「ペルソナ」にこだわって、デマンドサイドに寄り添いたい

2017.02.16

「結局、何をやってる人なのか」第六弾。ささやかな違和感を辿っていくと、考え方の違いや強みっぽいものが見えてきました。その辺を改めて整理してみます。

この記事は 約 7 分で読めます。

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「ターゲティング」や「セグメンテーション」に感じる違和感

どちらも、「伝える」ことを考える場合には必須の要素だ。「誰に」「どうやって」「何を訴求するか」を考えずに広告や広報をしても、徒労に終わる。たまたま伝わったとしても、伝えたい骨子がまとまっていないと、伝えたあとのアクションにまで至らないから、やっぱり「ターゲティング」をしたり、より細分化したり細分化の軸を調整するために「セグメンテーション」をしたりする。

ただ、その分析や考察では「甘い」と感じることがある。それは、「机上の空論」、「売り手側が理想とする人物像を、現実感なくでっち上げている」ように感じてしまう。それは一体、「誰に向けたメッセージですか?」、「その人、そのシチュエーション、そのシナリオは本当に存在するのですか?」と。

セオリーはセオリーだろうし、センスのいい人の手にかかれば「当たる」確率は上がるのだろうけど、それでも違和感が拭えない。その理由をいくつか、考えてみたい。

「時代の変化」と「セオリーが偽物である可能性」とを考えなきゃいけない

花森安治が、『暮しの手帖』を通じて日本の製品をテストし続けてきたこともあって、先進各国の中でも今の日本のモノづくりは非常に質が高い、と思う。おまけに、市場も生活も成熟してしまい、市場も生活も飽和状態に近い。丈夫で長持ちする製品があるのに、わざわざ買いたくなるものというのは、少ないだろう。

おまけに、「一億総中流」社会は崩壊し、格差はそこまで拡大していないとはいえ、消費のエンジンになりそうな若者には、十分な可処分所得も残っていない。消費を刺激してくれるだけの可処分所得を持っている人たちは、「モノを買わない」し、モノを買いたいだろう人たちは、「可処分所得が足りない」。そこに商品を持っていったところで、供給過剰というほかない。

その状態でも、「買いたくなる情報を売り手の感性で発信していけば売れる」と、猛烈な情報の洪水を起こしてみても、やっぱり大規模な需要の喚起にまでは至っていない気がする。オタクな市場は多少拡大しただろうけれども、国民の半数以上はあまりインターネットを利用しないというデジタルディバイドもあり、情報がきちんと届かない状態にもなってしまっている。

フェイクな情報や、ステルスマーケティングな情報を受け取りたくないと思っているユーザーも出てきているし、キュレーションメディアのゴタゴタもあって、どんどん「売り手の思った通りに動いて欲しい」というのは難しくなってきている。

「買い手主導」と呼ばれて久しい状態なのに、産業革命以後、辛うじて通じていた「セオリー」に則った戦略や戦術を、今もなお続けている。その一角に、「ターゲティング」や「セグメンテーション」も組み込まれている。これがおかしいとは、思わないのだろうか?

そもそも、その「セオリー」やセオリーのベースになる部分も、事実とはズレている可能性すら出てきている。天動説を信じた天文学、ニュートン力学に則った物理学のように、「意図的にモデル化された」ものの上に構築された「経済学」を今もなお信じてしまっている。

天文学も「複雑系」、物理学も「量子力学」や「相対性理論」を組み合わせた複雑系、その他色んなものが、「本当は複雑系」で、「経済学」や「政治」も、産業革命期の有識者が唱えた「モデル」とは異なり、「本当は複雑系」であることが露呈してきている。

象牙の塔を飛び出して、フィールドワーク、事象の観察から自身の理論を導き出したケインズが注目されるのは、「複雑系」の経済をきちんと捉えたから。「こうなったら、こうなる」とモデル化された考えを基準に、都合のいい面だけを捉えた物の見方をしていては間違える。それが明らかになったのが、過去の経済的なトラブルじゃないだろうか。

