『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観てきた 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観てきた

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はじめに

先週公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観てきたので、ネタバレを極力避けながら、思いつくまま感想を吐き出してみる。読ませるためのものというよりは、自分がスッキリするためのものだというのと、念のため、ネタバレ注意というのを記しておく。

「25年」という歳月を抜きに語れない

「シン・エヴァ」を語るときに、自分語りから入るのは仕方ない

シン・エヴァの感想は、「観てきました」タイプと「初めてエヴァを見たのは」みたいなタイプに大別されるらしく、前者はアメブロ系、後者はnoteやら個人ブログに多いようだ。かくいう本記事も、後者のタイプで組み立てる予定だが、自分語りから始まってしまうのは無理もない。なぜなら、「25年経った」や「25年見てた」がギュッと詰まった中身だったから。

それぞれの「25年」、それぞれのエヴァへの想い、庵野監督への想い、関係性。そういうものにある種の区切りをつける、きちんと「思い出」として仕舞ってあげる。卒業式での離別にも似た、惜別の念。宇多田ヒカルのエンディング曲『One Last Kiss』の前奏が流れてくると、一気に「あ、終わってしまう」という想い、哀しさが込み上げてきて、そのまま涙として流れ出す。スタッフクレジットが流れてくる頃まで寂しい想い、さようならという感覚が強かった。

こうなると、本作の感想を書くにあたり、テレビアニメ版をリアルタイムで見ていた人達や、再放送で「なんじゃこれは」と思いながら最終回を見てきた、「その手」の人たちはどうしたって「25年前」や「25年間の日々」を語らざるを得ない。その傍にいた、どこか未完っぽさがあった作品が見事に完結するのを見届けたなら、喪失感のセルフケアも兼ねて大切に綴りたくなる。その気持ちは、よ〜く分かると思うから、その手の感想を見かけたら、本記事以外は暖かく見守ってあげていただきたい。

「25年」経って、どうなった?

庵野監督も、愛妻家のジジイに

テレビアニメ版は、シンジの方に監督の投影が強く出てるんだろうなと思ってたけど、今作は間違いなく、シンジもゲンドウも、どっちも庵野監督なんだろうなと、それが見てから最初に感じた変化かな? ご自身が育ってきた家庭環境と、今の家族も作品に強く影響していて、「女性(特に、妻、母)の描き方」がだいぶ変化してたかな。安野モヨコへの愛、感謝や尊敬の念みたいなのも散りばめられていたような気もする。

そういう自分は、本放送当時前後はギリギリ「普通の家庭」だった時期で、実父と一つ屋根の下に暮らしていた最後の時期でもあるかな? まだまだ思春期には少し早い小2とか小3とか。リアルタイムで最後まで見たような気もするし、途中で見なくなった気もする。その後、いわゆるエディプスコンプレックス的な、「父子対決」はすることなく、思春期の頃には最初から勝負を諦めるしかなかった若い養父になっていた。

まぁ、もうその人はただの「母の連れ合い」で赤の他人、対決したり和解したりする必要も微塵もないと思ってるけど、実父とちゃんとしゃべれてた方か、会話できていた方かというと、それはそれで怪しい。結局、経緯はどうあれ「父子」が希薄なまま大人になったのは事実だろう。そのせいで、何かに困ったということもないのだけど、結果的に父とも母とも微妙に疎遠ではあるか。

金曜日のお昼過ぎに終わる回で、25年前には確実にいなかったであろうお子さんたちも、早めの春休みでお父さんと共に来ていたようだし、自分も世界線が少し違えばそういう未来もあったかなぁ、と卒業式をやっていた小学校の横を通って劇場まで出かけたな。

庵野監督は着実に立派なジジイになっていて、それを節々に感じさせる中身と流石の仕上がりになっていたので、そこは是非ご自身の目で確かめていただきたい。

メカと田植えと尻とグロ

「アニメ的にやっておきたいこと」もバリバリに詰め込まれていた

もう、新しいスポットCMでも情報が出ているから、「田植え」のシーンがあることには触れても大丈夫だろう。既に公開されている冒頭映像では、「いわゆるロボットアニメ」的な部分、「そうそう、エヴァはコレよ」なシーンも入っているし、ソフトなエログロも「サービス、サービスぅ」されているのは旧劇でもそうだったし、ネタバレってほどでもないでしょう。

素晴らしいのは、基本的にどのシーンも作画がメチャクチャいいってこと。(冒頭の部分で「おや?」なシーンはあった気もする)ぶっ飛んだ演出もチラホラあるけど、根幹には「美麗なアニメ」がどっしりあって、ごちゃ混ぜになりそうな中身であっても、それぞれのシーンできっちりクオリティが担保されているのも非常に良かった。これもやっぱり、「25年」と「アニメ」が詰まっている感じがあって、とってもいい。

