現代社会そのものが、砂上の楼閣? 砂の偉大さに想いを馳せた 現代社会そのものが、砂上の楼閣? 砂の偉大さに想いを馳せた

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はじめに

砂に想いを馳せたきっかけは、Amazonのプライムビデオで見たスペイン映画『EVA』。そこに登場するプログラミングのシーン、ガラス細工っぽいVFXから、砂と情報の世界、砂とシリコン、砂とデジタルの関係性に少し興味が湧いて、以前タイトルだけ見ていたヴィンス・バイザーの著書『砂と人類』も手に取ってみた。砂の偉大さやら、砂にまつわる問題やらニュアンスやらを適当に書き殴ってみよう。

プログラムが壊れて行くVFXが印象的だった『EVA』

強固に想えるもの、論理的に確かなものも砂がなければ成り立たない?

『EVA』と言っても、庵野監督のあのアニメ作品ではなく、2012年にスペイン版のアカデミー賞(といわれる?)ゴヤ賞を受賞した実写SF作品の方。Amazonプライムの特典期間は終了したけれども、字幕版ビデオのURLは貼っておこう。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FIWCHJ2/ref=atv_dp_share_cu_r

作業中、本を読む間のBGM、BGV的に見ていたから、本編に入り込むような鑑賞はできなかったものの、時折挟まれる「ちょっと先のプログラミング」のシーン、VFXを駆使したARっぽい描写が何故か印象に残った。プログラムの塊一つ一つがガラス細工のようになっていて、それらを組み合わせてAIを構築し、AIを廃棄するとき、書き換える時はガラス細工が外れたり、壊れたりして消えて行く。砂のように粉々に。

プログラムというか、ソースコードは物理的なものではなく、電子的なもの、仮想的なものであって実体はない。物理的なものに依存していないこと、形として存在していないことが逆に壊れないもの、永遠に残り続けるもののようにどこかで思っていたけれども、何かが起こればそこで消えてしまう、文字通り霧散してしまう存在に過ぎない。それも、砂というか、シリコンの上に成り立っているから、ガラス細工のような描写は的確だろうし、それが実は脆く、最後には砂のようなものに帰って行く、粉々になって空中に消えて行く様も全くの絵空事、とは言い難いようにも思えた。

アナログな情報伝達、オールドメディア的な情報発信を一旦棚に上げれば、残りのコミュニケーションはほぼ全て、ガラスやシリコン、その原料になる砂の上に成立している。色んな姿に形を変えてもらい、様々な部分、場面でその力を借りている。どこにでもありそうなあの小さな粒に、だ。儚そうで脆そうで、吹けば飛ぶような粒子に頼って、我々は情報伝達、情報産業を展開しているという当たり前のことに、何故か想いを馳せてしまった。

ヴィンズ・バイザーの著書、『砂と人類』の存在も大きい

書店でたまたまタイトルだけを見かけた程度だったのに、バチバチと繋がってしまった。

書籍的には、『砂と人類 いかにして砂が文明を変容させたか』(ヴィンズ・バイザー著 草思社)。今年の春頃に出た比較的新しい本。これを紐解くと、上で考えたこと以上に「砂」が人類にとって、現代社会にとってどれだけ欠かせないものになっているかが、よく分かった。

砂は脆いイメージ、儚いイメージ、貧弱なイメージや有り触れているというイメージには全くそぐわず、物理的に人類を支え、科学や産業を発展させてきた偉大な物質だった。そして、実は資源として有用な砂は貴重品になりつつあって、莫大な利権であり、社会情勢を揺るがす重要な物質であるというのもよく分かった(気がする)。

砂って、本当に凄いんだな。情報産業なんてほんの一握りで、ほとんどは物理的な側面で、幾らかはガラスとして光学的あるいは工学的な部分で人類を足元から支えてくれている。あの、どこにでもありそうな小さな砂が、よ。「いわゆるSDGs」が叫ばれているけど、早めに何とかしなきゃいけない項目の一つが「砂」なんだろうなぁ、というのもよく理解できた(気がする)。

「砂の一粒」って貴重だし、侮れない

「情報”砂の一粒”時代」を足がかりに考えてきた身としては、もう一度考え直さないと……。

佐藤尚之氏の著書『明日のプランニング』や『ファンベース』でハッとしたというか、ガツンと掴まれたのが「ゼタバイト」時代を表現した「情報”砂の一粒”時代」というフレーズ。これと「意外とインターネット使ってない」話に乗っかって、色々考え直してきた節がある身としては、「砂の一粒」や「砂」に対する印象、イメージがこれだけ変わってしまうと、それはそれで根本から考え直したほうがいいような気にもなってくる。

これから、5Gだの6GだのDXだのというものの、砂のことを考えたなら、「本当に大丈夫か?」という想いも芽生えてくるし。何より、割と盤石、使い方によっては強いものだと思い込んでいた情報通信、プログラムが「砂の上にある」し、それ以前に物理的なものからして「砂の上にある」と気付かされたら、色んなものを見直し、考え直すようにしたくなってくる。

砂だからと言って、脆いとは限らないし、儚げだと決めつけるのも正しくないし、砂の上にある、立っているからと言って必ずしも不安定だという話にもならない。ただ、『砂と人類』のパッケージのように、「いつか風に吹かれて崩壊して行く、空中に舞って行く」物には違いないというのも、忘れちゃいけないんだろう。

ぼんやりと見るともなく見ていたスペイン映画『EVA』からこんなところまで考えを巡らせて、わざわざブログ記事としてこねくり回してしまうなんてバカの極みな気もするけど、拡げるだけ拡げまくってみて、吐き出すだけ吐き出してしまった方が自分には健康的なので、オチも伝えたいことも特に考えないまま、いつも通りのフワッと筆を置くことにする。砂って、凄い。

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。