大人が「カッコ良い」って、大事だと思う

2016.12.19

Webメディア界隈や検索エンジン界隈を賑わし、今なお余波が続いている某事案。色んな立場の色んな表現があると思いますが、「カッコ悪いことしたな」という切り口で自身のスタンスも展開してみます。

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モラルやルール云々より、メンタルの醜悪さがひどい

某D社や村田某氏、同業の某C社。そして、既存メディアにまで飛び火しつつある、似非キュレーションサイト問題。それから、「コンテンツマーケティング」界隈。何を伝えて何を伝えないか、情報を取り扱うのに細心の注意がなければならないというのを、改めて感じる次第。

そして何より同業界に身を置く者として、声の大きい人たちのあまりのカッコ悪さにも辟易する。コツコツと真摯に取り組んでいる人たちが着実にいる一方で、底の浅い、利益第一主義っぽい人たちが市場やビジネスを焼き払っていく。何度目だろうなと思いつつ、そういう恥ずかしい連中に権力や資金を集中させざるを得ない、消費者やユーザーの見る目のなさもなんとかならんかと思ったりもする。

見た目の美醜の問題ではない。メンタル、物事に取り組む姿勢や、生きる上でのポリシーといった哲学の部分での美醜。内面の豊かさや美しさの問題で、一連の騒動の向こう側にいる人たちはかなり「カッコ悪い」と思ったのが、個人的な総括。

何がそんなに「カッコ悪い」と思ったのかを、整理しよう

1.「なりふり構わず利益を追いかけたのに、それを隠す根性」がカッコ悪い

「PV第一主義ではない」とか「コンテンツの中身が大事だ」とか、「SEOは意識しすぎていない」とか。仕事としてそれなりの規模のメディアを立ち上げる以上、そんなのは嘘だ。最優先でないにしても、考えていないはずがない。趣味やボランティア、伝えたいことがあるという高邁な精神でやっていても、ドメイン代やサーバ代、書く人の人件費は捻出しなくてはならないとなると、必ずキャッシュポイントは考えねばならない。(本当に、純粋な趣味やボランティアで、おばけブログみたいなメディアを作ってしまう人もいるにはいるでしょうね。そういう人は、素直に尊敬します)

いかに事業やメディア、自社を高く買ってもらうか。いかに良い条件で株を保有するかというのを考えているのなら、素直にそれを表に出せば良いのに、隠す。そこがすごくカッコ悪い。隠した上で上っ面の心にもない綺麗ごとを言うところがまたカッコ悪い。自分の欲望も何もかも、表に出してやってしまった方が潔くてカッコ良いのに、中途半端に良い人のふりをするところがカッコ悪くてしょうがない。

2.「周りにどう受けるかをひたすら気にしていた」のがカッコ悪い

中身の品質よりも数を作ろうと、著作権云々や情報の真偽も無視して質の低いコンテンツを量産する。そして集まってきたPVや広告などで得た収益を誇って他人に見せて、巨額の出資を募ったり、身売りをして評価を得る姿勢。それもカッコ悪い。

PVも収益も、結局は他人の尺度。他人の評価。人にどう受けるか、人にどう見られるかをひたすら考えて、上手いこと踊って見せたところがカッコ悪い。他人にどう思われるかを無視しろとは言わないけれども、安易に世間に迎合する姿勢はかっこいいとは言い難い。その結果得られた評価や資産も、他人には誇れても未来の自分や過去の自分に自慢できるものではない。そこがまた、カッコ悪い。自分に恥ずかしいことをしていると思わないのも、またカッコ悪い。

3.「簡単なやり方で、額に汗をかいていない。片手間でやった」がカッコ悪い

過去の成功事例を、ほとんどそのまま踏襲。オリジナリティといえば、目先を少し変える程度の手間しかかけていない。良いライターを起用して、お金ぐらいはかけたのかと思えば、どうやらそうでもない。チェックバックをかけたりする体制も、きちんと稼働させられていない。じゃあ、いったいどこで汗をかいたのか。無駄に「頑張ること」を礼賛するつもりは全くないが、こんなやり方を貫くというのも、個人的にはカッコ悪いと思ってしまう。

再現性も高いだろうから、表に立つ人間を変えればいくらでもできてしまうだろうし。そういう工夫のなさ、自分の気持ちや思い入れ、こだわりを全く持ち込まない、美学がなさそうなところもまたカッコ悪いポイント。

結局、自分自身の利益のためだけに、周りへ不利益をもたらした利己的な姿勢が一番カッコ悪い。モラルやルール以前に、そんなことをして恥ずかしいと思わないのは、やっぱりカッコ悪い。どうせなら、「カッコ良い」人にスポットライトが当たって欲しいと思う。

個人的にカッコ良いと思うのは「孤高」「美学」「挑戦」

例えば、ジェームズ・ボンド(特にダニエル・クレイグ版)、ルパン三世、スナフキン。スティーブ・ジョブズや松山千春、宮崎駿あたりの作家性の強い人たちも、かっこ良いと思ってしまう。どの人物にも共通しそうなのが、その人やキャラクター自身が強烈なブランドになっているということ。個性の強さ、ワガママとも言われかねない部分をチャームポイントにしているように思える。

自分がどう在るべきか、自分の価値は何かが分かっている。

成し遂げた成果でもなく、実現したいことでもなく、自分自身がどう在るか。ブレずに保有している「その人らしさ」に独特の希少価値を持つのが、「かっこ良い」部分の一つ。それを自分でも身につけるには、ある程度の孤独や寂しさを覚悟しなくてはいけない。

