書く時に大事にしたいこと

2016.09.28

仮面ライターと言いながら、いわゆるライターや記者としての技能や経験は正直微妙なものがあったりします。情報を伝えるために書く人の一人として、大事にしていきたいことを幾つか挙げてみました。

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伝えたいことを書けば書くほど伝わらない

書いてあることをそのまま受け止めるには、前提となる条件が個々人によって異なり、あまりにいいことが書いてあったりするとかえって疑ってしまうのが人間のサガかなと思っています。もちろん、すんなりそのまま受け取ってくれる人もゼロではないですが、顔も名前も知らない人のコンテンツだと、よほどの背景情報が載っていない限りは疑う人の方が多いんではないかと思います。

特に、「あ、こいつ説得しようとしているな」とか「自分の方が詳しいと思って、上から説明してるな」と思われたら一巻の終わり。ほとんど耳に入れてもらえないんじゃないかと。これ系のミステイクを、割とウェブ系のライターさんやマーケターさんはやりがちな印象を持っています。受け取り手の自由もありますし、受け手のリテラシーだって千差万別のことが多いので、よほどのことがない限りは全部伝わると思って書かない方がいいんじゃないかというのは、私だけの見解ではないでしょう。

そのまま書くのは下品

あまりにも分かってほしいと、分かってほしい部分をそのまま文章にしてしまうのは、個人的なポリシーとしてはやりたくないのが正直な所です。悲しい気持ちを悲しいとタラタラ書くのもアウトですし、何が凄いかをただただ自慢するのもアウトでしょう。

間接的に伝える表現方法や、伝え切らずに伝えようという短歌や俳句という文化もあるこの国で、文字数の制限を考えなくてもよくなったからといって、何でもかんでも書いて伝えようというのはあまりに下品で、それをありがたがるような人は大した人物じゃないとも思います。

「これ、伝わる?」ぐらいのトーンで探りながら、受け取ってもらえる教養のある人や想像力のある人だけをお客様にした方が、お互いにWin-Winだと思うので、書いてほしいことほど書かない方がいいんじゃないかという思いがあります。

細工が多すぎるのも、受け手に余計な負荷をかけるやり方もしたくない

独自の横文字を駆使したり、読んでもよくわからない技巧を凝らしたりするのも、上記のセンテンスと同じく下品なやり方だなという考えを持っています。誰が読んでもわかる言葉を使いながら、違和感なく新しい情報をお伝えする。それが書き手に求められる大事なセンスの一つだと思うからです。

また、自分勝手な想像で前振りというか、起承転結の「転」までを作らなかったり、シナリオでいう「天地人」、すなわち前提となる情報を入れ込まないで自己主張を織り交ぜるやり方もナンセンスだなと。まず、受け入れてもらうための素地を自分で作る。そこまで受け手の意識をを連れてくるのも、書き手のお仕事だと思うので、どれだけ業界人として名が売れたとしても、その辺りは丁寧にやりたいと思っています。

全部は書かない。書いていないことの方が大事

時々、仕入れた知識をそのまま右から左に開陳するおバカな方がいらっしゃいますが、ああいうブログやライティングもやめた方がいいと思います。全部書けば書くほど、底の浅さを見抜かれるのがオチで、教養のなさというか伝える技量のなさを自ら露呈するという状況を作り出しています。

頭に入れた情報を咀嚼できていないことが丸わかりなんですよね。不思議と。頭の良さって、書いていること以上に文章に現れるので、あんまり知らないのならライターはやらない方がいいと思います。

自分からわざわざ道化になるのは、若かりし日の太宰治だけで結構。自ら下卑たり、自分の価値をわざわざ貶めるようなやり方は絶対にやらないでおこうというのも、個人的なポリシーですね。

インプットもアウトプットも感性が普通からは違いすぎるので、「そのまま伝える」はしない

何を受け取って、何を伝えるのか。一般的な感覚を持ち合わせているつもりですが、どんなことがすんなりと受け止めてもらえるかはよく分かりません。多分、「普通の文章」を書く方が時間がかかる上に、それをやるとあんまり面白くないですし、反応も薄くなって良さも生きないので、感じたことをそのまま書いても伝わらない自信があります。

あくまでも、自分のフィルターを通して「こう感じましたよ」というのを物理的に描かないと伝えられないと思うので、そういうやり方を今後も貫いていきたいと思っています。

想像力を掻き立てるために書いていきたい

実際に体験する以上のパワーを持っているのは、人間の想像力です。目の前で起きた事象を見たり伝えてもらうだけでは、想像した世界には勝てません。何よりもビビッドなその想像力を喚起するために、行間の方を大事にした書き方をしたいと思っています。

チラリズムを理解しないでエロスを追求してもダメなんです。書いて伝わることと、書かなくても想像してもらえることのさじ加減を把握していかないと、印象には残せないんです。小説原作の映画が、小説に勝てないのは想像力の方が優位だからです。

妄想のスイッチを押すために、書いてあることと書いていないことの世界を明らかにする。真っ白な世界に、黒いシミを落とす。その黒いシミを見てもらうのではなく、黒いシミによってできた境目をみて、その先を想像してもらう。それと似たことをしてもらうために読み手を導いていくのが、作家のやる仕事だと思うので、伝えたいことをありのままに書いてしまうのはベストではないというのが個人的な見解です。

すなわち、情報を伝えるのではなく、物語を想像してもらうために書いていく。直接伝わらないから、間接的に読み取ってもらうというのが、個人的な執筆スタイルになります。

書くのが3、書かないのが7。書いてあることのロジックよりも、描写の味わい。構成力よりも文体で勝負するのが個人的なポイントでしょうか。

露骨に見せる部分で勝負できないから、それ以外の部分で勝負する。そのためには、広告といったやり方よりも人間性を伝えていく、間接的な認知や関心を引く広報といったやり方の方が向いているんではないか、というのが今のスタイルになった要素の一つでもあります。

教養のあるハイリテラシーな方々、自分よりも物を知っている方々に興味を持ってもらう可能性が高い、間接的なスタイルの押し付けがましくないPR。仮面ライターと一緒なら、あなたにもできますよ。今のところは、多分ですけれど……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2016.09.28

2016.09.28

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