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必ず周りに人がいた幼少期、新天地での適応を求められた少年期
3つ上に姉、3つ下に妹がいる三人兄弟、姉妹の真ん中という家庭が人生の始まりでした。
絶対に曲がらない頑固さを持ちながら、自分の主張を通すにはどうするか、常に周りを見て考えるクセは付いていたように思います。
おまけに、小学校で4回、中学校で1回の転校を経験する人生だったので、新天地での人間関係、力関係を把握したりするのに、周りの情報を収集する力を知らぬ間に培っていたような気がします。
家の中でも、家の外でも自分以外の顔色や意見、感情の変化を見極めたり。
周りの情報、周りで行き交う空気の変化をまず掴もうとするクセには磨きがかけられたように思います。
周りには常に誰かがいる状態で、自分の居場所を確保しながら、排斥されないようにはどうしたらいいか。
自己主張を上手く通すにはどうすればいいか。
なんか、そんなことをひたすら考えながら生きてきたように思います。
自分は、普通とは違う感覚や考え方を持っているからこそ、誰かの手助けを借りないと生きていけない自覚もどこかにあったのか、集団から置いて行かれないように、必死に頑張っていた部分も少なからずあったようにも思います。
何かを始めるときは、周りを見る。バランスをとる
まずは周りを見て情報収集する、空気や顔色、変化しそうな感情や力関係を把握するのが行動の起点になりがちでした。
今も、おそらくそうでしょう。
均衡を破るときは空気を読んだ上で「自分がファーストペンギンをやろう」と決めたときか、「多数派」の偏り方を見た上でカウンターパートの役回りを選んだときや、相手のためにもなると思って覚悟した上での嫌われそうなことをする、とか。
自分のためだけに自己主張したり、自分の利益や権利を守るためだけに変な動きを選んでいるわけではなく、周りをじっくり見た上で見えてきた穴を塞いだり、集団の偏りを正したり、誰もやりたくなさそうなことが見えてきたとき、その行為を選んでいるつもりです。
そのため、行動の起点となる「情報収集」の時点で役に立たない曖昧なものや、具体的でないもの、偽りの情報なんかが混じってくるとその後の動きが全て崩れるので、パッと見て判断できるものが好みです。
ここで嘘をつかれてしまったり、偽の情報を掴まれてしまったり、裏取りの甘い仮説を事実とされてしまったりする状態は極力避けたいと思っています。
また、自分だけの権利を主張するのも苦手で、自分だけの権利を主張する人も苦手です。
集団の和を乱すので。
(同調圧力を発揮しようとか、「同じ意見でいてほしい」と個性を踏み潰したいという気持ちはありませんので、ご安心ください)
自分だけの利益、権利を主張し続けると「一人になってしまうよ」という老婆心(というか個人的な恐怖心を想起されてしまうこと)もあり、利己的な人はできるだけ遠ざけたいとも思っています。
我が強い平和主義者に育ってみて
来るもの拒まず、去る者追わず。
自分だけの利を主張するよりも全体の和を重んじる。
それだけなら日和見主義になりがちなのに、取り除きようがない生来の頑固さと。
ぶれない強さを、受け入れやすいように貫き通す方法は育つ上ではぐくめたのかなと思っています。
ただ、ガツガツと自社の利益を上げに行くのは不得手だったり、妙なバランスの悪さも発揮してたり。
妙な強さと妙な優しさとを持ち合わせながら、不器用なまま貢献する方法、貢献させてくれる人がいればいいなと夢想しています。