大衆の中から抜け出して、自分だけのあり方を追求するには自分自身と向き合う時間が必要になる。他と一緒ではない「違い」を見つけたり、「在り方」と言えるまで培うには、群れの中に身を委ねていては不可能になる。群れの中からはみ出て、孤独に過ごすという鍛錬が欠かせない。

また、前例を踏襲しすぎてしまうと「自分自身」の在り方からズレることになる。他の誰かの人生を真似るだけになってしまい、オリジナリティは途端に消えてしまう。参考にするぐらいに留めて、自分自身の方針を貫いて生きなくてはならないというのも、社会性の強いヒトとしては辛い課題になる。(特に、同調圧力が強かったり、「出る杭は打たれる」ような日本だと輪をかけて難しい。)

そういう寂しい時期や辛い課題に向き合っているからこそ、一つしかない個性、孤高さが尊く思えてくる。耐え抜く精神力や時には嫌われても良いという勇気を持っている部分が、カッコよさのポイントなのかな。

自分の美学やポリシーを明確に持っているのもカッコいい。

自分自身の評価も、他人の与えた尺度で測らないところがまたカッコイイと思えるポイント。お金や名声を求めて行動するのではなく、自分の美学、自分らしさを貫けたかどうか、より自分らしく生きられているかどうかを求めている姿がかっこいい。判断基準や価値基準を外に求めすぎないで、自分の足で立っていられる人は素直に尊敬したいと思う。

ただ、迎合もポリシーを曲げることもしないけれども、世間との調和を忘れない人だけが、カッコイイと思える。他の人が大事に思っている基準や、社会通念上の尺度も大事にできる優しさ、柔軟さを持っていなければただのナルシスト。それはダサい人や残念な人というレッテルを貼られてしまう。
自分自身のことも大事にしながら、周りを冷静に見られる人でなければカッコ良くはいられない。大衆や群れ、世間から「付かず離れず」をやれるお行儀の良さ、人を不快にさせない程度のマナーも身につけているとカッコ良さに磨きがかかる?

「美学」をベースに「全力」で自分から挑戦している姿勢もカッコイイ

例えば、自慢の剛速球をど真ん中に投げ込む。絶対に打たれないと、相手の都合に振り回されることなく、自分から仕掛けに行く潔さ、無骨さがカッコイイとも思える。ある程度不器用で、賢いはずなのに譲らない手法や手段を一つ持っている方が魅力的に思える。

勝負をかけるときは全力、出し惜しみしないところがあると、カッコ良さや美しさに磨きがかかると思いませんか?
そうやって、過去の自分を乗り越え続けようとする求道者的なところがあると、ものすごくカッコ良く思える。

己の額や全身に汗をかきながらも、プロセスを誇るのではなく結果や成果を見てもらおうとする部分、生み出したものの価値を高めるために、改善し続ける努力なんかが、より一層カッコ良かったり。そういうことをやっている人が、あんまり身近にいなかったりするのも、また日本の現状だったりもするんですが……。

ブランドの魅力も、「オリジナリティ」や「美学」?

カッコ良さを身につけた人が提供する商品やサービスを、ブランドという言い方をすることもできる。孤独な寂しさ、一人でコツコツと身につけたり磨き上げたりした技術や哲学の結集が、その人の魅力であり、ブランドの魅力になるとすれば、カッコ良さやブランドというのはもっと大事にしてあげなきゃいけないのではないか、とも思う訳で。

適当に作って膨大な利益を上げてしまった「底の浅いもの」や、ブランドや哲学の表面だけを真似て見せ方だけ真似た「パクリ」にスポットライトを浴びせるよりも、本物の価値や本物のブランドにスポットライトが当たるような優しい世界になって欲しいと思います。

「カッコ良い」は簡単じゃないけれども、あきらめないで欲しい

大人が目先の寂しさや怖さに怯えて「カッコ良い」を遠ざけてしまったら子供は何に憧れを抱けば良いのでしょう? 何を目指せばいいのでしょう?
大人も子供も「カッコ良い」をあきらめて、周りが提示する「無難な人生」を送るようになってしまっては、豊かさはどんどんスポイルされてしまいます。何が「カッコ良いのか」が分からない大人や子供が増えてしまえば、せっかくの孤独な時間が評価されなくなってしまいます。これは、非常に悲しい。

子供騙しな手抜きのコンテンツや、どこかの焼き直しみたいなコト消費ばかりの世の中にならないよう、孤独の寂しさや挑戦の怖さに立ち向かってもらえれば良いなと思う次第です。

「カッコ良い大人」が増えれば、少しの加工で伝えられる

沢山の隠し包丁を入れることなく、本当に必要最小限の加工だけで「そのままの良さ」を伝えることができます。かっこ良い大人が沢山いるんだと、伝えられる喜びもあるかもしれません。

本当に大変な生き方ではありますが、これからの時代を生き抜いていくには「カッコ良い大人」を目指さざるを得ないのだろうなとも思います。また、自分自身を貫いても生きやすい世の中になるよう努めていかねばとも、そういう時代が来るまでカッコ良さを貫いて欲しいとも、思っています。

そういうやり方、そういうスタンスで仕事をしてみませんか、生きてみませんかと、背中で語っていきたいなとも思う今日この頃です。思うばかりにならぬよう、精進しますね……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2016.12.19

2016.12.19

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