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著者 | 森 達也 |
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版元 | 筑摩書房 |
バリバリの文系人間であるという著者が、「福岡伸一、池谷裕二、村山斉などの第一線で活躍する科学者たちに問うことで、人と科学の根源に挑む」(鉤括弧内は、Amazonから引用)書籍。
なぜ、今まとめようと思ったのか
クリエイターとして生きる意味を、考えたくなったから。
なぜ生きるのか、なぜ作るのか。あるいは、なぜ破壊を伴おうとしたがるのか。自分の考え方の根底にあるものを、別の角度から伝えられるものはないかと考えたところ、「そういえば、そういう書籍があったな」と改めて書評っぽいまとめにしてみようと思ったのがきっかけ。
昨今のヒット作に思うところ、最近の炎上ネタについて思うところをまとめる前に、前振りとなるものを、タイトルの書籍から抜き出して整理できればと思う。
作る以上に、壊すことが大事
細胞や生命は、自らを頑丈に作るのでなく、壊れやすい形にしてせっせとつくりかえる方法を選んで、今まで生きながらえてきた。というのが、福岡伸一氏の見解らしい。乱雑に、無秩序に向かうというエントロピー増大の法則から逃れるために、自ら壊してつくりかえることを選んだ、と。
もし、「壊す」ことを選ばなければ、手は丸いままで「指」は生まれないし、そもそも「発生」の段階で「分化」というものを減ることができない。代謝の中で、細胞の末端についたテロメアの分だけ細胞が自死してくれなければ、それはがん細胞になり、自分自身とは違う生き物となって全身を蝕んでいく。
そもそも、ミトコンドリアにエネルギーを作らせるために取り込む「酸素」は身体にとって有害だ。といっても、呼吸をしなければ死んでしまう仕組みになってしまっている。死ぬために生きている、壊すために生きているというのは逆説的に思えるけれども、間違いない真理のようだ。
わざわざ膨大なエネルギーを使いながら、多様な手段や手法で「壊す」ことを選んできた生命。不思議で仕方がない。
そして、そうやって壊し続けてきたからこそ、生命のバトンタッチは過去から今まで続けられている。個体としての命や種族としては死を迎えていたとしても、生物を総体としてみた時には生まれた瞬間からずっと生き続けている。まるで、聖火リレーのように。
我々は、宇宙を終わらせるために生きている
長沼毅氏によると、「生命は宇宙のターミネーター。エントロピーを少しでも早く増大させるために、我々は存在している」らしい。また、池谷裕二氏によれば、「私たちは宇宙を老化させるために存在する」とも。
エントロピー増大の法則に逆らいながらも、我々が存在することによって、全体的なエントロピーは効率よく増大するという。わざわざエネルギーを使って自らを壊し、宇宙を早く終わらせるために存在している生命。なぜ、そうなっているのかは分からないけれども、ただ「創るだけ」ではダメなんだという主張、想いに多少なりとも納得してもらえる材料になれば、とも思う。
科学は、大きなWhyに答えられない
「なぜそれが存在したのか」や「なぜ生きるのか」という問いに、科学は答えられない、と福岡伸一氏はいう。
こういう大きな問い、「なぜ生きるのか」、「生命はどこへ向かうのか」という問いに答えられるのはもしかしたら、哲学か神学といった、文系科目、あるいは純粋な物語、文学だけなのかもしれない、とも思った読書体験だった。
本当の答えは、意外なところにある
パッと見には明らかに思えるものであったり、間違っているように思える方にこそ、実は真相が眠っている。そんな、「どんでん返し」や「常識を覆す」という発見が科学の分野、理系の分野ではどんどん巻き起こっている。それが恐らく真実だろうし、今まで簡単に考えていたことよりもはるかに複雑で、「混ぜるな危険」みたいな不安定なのが自然というものだ、という想いすら抱いてしまう。
「えっ?」と思えそうな抜け道、盲点を突いてみたり、一見すればとんでもないことをしているような選択肢を、これからも選び続けるような気はするので、思い切って「空白」の部分を踏み抜けていこうと思う。破壊の伴う創造を、しっかりやっていきたいとも、改めて思った次第。