『スティグリッツ教授のこれから始まる「新しい世界経済」の教科書』を読んでみた

2016.07.29

現代の経済といえばスティグリッツ氏、みたいなことを小耳に挟んだので、新しい書籍を手に取ってみました。
かなり私見の割合が大きいですが、これからのアウトプットの足がかりと見ていただければ幸いです。

この記事は 約 5 分で読めます。

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著者ジョセフ・E・スティグリッツ
翻訳桐谷知未
出版徳間書店

『国家はなぜ衰退するのか』よりも先に読んだ、大きな衝撃を受けた書籍。
本書で語られているのも、基本的には「誰が儲けて、誰が貧するかはルールが決める」ということ。

そしてそのルールは、大きな資本を握っている人達、富裕層でありエリートであるというところから、真っ当な判断は別の人に譲りつつ、個人的な見解をひねり出せればと思う。

これまでの経済ルールは、「サプライサイド」主軸

経済には、需要と供給とがある。
言い換えれば、消費者や消費者を含む生活者と、生産者や資本家だ。

供給側をサプライサイド、需要側をデマンドサイドといい、スティグリッツはこれまでの貧富を生んだ政治経済のルールや理解が、基本的には供給する側から見たもの担っている、と主張している。

そして、そのサプライサイドの経済ルールがすでにずれ始めているというのが、本書のメインの主張に思う。

『21世紀の資本』でも語られていた、「生産よりも資本」による利益の方が大きくなるという現象についても、きちんと語ってくれているが、それはやはりサプライサイドに軸を置いた経済ルールがそれを助長しているのではないか、というのが彼の主張のように思えた。

市場はすでに買い手市場。デマンドサイドから考えなきゃいけない

マーケティングの実務も端っこの方だけやっていたりすると、売り買いという部分だけを見れば、既に買い手の方に主導権が移って久しいように思う。少なくとも、2010年に入った頃ぐらいから、あるいはリーマン・ショックを抜け出した前後ぐらいから、その傾向は顕著になったような肌感覚がある。

サプライサイドは、「売りたいもの」を「こうだろう」と提供してくれるが、デマンドサイドは「そんなものはいらない」と一蹴しているのが今の、特に先進国、特に日本の消費者心理のように思えてくる。

経済活性化の花形のように思われていそうな、IT業界やネットビジネスの世界ですら、「疑似科学」やマルチ商材みたいな本当にいるかどうかもわからない商品、サービスや、目先の新しさで勝負をするようなものに力が入っているような気がして、そのあたりも消費者が財布を開かない理由になっているような気がする。

もう、デマンドサイドはバカじゃない

サプライサイドが「ああだろう」「こうだろう」と手練手管で商品を売りつけようとしたり、広告を工夫したりしてみても、消費者側の感度や知性は上がっていて、メディアに誘導されるがままに商品を購入するような社会ではなくなっているように思える。

また、そういったリテラシーが高くない層は十分な可処分所得を有していないか、そもそもインターネットやメディアにあまり触れていないか、横並びの一体感のために対して利益が出ない「みんなと同じもの」を購入してしまうような人しか残っていないような気がする。

そうすると、頭がいいふりをして嘘をつこうとしているサプライサイドのやり方は一切通用するはずがなく、デマンドサイドの都合で、デマンドサイドの知的水準をクリアするような付加価値、知的好奇心を刺激するような「見えない豊かさ」みたいなものを存分に盛り込まなければ、経済的には成長していかないように思えてくる。

国内の需給ギャップが10兆円規模

ラジオで聞きかじった話を持ってくると、日本国内に限った場合、需給ギャップはおよそ10兆円ほど供給過剰、別の言い方をすれば需要不足になっているという。

この状況を生み出したのは、サプライサイド、特に生産する側や資本家にあるとも言えるが、サプライサイドとデマンドサイドの間に立つ、我々のようなメディアや広告、広報関係の人間が、きちんと伝わるような仕事をしてこれなかったというのも要因ではないだろうか?

単なる御用聞きと化して、サプライサイドが作りたいものを作ってしまっては、デマンドサイドは振り向きもしないのに、デマンドサイドを見るよりもサプライサイドを見て、短期的な利益のために動き続けてきた結果が、需給ギャップ10兆円というところにつながっているのではないだろうか。

短期的に大儲けして金融市場に参入する、ようなやり方はもうしたくない

IT業界、スタートアップも最終的にはIPOやバイアウトというのを目標に、十分な資本を作って金融市場に乗り込めるようにしているように思える。

短期的に儲けて売り抜け、資本が資本を生む効率的なところに身をおいて、不労所得を得ることに満足を覚えてしまうと、必死に生産や労働に身を投じて、所得を得ようとしている人達(つまり自分たち)が無視されてしまうような気がする。

本当に、それで社会は豊かになるのだろうか。
何も作らず、何も生み出さず、過剰な資本だけが行き来するような市場に振り回され、富裕層の仲間入りをした人間に頭を押さえつけられるような世界。

個人的には、そんな世界は面白みを感じられないので、なんとか変えられればという思いは抱いている。
真っ当に生産性を高め、効率を良くして利益率を上げるということではなく、付加価値を上げて利益を高めるというやり方で、生産による長期的な利益を上げていけるような仕組み、働き方ができないか。
必死に考えて、形にしていければと思っています。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2016.07.29

2018.04.30

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