相手もお金を出しやすい気がするけど、そのスタンスは自分の持ち味としては微妙な線、得意な路線ではなかった?

そういえば、SNSでも散々「サポートします」とか「コンサルします」とか(雑に)掲げてきたけど、知っていそうな人たちからあんまり反応がなかったのは、対象の顧客じゃなかったこともあるだろうけど、それ以上に、こういう人間にサポートをお願いしようという気にならなかったのかな?

持ち味っぽくないサポートを無理やりさせるより、サポートじゃなくてもいいから好きなようにやる。そっちの姿を見たい、そっちをやって欲しいと思われていたのかもしれない。

自分が好きなようにやるから、力を貸して欲しい。そういうアプローチ、見せ方の方がもしかしたらハマる、響くのかもしれないな……。

やりたいのは、コンテンツじゃなくてエンタメ?

『レディプレ』でもやった人に突き刺さるものを沢山やる路線?

Youtubeも含め、主にWeb上のコンテンツ、ビジネス系のコンテンツに対して思うのは、「クオリティが中途半端」だなというところ。より具体的に何が問題なのかと言えば、「エンターテインメント」として精度が低い、高くないな、と。

何をもって「エンタメ」と呼ぶか。その基準はホイジンガ先生の『ホモ・ルーデンス』にお任せする。あそこで語られている「遊び」に該当するかどうか。多くの場合、遊びとして「ナメるなよ」というレベルのものばかり。提供する側も参加する側も、もっともっと本気で前のめりにならないとエンターテインメントにはならない。

そういう観点からいくと、いわゆるYoutubeでは、物足りない。発信する側が好きなように発信していて、受け取る側へのホスピタリティが不十分。自分のチャンネル、動画や動画本編までのアテンドも細かいところまで気が利いているとは思えないし、入り込む、集中するための工夫も今ひとつだろう。

もっとも、これはデジタル系のコンテンツ、Web上のコンテンツとしてはどうしようもないところもある。劇場で映画を見る場合や、物理的な書籍を手に本を読む場合と違い、事前の導線が多すぎるし、実際にコンテンツに触れている間も他のものが目につきやすい。「それしかできない」状態に陥りにくく、どうしても注意力が散漫になりがち。極上のエンタメ体験をするにはやっぱりアナログ、リアルな現場で生のコンテンツに触れるしかない。

だからといって、普通のビジネスの部分、ネット上の文章であっても、手を抜いていい、気を抜いてもいいということではない。すべての部分で触れてくれる相手、関わってくれる相手に対しておもてなしの心、エンターテインメントを共に作り上げているという観点を忘れてしまうのはよろしくない。

提供しているものがなんであれ、向こうにいる相手は受け取る自由も受け取らない自由も有している。そこを乗り越えて感動してもらう、深く入り込んでもらうためには、細部まで気を抜いてはいけない。短期的な利益、目の前の「金・金・金」になるのは絶対ダメ。

買ってもらうこと、お金をいただくことばかり考えて、長く付き合うこと、良いものを提供すること、良いエンターテインメントを作り出す、お客さんと共に作っていくということを忘れないこと。

そこでさらに大事なのは、スピルバーグ作品のように万人受け、商業主義に走らないこと。「誰が見ても面白い」では不十分、見る人が見ると不愉快になるけど、限られた人には強く影響を与える、やり過ぎ系の尖った作品、苦い部分や毒になる部分を持った作品に作っていくこと。

誰にでも受け入れられるコンテンツでは、どうしてもエンターテインメントとして甘くなる。振り切ったものを作る、時には「(表立って)誰にも見せられない」ぐらいの方が、受け取る相手には響く場合もある。

提供する側も、受け取る側も前のめりになること。その上で、ニワカにも優しく、沼にハマった住民には何度でも楽しめるエンターテインメントに作り上げる。「わかっていない人」をそもそも外す、分かろうとする人や分かっている人とどんどん長いお付き合いを楽しんでいく。その路線、その世界を改めて目指してみたいと思う。

やっぱり、アンチGAFA

お行儀いい「ナイスアイデア」に背を向ける。

ベン・ホロウィッツ著の著書、『WHO ARE YOU』(日経BP)で、ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアが記した序文に書かれたホロウィッツの言葉、「創造とは優れたアイデアを実行することではなく、特異で過激で逆張りどころか最悪と思われるようなアイデアを追いかけること。」

「日本ではなぜGAFA〜」みたいなのは、そもそもの問いが間違っている? だとするなら、「いわゆるスタートアップ」とか「いわゆるベンチャー」では、ホロウィッツのいう「創造」や、そこで想定されていそうなイノベーションになんて全く近付いていかない。

つまり、とことん我が道をゆこう。自分にしか進めない道を、自分にしかできないスタイルで、誰も想定していない方向へ向かって、全力で過激に。

サポートは自分らしくない。「誰かがいいと言ったもの」も、「誰かが知っているもの」も、自分らしくない。やっぱり、「誰も見たことのないもの」とか「誰も歩いていないところ」を突き進む方がいい。道は自分の前になく、自分の歩いたところが道になる。それぐらいのスタンスで、ゴリゴリ強引に、柔らかい粘り腰でパワープレイをかます方がやりやすくて、本領発揮しやすいかもしれない。

周りの人が自分に託しているもの、自分に見出ているものがそういう方向なのであれば、「どうやって収益をあげればいいか」とか「どうやって稼ぐか」は一旦棚上げして、全力でやりたい方向へ舵を切る、向こう見ずに飛び出してみる方が支援や応援を得やすいかもしれない。

ここまでもエキセントリック、風が向くまま、運が示すままに進んできたんだ。ここから先も同じように、ただ少しだけ賢さ、知恵を持ち出しながら、引き続きエキセントリックなスタイル、やり方で進んでいくのは悪くない。

ゴリゴリ路線へ乗っかっていけるよう、色んなものを片付けて行こう。

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。