『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読んでみた

2016.08.24

自分はどちらかというとリベラル、革新派ではないのかと思いながら、「リベラルはなぜ勝てないのか?」と言われれば手に取ってみたくもなるということで、さらっと読んでみた。

この記事は 約 6 分で読めます。

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著者ジョナサン・ハイト
翻訳高橋 洋
出版紀伊國屋書店

「左」や「右」という文言がタイトルについているけれども、政治経済の話は意外と後ろの方。メインは、認知と道徳に関する書籍。
「リベラルはなぜ勝てないのか」という帯文も出番が来るのは後半から。

なぜ人は対立するのか、なぜ分裂するのか、分裂した後の集団、特にリベラルはなぜ勝てないのかを綴った書籍。

毎度のごとく、思いつくままに書き散らしてみる。

まず、感情ありき

認知や思考に関する論述や実験の話が冒頭から展開される。よくある、感情や直感が先か、思考や理性が先かという話が、ヒュームやプラトンの事例、実験の事例も交えて展開される。

道徳について「良いか悪いか」を問う実験で、「悪い」と判断した理由について質問していく研究チーム。
そこでだんだん明らかになってくるのは、先に「嫌悪」感や嫌な感覚があり、それを説明する言葉を探すというもの。

そう、認知に関しては感情や感覚、直感といった部分が先に来て、後から理性が登場するというモデルが人間の習性として存在しているという。

また、思考や思い込みに合わせて仮想の盲点を作り出し、考えていることに沿うものしか受け取らなかったり、価値観に沿うかどうかで快か不快かを決める機構も持っていて、思考から認知をコントロールしてしまうこともあるようだ。

目の前にあるものをありのままに受け取れず、「これが正しい」と思っていることに合わせて五感を沿わせたり、過去を書き換えたりするのは、ジョージ・オーウェルの『1984年』を読まずとも、「ああ、そういう政治もあるな」と思ったりもする。

道徳は、環境で変わる

個人主義の強い集団では、それに基づいた道徳が、集団主義が強い集団では同じくそれ相応の道徳が。
信仰されている宗教により、「良い悪い」を判断する道徳が変わることがあるという。

進化する過程で得てきた「良い悪い」と、社会的な「良い悪い」の道徳とがあり、どこで育つか、どういった集団、どういった宗教観、どういった教育の元で育つかで、その後に保有する道徳観が大きく変わるらしい。

また、自分と異なる価値観や道徳観に出会うためには、一度その環境から出て交わってみなければ分からないというのも、興味深いエピソードとして書かれている。
自分の持つ道徳も、外に出て違うものと触れてみなければ分からないというのも、興味深いところ。

集団で生活するホモ・サピエンスだから

以前に読んだ、『人体600万年史』から、人間は集団で生活することで数々のリスクを減らして繁栄してきた歴史があるらしい。
集団で協力し合い、自分たちの体に起きたメリットデメリットを補い合うからこそ、これだけの数が地上にいるらしい。

つまり、集団に属して生きていく上での「一体感」を生む道徳観にも、異議を申し立てるよりは染まってしまった方が生きていきやすいということにもつながるようだ。

自分が所属する家族、地域、教育、集団、宗教、国。自分が生きていくためにも、集団が求める道徳観を大事にするというのは、理解できない話ではない。
また、住む地域や国、宗教観が少し変わるだけで違う道徳観を持つ集団が出てくることも、集団の間でチームスポーツのようにぶつかることも、そう難しい話ではないように思えてくる。

集団と道徳観の特性が、社会を左と右に分けてしまう?

社会を左と右に分けるのは、6つの道徳基盤だと著者は言う。

  1. ケア/危害
    他者が示す苦痛や必要性の釣行に容易に気づけるよう、残虐行為を非難し、苦痛を感じている人を手当てするように導く。
  2. 公正/欺瞞
    協力関係を結ぶにふさわしい人物を見分けられるようにする、人を欺く人を避けたい、罰したいと思わせる。
  3. 忠誠/背信
    チームプレイヤーを見分けるのに役立ち、チームプレイヤーには信用と報酬を与え、裏切るものを傷つけ、追放し、時には殺したいと思わせる。
  4. 権威/転覆
    階級や地位に対して、人々が分相応に振舞っているかどうかについて、敏感に反応させる。
  5. 神聖/堕落
    象徴的なものや脅威に警戒を抱かせる。グループの結束を強化するのに必要な、非合理的で神聖な価値を有する何かに人々の労力を投資させるものでもある。
  6. 自由/抑圧
    支配の釣行を見出し、抑制しようとする動きに対して反応する。「権威」と対立する側面あり。

政治的な左派は、ケア・危害、自由・抑圧、公正・欺瞞の3つ、保守主義者は6つ全ての道徳基盤に依存していて、リベラルの訴えることは3つに偏っているために、保守主義には勝利しにくいという要因があるようだ。

個人的に問題だと思うのは、この偏っている基盤に比重を置きすぎていて、これが正しいんだと思うようになっていたり、他を捻じ曲げたりして他の集団を圧倒しようとしているところもまた、勝てない要因になっていると思える。

みんな「自分は正しい」と思っている

左にしろ、右にしろ、個人主義の強い道徳観にしろ、集団主義の強い道徳観にしろ、「これだけが正しいんだ」と盲目的になっていては、対立は避けることができないし、お互いの主張を譲り合って建設的な議論をすることもできなくなる。

自分だけが違うことを主張してしまうと、馴染みのある集団から追い出される可能性もあるし、裏切り者と思われて殺されてしまう可能性も出てくるし、道徳が強ければ強いほど、その反動や反発も大きくなる。

大事なのは、頭で考えたことを大事にしすぎないことと、思い切って違う考えに触れてみることと、きちんと目の前にある事象に目を向けることの3つなんじゃないかと思える。

相手のことを知り、自分の思い込みを知り、自分は世界でどういう位置にあるのかをきちんと理解した上で、相手や相手の集団と関わり合う。そんなささやかなことを繰り返して、対立を乗り越えていくしかないような気がしてくる。

自分も正しいけれども、相手の言い分も正しいし、相手の道徳や価値観も素晴らしいものだ。
そこに敬意を示した上で強調するポイントを探る。みんな同じでなくてもいいという安心感を持てるようにすることが、大事になってくる気がする。

何を教え、何を伝え、何を与えるか。本当に大事だなと思った読書体験でした。

欧米、特にアメリカの政治に関する話が出てくるところは、日本人の若造としてはわかりにくいところだったかな。
ヒュームやアダム・スミス、ヴォルテールなどを読まれたことがあるのなら、副読本にもどうぞ。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2016.08.24

2018.04.30

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