なんとなく、背中や尻を見せられているシーンが多かった気もするけど、その辺の理由なんかは、誰かの解説、考察に書いてあるでしょう。

富野的な手法と宮崎流のミックス、アレンジ

ゴリゴリの円谷イズム、部分的には石ノ森な要素も飲み込みつつある

庵野監督はコレで「エヴァンゲリオン」という立派なIPを構築し、「アニメで食う」ということに対して、『ガンダム』の「宇宙世紀」的な世界観や、「ガンプラ」的なマネタイズに近い体制は作れただろう。今後は、監修に留まる形で「庵野じゃないエヴァ」が作られる可能性も十分にある。

一方で、クリエイターとしての師匠は間違いなく宮崎駿氏。今回も直接的なジブリとの協力はなかったようだけれども、庵野監督の下にジブリ的な能力がなければ、あの田園風景はそうそう描けまい。どちらか一方に偏っても良さそうなところを、しっかり「庵野カラー」は出しつつもミックスして、経営者として昇華しているところは非常に素晴らしい。

もともと、特撮が好きな人だから今更かもしれないけど、『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』を通じて、間違いなく円谷イズムの継承も行っているだろうし、そっち方面への横串、関係性構築も相当進めているように思える。今作も、アニメ業界に広く協力を募って作ってきているようにも思えるし、コンテンツ産業、映画産業、アニメ産業をより良い業界にして、「クリエイターが家庭で子供と向き合える時間を作ろう」やら、「もっと日本中のクリエイターを元気にしたい」なメッセージも込もっていたような気もする。

まだまだバンバン「エヴァンゲリオン」を作っていっても良さそうなのに、タイトルの「リピート」は終わりの方しかついていない。庵野監督としては、色んな「エヴァンゲリオン」が出てきたとしても、今作で「完全に終わり」というのを示しているから、そこはやはりちょっと寂しい気もする。

ただ、ちゃんとテレビアニメ版の最終回にも一種のアンサーが入っているから、そこはご安心を。旧劇とのつながりも、しっかり入ってた。

綾波は付喪神?

アスカの役割も、25年間というか、旧劇と新劇の間で変化した

コレは、ファンの人気的な物が影響した側面も大きいんだろう。綾波レイはアニメ界を代表するある種のお人形さん、アニメの語源、「アニマ」を象徴するような見事な付喪神の一種だけど、アスカも割と近い存在になっちゃったのかな? 詳細は語れないけども。

ただ、25年もあると、エヴァンゲリオンという作品そのものが、一種の付喪神になってるよね。だから、ちゃんと区切りをつける、ある種の供養をしてちゃんとしまっておいてあげる必要もある、と。取り扱いは丁寧にね。

「エヴァンゲリオン」=「フィクション」?

エヴァのパイロットが14歳なのは、文字通りの「中二病」か

「エヴァに乗る」はある種のフィクションに身を投じる、全力でその世界に楽しむというのも暗示していそうな気がする。ちょっぴり陰な人たちにとってのエヴァンゲリオン、福音書。でも、最後の最後はそういう世界から脱却して、リアルな世界と向き合え、歩み出していけというのは、富野由悠季っぽいメッセージよね。

ただ、「25年」をなかったことにはできないし、してほしいとも思っていなさそうだし、そこに対しては逆に「ありがとう」なニュアンスを、『One Last Kiss』の歌詞からも、本作の終わり方からも感じるような気はする。そこに対しては、こちらからも「ありがとう」と。

観る側も喪失感を抱いているし、作る側も喪失感、ある種の燃え尽きがあるだろう。忘れたくても、忘れられないほど。そういう、25年だったはず。

エヴァが必要のない世界、さようなら、ありがとうと言いつつも、まだまだコンテンツ産業のど真ん中で、色んな活躍を見せてくれるんだろう。庵野監督が次に何をやるのか、非常に楽しみでならない。そういう感想も今はある。

ただ、とにもかくにも、ありがとう。そして、お疲れ様でした。制作に関わったすべての人たちに、配給に関わったすべての方々に、「25年と、2時間34分観続けた」方々に、拍手を捧げたい。皆さま、オールアップ、お疲れ様でした。

長谷川 雄治

長谷川 雄治はせがわ ゆうじ

2013年から、仮面ライターを掲げて活動中。
物書き&Web制作、コンサルティングが本業だと思い込んでいる、ただの変な人。