この記事は最終更新日から2年以上が経過しています。
この記事は約3分で読めます。
ITという言葉が当たり前になって久しい。それどころか、IoTやICTといった「IT」を底に敷いた別の言葉まで出るくらい、デジタル化というのは恩恵が大きいらしい。
しかし、同時に弊害もゼロではない。
0か1かという状態を行き来するデジタルでは、どうしても連続する状態を保持できない。あるいは、無視しても良さそうな小さな違いをノイズとして取り除いてしまうことで、データの容量を小さくするような処理をかける。
あるいは、数学的に一般化できた方がいいとモデル化してみたりして、特殊な特徴を取り外すことで、より軽い情報を、より遠くに、より早く届けることができるようにもなっている。
サンプリングやモデリング、あるいはメディアや一般市民によるラベリングにより、情報はどんどん分かりやすくなり、数字に置き換えられやすくなり、パッと見て分かりやすい世の中にもなっている。
本当に、それでいいのだろうか?
分かりやすく、スピーディに。
陳腐化もしないし、再現もしやすい上に、属人化も防げる。いいことづくめのように思えるけれども、そうやって類型を作り、一定の規格に合わせたパターン化、記号化を推し進めれば多様性は少なくなり、突然変異には対応しきれなくなる。
おまけに、新しい面白さにも出会えなくなる。
確かに、もはや新しさなど無いも同然で、ある記号とある記号、あるパターンとあるパターンを組み合わせれば、「分かりやすく」新しいものを作ることはできる。組み合わせの妙というのもなくはないけれども、そんなものは一回体験すれば十分で、二回目はいらない。誰にでも再現できるし、誰がやっても同じなら、存在する必要も無い。
分かりやすく、処理しやすくするために切り捨てられてしまう「微差」。簡単でスピーディだから美徳とされてきたことが全て正しいというのは、もう終わりにしませんか、というのが個人的な願望。
世界が難しいということも、世界は複雑だということも。
どちらからも、逃げないでほしい
ある程度責任ある立場の人たちが、なぜか難しいことに立ち向かわず、簡単なその場しのぎみたいなことに目を向けて、それに一所懸命になっている。
メディアの人たちは、分かりやすい記号化や二項対立を作ってスピーディに理解させようとブラインドを作る。
経済のサプライサイドは、データだけを見て分かりやすくした数字をもとに、個々人の違いなんかに目を向けず商品やサービスを提供して、売れないと嘆いている。
いつまで、逃げてるんですか? いつまでそんなおままごとを続けるんですか?
子供も騙せない、子供騙しみたいなパターンの組み合わせ、記号の組み合わせに逃げて、自分の頭で考えようとしない世の中を礼賛する。
受験勉強は、与えられたもののなかから答えを見つけさせようとする。本当に、それでいいのだろうか?
答えの無いことを考え続ける能力、難しいことにも気負わずに立ち向かえる気概をみんなで育てないで、目先の簡単なこと、利益につながることをパパッとやって、パターン化したルーティンを繰り返す。
そんな世の中で、本当に楽しいのだろうか。甚だ疑問だ
現実も、人も、「複雑で難しいから面白い」ということを伝えていきたい
サンプリングではノイズと扱われてしまう違い、マーケティング調査では塗りつぶされてしまう想い。分かりやすい言葉で隠されてしまう本当の姿。
そういったものを諦めずに拾い続ける馬鹿な奴が、一人ぐらいいないと世の中面白くなくなるんじゃないか。
短期的に利益を上げることばかりを褒め称えるのではなく、時間をかけて分かりにくいことに取り組む人も賞賛されるような世の中にならなければ、日本の社会も、産業界も面白く無くなる気がする。
ささやかな違い、複雑な部分が多様性につながり、それがいつか自然選択に優位に働く日もやってくる。
だからこそ、類型にハメてパターン化を目指すのではないベクトルも、世の中には必要なんじゃないか、そっちの方が大事なんじゃないかということを、しっかり伝えていければと思っています。