つまり、新しい用語や考え方が提唱され始めているのに、「モデル化されたフィクション」と、それがたまたま当たった「まぐれ当たりの成功体験」とを捨てきれない人たちがいつまでも会議室にいる。そこを正せていない、間違いを招くのに巻き込まれているというのが、違和感の正体に近い気がする。

現実を捉えながら、伝えていきたいから「ペルソナ」にこだわる

前振りが長くなってしまったけれども、ようやく本題。時代が変わったのだから、やり方を変えていきましょう、見方を変えていきましょうというのが、ここで言いたかったこと。

UXやコト消費、マーケティングオートメーションやコンテンツマーケティング、ペルソナといった用語は、いずれもデマンドサイド、需要側が主導になったために出てきた言葉や概念だと個人的には思っている。供給側が情報を伝えたい、モノを売りたいと思ったなら、こういった要素を使って「買い手主導」の経済に向き合っていくしかない。

売り手の都合で考えた「ターゲティング」でも、偶然売れる。大量にリソースをかけていけば、ある程度は売上も上がる。なぜ売れたかを、データを取って行って、さらに売れるように考えていくことも可能だろう。しかし、いつか限界が来る。前提になる「ターゲティング」が机上の空論でしかないからだ。大前提が空論、たまたま当たっていたところに、認知バイアスも修正せずにリソースを突っ込んだら、焼畑農業しかできなくなる。

「買い手主導」で考えていくために、「ペルソナ」を考える。具体的に、「買う人」を考える。「買う人の都合」で伝えて欲しいことを考えていく。欲しいモノを考えていく。どうすれば感じがいいかを考えていく。そしてその、「買う理由」をデータをもとに検証していく。

ペルソナは、実在の人物であってもいけない。あくまでも、「本物っぽい架空の人」であることが重要。ズバリど真ん中の人にだけ買ってもらっても、商売としては成り立ちにくいし、一人だけを満足させればいいというのであれば、発展もしていかない。

だから、ペルソナと具体的なシナリオを考えて、「それっぽいフィクション」を組み立てていく。検証していく。これを、勝利の方程式と見立てて、サプライサイドとデマンドサイドを繋ぐ伝え方を考えていく。そこまでやるのが、仮面ライターの仕事なんだな、というのが最近ようやくハッキリしてきたこと。

「買いたくなる理由」や「買ってしまうシーン」を考える。あるいは「買わない理由」を減らしていく。「買った後も気持ちよく」なってもらうためのフォローを用意する。そうやって、一連の体験を気持ちのいいブランド体験として「コト消費」に持って行く。これは、偶然でも机上の空論でもなく、検証も再現も可能な現実的な手段、になってくれる。

受け手の側に立って、無駄なく伝える。しっかり伝える。それが、仮面ライターの仕事だ

サプライサイドの側に立った伝え方や、コンサルティングをするのは、無駄が多い気がしてしまうし、それを今までやってきた人たちも沢山いるだろうから、わざわざこちらから手を差し伸べることもない。デマンドサイドの側に立って、サプライサイドの事情や都合を無視して、「本当に必要なもの」を作ったり、伝えたりすることに注力する。

そのやり方は、簡単に答えが見つかる手法ではないし、成功体験がいくつもあるような話でもない。誰に取ってもチャレンジの、ちょっと怖い変革になるとは思う。それでも、デマンドサイドの味方をしながら、サプライサイドとも円満な関係を築いていける社会を作りたいし、ゴールから逆算した、「新しい発想」を形にするべく奔走したいとも思う。

無駄なく伝える。時間をかけて、しっかり記憶に残るものを作る。文化を残す、伝統を繋ぐ。それをするのが仮面ライターの仕事だと、大分、分かってきた気がする今日この頃……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.02.16

2017.02.16

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