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著者 | ケヴィン・ケリー |
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翻訳 | 服部 桂 |
出版 | NHK出版 |
変化し続けていく世界と、境界線をなくしていく世界
インターネットがインフラレベルに整備されたからこそ勃興してきたように思える、新しいムーブメント。どの産業も今後成長していくことが不可欠な中、新しいものや考え方とどう付き合っていこうかという書籍?
『さよならインターネット』を言い換えたものとも言えるけれども、少し固い印象。
これからの産業、ムーブメントというのは基本的にいずれも、終わりが明確に区切られていないものになるようだ。
どんどんアップデートやブラッシュアップがかけられていき、オープンにしてみんなの知恵でブラッシュアップをかけたり、共有してみたり、どんどん成長していくAIと共存してみたり。
どんどん成長したり、先鋭化したり、明確な区切りをつけて違うサイクルに入ったと見せることなく、成長し続けていくのがこれからの産業の特徴になりそうな感覚を覚えた。
個人的なポイントは、『ホモ・ルーデンス』
本書と全く関係なさそうな書籍ではあるものの、「遊び」と「人」について言及した、ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』。
いろんな説明や解釈があるとは思うけれども、個人的なポイントとしては「仮想的」と「主体的」の二つが「(本気の)遊び」には不可欠なように思えた。
今後のサービスや商品にも、そのポイントが関わっていて、その二つとその「前提となる条件」も合わせた3つの要素がどんどん不要になっていく、受動的で頑張って(遊びを)成り立たせるような協力を人間がやらなくても良く、「教養」のような修行を要する知識やスキルなんかも要らない世の中になっていくんだろう、というのを考えてしまった。
その一方で、大マイルストーンと小マイルストーンは存在し続ける?
「終わりをつけない」、「変化し続けていく」、インフラっぽいサービスや商品、産業が出てくる一方で、映画や書籍のような「一つの区切りをつけたもの」も今後もすたれずに残っていくような予感もする。
前者はどんどんコモディティ化、普遍化していく流れに逆らいながらも、徐々に単価を下げていくだろうし、後者のタイプは微妙な段階をつけながら、一番高いところは天井知らずでどんどん、「ライブ感」や「本物感」、「ハイクオリティ」といったところで価値を上げていくといった世界もやってくるような気もする。
商品やサービスを楽しむための、事前の情報あるいは教養といったところに関する格差。これが今後、かなりのポイントになりそうな予感もしているので、できれば上位層に食い込んでいけるよう、そういった違いが「わかる人」になっていければと思った次第。