『神話で読みとく古代日本 古事記・日本書紀・風土記』を読んでみた

2016.10.05

古事記や日本書紀を通じて、大和朝廷と地方豪族との平定の様子が語られているのは知っていたモノの、なぜそうしたのかについてじっくり考えたものを手に取ったことはありませんでした。本書はまさに、そういう書籍。ちょろちょろとまとめてみます。

この記事は 約 5 分で読めます。

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著者松本直樹
版元ちくま新書

2016年6月が初版。古事記や日本書紀に、ある程度何が書いてあるのか、どういう違いがあるのかをざっくりとでも頭に入れた上で読んだ方がいい書籍。

手前勝手な神話では天下を平定できない

洋の東西を問わず、歴史は勝者が書き換えるもの。権力を握ったものの正当性を示すべく、過去を書き換えて物語をでっち上げるのが通例でしょう。また、すでに一定の権力者がいる場合、その根拠を求めた相手はヨーロッパではローマ法王、日本国内では天皇家ということになります。

武力でヨーロッパを平定した人たちも、王族の地を求めたり、法王の信任を得るために苦心して衰退したり。天下布武を目指した信長や過去の武人達も皆、天皇の勅令を求めて走り回ってきた歴史がありますが、裏を返すと宗教的に裏打ちのあるローマ法王や天皇家はそんなことをしなくてもいいように、国民の納得を得てきたということになります。

大和王朝による地方豪族との外交交渉、あるいは地元民への天皇家支配に対する納得を引き出すためには、「神話」の力を借りる必要があったというのが、著者の主張。そして、その神話というのは、支配者の都合で勝手に作り上げた神話では納得を引き出せなくて、地方に点在する各神話を取り入れながら、古事記や日本書紀を編纂する必要があったのではないか、というのが著者の論になります。

武力による支配をしてきた、コンキスタドール的な記述もゼロではないですが、治水や耕作といった開墾、婚姻や外交交渉といった経緯で日本という国が成り立っていますよ、というお話をわざわざ作り出しておかなければ、当時の新興国であった日本や大和朝廷というものは力を示すことができなかったという証左でもあるのでは、というのは個人的な推測です。

日本は、武力行使のみで出来上がった国ではない

恐らく、今の近畿に大和朝廷が出来上がる頃の古代日本には、九州や出雲、北陸や東北地方に有力な地方の豪族や力を持った地元の人々が存在していたのだと思われます。そういった方々に対し、武力行使をしたケースは桃太郎のお話みたいな鬼退治、あるいは妖怪退治みたいな話で名残があったりしますが、それだけで国を成り立たせるだけの武力を大和朝廷は持っておらず、戦わずに国を一つにまとめようとした結果が、古事記や日本書紀の記述に現れている、と。

もし、南米で起きたコンキスタドール的な力による支配でスタートしていたのなら、天皇家の素晴らしさを語るところからの神話で良いのにも関わらず、天孫降臨は高千穂だし、国生みはオノゴロ島だし、ヤマト系と同じぐらいの頻度で記述される出雲系の神話もあり、天皇家に直結するお話の比重も少なくないものの、あまりにも色んなところへ配慮した記述になっているのでは、というように本書の中では書かれています。

海を渡れば律令国家になり始めた当時の中国や朝鮮半島の国々があり、そういった国々に対して列島各国も一枚岩になっておく。その点で、有力だった九州や出雲系の豪族と交渉しつつ、ほんの少しだけヤマト系が神の系譜として正統であるということでまとまった。その経緯が、地方の民が納得する「聞いたことがある」神話を織り込んだ建国神話を作らざるを得なかった事情ではないか、と。

そして、大和朝廷を中心に据えつつも、地方は地方で自分たちの主張を織り交ぜた風土記は編纂させてもらえるだけの「遊び」は残っていた。だから、古事記や日本書紀とは異なる、出雲の風土記が残っている。

こうして朝廷をまとめたうえで、征夷大将軍となった坂上田村麻呂が、東北地方へ武力行使も含めた、開墾や治水のサポートで国家を着実に平定していった、「和をもって貴しとなす」な日本の国の出来上がり方があったのではないか、というのは個人的な意見です。

自分たちの正当性を主張するなら、相手が納得する話をしなきゃいけない

天皇家が国を統治するという、今から思えば当たり前のお話ですら、こういった受け取る側への配慮が沢山あります。武力による支配や、一方的に宗教を押し付けたうえでの思想の支配もしていないからこそ、天皇家やそういった人たちを戴く日本国民とが尊いんだという思いも芽生えてきます。

お互いに敬意を持ち、調和するポイントを見つける。そのためには、自分たちの理屈を押し付けて、道理を捻じ曲げたり、説得を迫るようなことをしていては話が通じない。相手が納得する話は何かをきちんとリサーチして、自分の伝えたいこともきちんと織り交ぜて、破綻が少ないように有能なプロデューサーの元に物語を再構成していく。

矛盾の少ない物語を作り上げ、伝える相手と共有した「いにしへ」(去にし辺、「かつて通った所」、すなわち過去の経験)に嘘がないような、破綻のない「今の姿」を示すことが、気持ちのいい関係を築いていくうえでは不可欠な行為なのではという思いに至りました。

敬意を持ちつつ、調和を目指す。取材に基づく物語のプロデュース。そういった要素が、提供していきたいサービスの根幹になるような気づきもあり、中々に有意義かつセレンディピティな読書になりました。おすすめです。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2016.10.05

2018.04.30

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