あんまり「広告」に力を割かない3つの理由

2016.09.24

広報、広報という理由の裏には、「広告」に対するイメージや人の変化に対する対応というものがあります。ウェブは集客やコンバージョンも大事ですが、日頃の関係作りが大事なのではないかということを思いつくままにまとめてみました。

この記事は 約 6 分で読めます。

,

デザインを主にやらず、人と違う感性とこだわりで文章を書いてしまうから、そもそも広告にはあまり向いていない気がしたり、センスや実力や運用実績も薄いという理由もゼロではないのですが、それ以外の3つの理由を挙げてみました。

1.「見せたい部分」を切り取るのが難しい時代になった

「広告」にどういうイメージを持つかで異なるとは思いますが、個人的には「広告用の見せ方」があると思っています。いうなれば、「よそ行きの格好」とか、「知人がいないからやりたい放題やる」とか、そういう感覚に近いのかなというイメージです。

写すところと写さないところがあったり、切り取り方でメッセージを変えてみたり、極端に脚色や演出を加えてみて、「ここから見れば、こう見えるでしょ。すごいでしょ」的なのが、広告なんだろうなという感覚があるのですが、この感覚は私だけのネガティブイメージなんでしょうか?

それはさておき、やはり「こう見て欲しい」とか「こういう部分だけ受け取って欲しい」という性格は少なからずあると思いますが、絵画や二次元の映像、小説なんかのフィクションとは違い、流通している「情報」という部分だけを切り取ってみれば、アクセスする場所や見る角度というのは、もはや制限できる時代ではなくなってきたと思っています。

芸能人だろうと大手企業だろうと、「裏の顔」があまりにもひどい場合は指摘されますし、あからさまな「ウソ」は色んなところを調べればいつかは露呈するのが、インターネットが当たり前になった今の状況のように思います。
そういった状況に加えて、今はいいことも悪いことも、「やってしまったこと」はなかなか消せない時代でもあります。そういう意味では、「あのキャンペーン、実はウソでした」というのも、露呈した後の対応が大変になってしまうので、無理に大掛かりな広告やキャンペーンをしても、知名度の低い中小企業はほとんど効果が出せないんだろうなというのが正直な感覚です。

また、数年前ならいざ知らず、今は顔がある程度見えるようになってきたのがウェブの世界です。
そうなると、そこでの営業活動や広報活動というのは、ある程度、日常の世界でも起こるのと同じ条件が立ちはだかるようになります。

すなわち、「よく知らない人からは買わない」とか「胡散臭い人からは買わない」とか「言ってることは立派だけれども、それ以外が気に触る」という条件で引っかかってしまった場合、ごく一般的な消費者はある程度調べたり、購入を取りやめたりするようになってきました。

また、インターネットのリテラシーが低い人は同時に騙されやすかったりしますが、そういう人たちだけに物が売れたとしても継続購入の可能性は極めて低く、可処分所得等を考慮しても良質な顧客にはなりにくいイメージを持っています。

つまり、リテラシーの高い人にも怪しまれず、購入前にしっかり調べられても大丈夫な状態があって初めて、広告で「こう見て欲しい」というのは長い目で見て最も効果があるやり方ではないかということです。
それ以外のやり方は、短期的な利益には繋がっても、本質的な成功体験とは言い難く、それにばかりしがみついてみたり、その都度最初からやり直すようなやり方を繰り返していては、情報が簡単に消せない世の中としては、時代にも逆行する上に、人の心にも逆行するようなやり方になるので、どんどん衰退していくのではないかなというのが、私の意見です。

2.「ちゃんとした広告」は高くなりすぎる

広告に対する感度やリテラシーというものがすごく高くなってきたおかげで、広告を見て「いいな」と思ってもらうには、相当な費用がかかる世の中になってきたのではないかというのが2つ目の理由です。

マス広告も、PPC広告も満足に手がけた経験はないですが、広告の元になるコンテンツの製作やLPの製作等には携わっていたので、その予算感とできてくる成果物、その成果物がなし得る効果というのは、やはりある程度予算に比例するというのはわかっています。

また、そこには何かしらの水準があって、その水準を超えた予算でない限り、金額の多少は効果にあまり影響しないんだろうというのも、感覚からくる予測です。マスに訴えかける大々的な広告を作ろうが、インターネット広告とLPとでコンバージョンを集めるようなキャンペーンをやろうが、どちらにしても、「効果を出したければそれ相応の予算がいる」というのは今後も変わらない原則なのではないでしょうか。

「それ相応の金額」をかけて回収できなくてもへっちゃらな企業は、今のところ私の身の回りにはいないというのもあるので、まずは身の丈にあった、博打になりにくいやり方を取りませんかというところで、「広告」をあまり重視しない理由2つ目の解説を終えたいと思います。

3.まともな広報ができていないと、広告が響かない

1や2の話と共通する部分もありますが、広報がきっちり動いていないと、大々的なキャンペーンを打ったところであんまり効果が出ないというのも、広告「だけ」を重視しない理由になります。

よそ行きの姿は綺麗だったとして、普段着の姿や普段の振る舞いがあまりにもひどければ、裏切られた気持ちにもなりますし、そもそも人に知られてもらおうともしてない商品やサービスの広告を見たところで、比較検討の調査もできないので購入をあきらめたりします。

まともな普段の業務や、しっかりした広報活動がベースにあるからこそ、そことの乖離が大きすぎない広告キャンペーンを打つことで相乗効果を発揮します。
乖離が大きすぎると、「(ウソや脚色を)盛ったな」となりますし、広告で高まった事前期待のままサービスを受けて、実際の満足度との落差に、裏切られたような気分になるお客様も出てしまい、そこから風評被害やマイナスの評判も広まってしまうことになります。

そうなると今度は、「ウソの広告をやった」という部分だけが延々と残るようになり、ずーっと後ろ指を刺されながらウェブサイトやSNSアカウントを運用し続けるという事態もありえます。

SNSやブログの発達で、意図しないところで意図しない見られ方をする機会も増えてきました。
過去の発言も、意図しない部分だけを切り取られて拡散されるケースも少なくないでしょう。
そんな時、普段から「どう見られるか」を広報活動を通じて役員から現場の社員さん、アルバイトさんまで浸透していれば、うろたえる必要は無くなると思いませんか?

フィクションの世界でも素敵だけれども、普段の素顔も素敵だと思ってもらえる状態をまず作る。
広報を通じて高まってきたお客様の購買意欲を解消するために広告やキャンペーンを用意する。

こういったファンとの関係性作り、普段の努力があって生きる販促活動、それを生かしていく経営の構築。
そういったことを十分に意識した情報発信が、これからの時代に必要な考え方なのではないかというのが、3つ目の理由でしょうか。

じゃあ、どうしたらいいんだと思われたら

ぜひ、仮面ライターへご相談ください。長い目で見たぶれない広報活動、広報活動を生かした広告運用など、お応えできるものは全てご提供させていただきます。
料金や条件、できることなどもお気軽にお問い合わせください。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2016.09.24

2016.09.25

Loading...
Facebook Messenger for Wordpress