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著者 | スティーブン・ピンカー |
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翻訳 | 幾島幸子、塩原通緒 |
出版 | 青土社 |
人の暴力性は減少傾向にある
昨今のテロや紛争、あるいは日常の暴力にまつわる殺人なんかも踏まえると、全然そんな風には思えないけれども、拷問や皆殺しが盛んだった頃に比べれば、はるかに今の方が平和な世の中になりつつあると著者はいう。
20世紀に起こった、二つの世界大戦を含む暴力による死の比率と、21世紀に入ってからの暴力による死の比率とを比較すると、圧倒的に後者の方が低くなるというデータまで出るようだ。
「リヴァイアサン」という法の支配
人口が増え、国家が成熟するにつれて、『合法的な暴力装置』として法律や公的な武力を備えるようになり、抑圧されることで暴力性が減ってきた一面も確かにあるようだが、全てはそれだけではないらしい。
経済が発展することで、暴力を振るうよりもいいことがお互いに起こるようになったり、グーテンベルグによる出版がきっかけで、暴力を振るうよりも楽しいことが沢山出てきたり、人の気持ちを慮ったりするような機会も出てくるようになったからか、加速度的に暴力による死者というのは減っていったようだ。
高まる殺傷能力、増加する民間での暴力死
核兵器にとどまらず、火薬の発明からくる銃器など。
自らの四肢、刃物や鈍器以外の殺傷能力の高い武器が増えてはいるものの、そもそもの暴力性が減ってきているおかげで、そういったものを用いる機会自体は減少傾向にあるようだ。
また、戦争しないメリットを先進国は享受しているからか、それらの国々からソフトパワーによる支援を受ける発展途上国での暴力や紛争も、だんだん減ってはきているものの、あるイデオロギーや正しさを信奉するあまりに始まる、テロや政治的な暴力は徐々に増加傾向にあるらしい。
ヴォルテールが『寛容論』を出した頃と同じように、自分と違う宗派や意見を認められずに大量虐殺を行うジェノサイド、あるいは意見を翻させようとするテロ。
正しさや、貧しさ、承認欲求への不満から来る数々の暴力も、制度的に保たなくなるという事情から、トップダウン的に減少する方向に変わっていくようだ。
イデオロギーと無知、無理解が暴力を生む
ある一つの主義、進行だけが正しい、ほかは誤りだというイデオロギー。
あるいは、自分が今知っていることだけが正しいと思う無教養、他の教義の意見は聞き入れられないという姿勢、環境が暴力を生んでいるのだとすると、それらに対策を打って行きさえすれば、人の暴力性というものはどんどん少なくしていけるような気もする。
誰しも、暴力を振るいたくない、楽しく生きていきたいと思っている世の中になりつつあるのなら、それをより加速させていくために尽力していくのが、自分のやるべきことのように思ったのが、本書を読んで出てきた結論でしょうか。