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著者 | マイケル・S.ガザニガ |
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翻訳 | 藤井留美 |
版元 | 紀伊国屋書店 |
2014年9月が初版。ジョナサン・ハイトやスティーブン・ピンカーの名前も出てくる、脳科学や神学、哲学、道徳にも言及した書籍。以下、ごくごく簡単に見解を述べてみます。
解剖しても見つからない、「わたし」
仮に、生きたまま解剖されることができたとしても、モノとしての「わたし」は見つからない。あくまでも、個々の神経細胞、シナプス同士が発火する情報伝達の上に芽生える、仮想的なモノが「わたし」という意識になる? というのが読んでみた答えです。
半導体や真空管と電気回路を使って成り立つ、フォン・ノイマン型コンピュータと脳との類似、あるいはプログラミング言語と身体操作との類似性を随所に感じてしまうところもありました。
脳内でも、各モジュール、脳領域や神経細胞は常に繋がっているのではなく、時々繋がったり、いつもとは違う経路で情報伝達をしたりして、動いているらしいというのがだんだんわかってきます。常時つながっている状態、常に電気信号をやり取りできる状態になってしまうと、脳の消費するエネルギーは爆発的に高くなってしまい、今ですらフルパワーで稼働させると原発何基分かのカロリーを消費するのに、それすら上回る装置になるというのだから、さすがに無理ですよね。
そして、エコモードで運用しつつも、時々しかつながらずにある程度独自性が保たれているおかげで、それぞれの処理は素早くなったり、新しい発見に至ったり、複雑なことを考えられるというのも、面白いと思った点でしょうか。
実際、脳の細胞も半導体や絶縁体に近い性質を持っていたというのもどこかで見た記憶があり、現在のコンピュータやパソコンというのはかなり脳に近いやり方で構成されているんだなという妙な発見もありました。
やっかいだけれどもいじらしい「解釈装置」
どこにも存在しない「わたし」ではあるものの、どうやら左半球にある「解釈」や「推論」を行う領域が「わたし」や「意識」を形成する上では有意なポジションにあるようです。
そして、この解釈装置が認知バイアスや冤罪を生んだりすることにもつながるというのも、またやっかいな機能。無意識に情報をインプットしているのに、うまく処理しきれずに結果だけを認知した瞬間、因果関係を求めて理由を作り出してしまうことが多々あるのだとか。
余談ですが、なんとなくそういう傾向があるんだろうというのは知っていたので、「購入後のユーザーアンケートは役に立たない」(もっともらしい作り話を紡ぎ出すから)という考えを持ってはいました。
そしてこの解釈のバリエーションや確かさというのは、元々持っているインプットや知識、経験に相当左右されるらしく、持っている知識の範囲が狭かったり、それに疑いをかけるような能力を培っていなければ、誤った解釈のまま「過去を書き換える」とか「もっともらしい作り話」、「自分に都合のいい話」を主張するような事態にも陥るんだろうなとも。
「わたし」は小さな地球。統合された複雑系
生きる上で脳に限らず、実に様々な機関、様々な細胞や微生物を身体の中に抱えているヒト。その方々から上がってくる情報を処理する脳も、いろんな専門領域をモジュール化して持つ、複雑系。
「わたし」という意識は、地球規模の気象と似ていて、個別のモジュール、個別の要素が従う物理法則、その一部で起きた変化と、解釈装置とのせめぎ合いで生まれるものが、どうやらそれらしい、というのが読み進めてきて落ち着いたわたしの答えでしょうか。
ブラジルでの蝶のはばたきが必ずしもテキサスでのハリケーンや竜巻になるとは言えないですが、可能性はゼロではなく、微細なパラメーターが全体に大きな影響を及ぼすというのは、ありえない話ではないです。
また、人間の身体や脳の中でもそういった「複雑系」のような振る舞いが起こるというのも、十二分にあり得る話かなとは思えました。
いろんな生き物が生きる一つのコロニー、生態系としてのハードウェア、ボトムアップの「わたし」や無意識があり、解釈装置が主導権を握りがちな、仮想なプログラミングっぽいソフトウェア、トップダウンの「わたし」がいる。トップダウンの「わたし」が有意ではあるものの、ボトムアップの「わたし」を無視することはできず、ボトムアップの「わたし」の意向を組みながら、トップダウンの「わたし」が判断する。
どうやらそういった仕組みが、総合的な「わたし」を形作っているようだ、というのが私の中でまとまった回答でしょうか。
攻殻機動隊の「ゴースト」が説得力を増す?
これから、AIや義肢の開発が進んでいくと、近未来SF的な世界もすぐにやってくる感じもありますが、ハードウェア的には組み込まれていない、バーチャルな存在が宿る瞬間というのもありえなくはないのかもしれないなという、期待と怖さの入り混じった感覚も抱きました。
電源を消せば消えてしまいそうなその「ゴースト」。それが現れる頃、果たしてヒトはどういう対処を取るのが正しいのか。そういうことも考えてみたいところですね。いやぁ、中々興味深い書籍でした。