自分らしく自由に生きたいから、「無用の用」を勉強する

2017.02.20

「結局、何をやってる人なのか」第十弾。「自由」を実現するために必要だと思うことの一つ、「勉強」や「教養」について、個人的な考えをアウトプットしてみる。

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「勉強代」が削られている?

労働力の再生産が主な目的である賃金は、「本人の生活費」+「家族(=次の労働者の生産費)の生活費」+「新しい利用価値を生むための教育、勉強代」だという(他の解釈、解説も多々あり)。賃金が変動する場合、最初の部分はあまり変えられないだろうから、見直されるとすれば後ろの二つ。

賃金の元手になる一つ、売上や利益を上げるには「売れる」や「買う」という現象が発生しないといけないのだけれども、どうもここがこの数年満足に機能しきっていない。過去に栄華を誇った企業や分野であればあるほど、「買い手」を見失ってしまって、満足に顧客と「繋がる」状態を作れていない。供給過剰で、需要不足が相当大きくなっている。

そうすると、膨れ上がった金融市場で大きくなりやすい過剰利益、レントを使って「お金でお金を稼ぐ」方が優位になり、労働者による生産や経済活動は縮小していく。賃金もカットする方向に働くと「次の労働者の生産」が削られ、「勉強代」が削られる。「人口減」は当然で、長い目で見た場合「利益減」にも繋がっていく。なんとか雇用されるほうに残った面々は、より長時間労働で働かされるのだけれども、生み出すものはどんどんコモディティ化が進んでしまい、ますます利益は挙げにくくなる一方。

デマンドサイド、需要側の欲しくもないものを作り、とにかくお金をぶん回してお金を殖やしていく。「繋がらない」ために。ここに幾らかでもテコ入れしていかなければ、「囚われない自由な人生」どころか「働き方改革」は無理だろうし、真に平和な社会も多分やって来ない。だから、「繋がる」や「売るためにどうするか」という部分に力を注ぐとともに、「無用の用」を勉強することも提案していこうと思っている。

すぐに役に立たない「無用の用」を、アウトプットのために勉強する

社会に出て勉強というと、「自己啓発」や「なんとかセミナー」とか。「すぐに役に立つ」ものに飛び付きがち。楽しそうな空間に赴き、領収書も出る上に、仲間もできて、懇親会にも参加すると物凄く勉強した気にもなるのだけれども、すぐに役に立たなくなる。所詮は、「すぐに真似できる応用編」に過ぎないからだ。

応用編や応用技は「使える条件」が限られる。「マグレ当たり」で通用するうちはいいのだけれども、効かない状態を作られてしまうと次の手が打てなくなる。それだけに固執すると危ない。

教えるその人が編み出したというのは、敬意を表して教えを乞えばいいのだろうけども、長い目で見たコストパフォーマンスは非常に悪い。どうせ学ぶなら、もっと基礎や基本的なモノを選んだほうがいいと思う。

具体的に言えば、「教養」や「リベラルアーツ」と呼ばれるものや、「古典」。あるいは「研究に基づいた新しいノンフィクション」、「人間の機微を描いた毒々しさのある文学」。どれも、すぐには役に立たないけれども、考え方を見につけたり、「本当はそうだったのか」と思考の転換を迫られる要素のあるもの。ここに「旅」や「伝統的な遊び」や「スポーツ」も加わる。個人的にも、フィールドワークを通じた「無用の用」の学習は大事だと思う。

文化を磨き、知性だけでなく人格や人間性を磨いておくと、一つ上のクラスの人たちとも会話ができるだろうし、損はない。

純粋に、知的好奇心の赴くままに学ぶのも一つではあるけれども、必ずアウトプットを意識した上で勉強したほうがいいとも思っている。これが、「高付加価値商品」の開発や生産、あるいは「自分がパイオニアになったときに何をすべきか」といったときのヒントに繋がっていく。

日本人は、「自由にやっていいですよ」となると途端にうろたえる人や、「自分が先頭だ」と分かると真似をする人を探してしまう人も沢山いるように思うのだけれども、自分で人生の新しい局面を切り開いていくためには、こう言った「勉強」が重要になってくるのではと個人的には考えている。

企業の経済活動としても、労働者がアウトプットを意識した教養や文化を身につけていると、他の企業の後追いをしなくても良くなる。独自性を追求した商品やサービスを提供していけるし、自社のサービスをより高めていくためにもこうした要素が欠かせなくなるのでは、とも思う。より「買いたくなる」ものや「(真っ当な理由で)高く売れる」ものを生み出すためにも、もっともっと勉強していただいて、自由を勝ち取ってもらえればと思っている。

学んだことを商品に反映する。高付加価値商品、高利益で楽に沢山稼いでもらいたい

勉強したことを反映した商品が「買いたくなる」ものになれば、賃金の元手になる要素も増える可能性が出てくる。元になった学びは応用技じゃないから、何度でも、どんなところにも活かせる。一度に留まらず、二度、三度と使っていけるし、学べば学ぶほど商品に織り込まれる知見は深まる。ますます「いい商品」になるように思うし、勉強する意義が認められれば、賃金にも反映される(ように思う)。

長時間労働に励まなくても十分な利益、賃金を得られるようになれば、色んな問題も解決し始めるのではないか、というのは「風が吹けば桶屋が儲かる」な発想だけれども。それでも、自由に働く可能性にも繋がるとは思うし、経済的な問題、家庭の問題、心の問題も解決しやすくはなるように思える。それさえ実現できれば、徐々にでも日本の諸問題、あるいは生活のしやすさは改善されていくとも思っている。

困った時の自由な発想、ブレない精神性にもつながっていく。

「物事はこうだ」という見方や考え方しか持っていなければ、八方ふさがりになった際、何もできなくなる。本当に、一つの見方だけを強いられる状態なんて、ほとんどない。それが、「無用の用」を学んでいけばどんどん出てくる。国語の解き方でわからなければ、数学の解き方で解決できる場合もある。見る方向を変えれば、簡単に溶けることも沢山ある。

「とんでもない問題だ」と思っていても、シンプルに紐解いていけば大した問題じゃないことも沢山ある。それを阻害しているのが、今の「教育」や教え込まれた常識や先入観であって、それらを守って囚われているうちは、発想ですら自由にならなくなる。気持ちも思考も、身体のことも自分の意思で決めていきたいのなら、「無用の用」や「教養」といったものに対してどんどん学んでいったほうがいいと思う。

「本質的には、これとこれだけ」というのが分かっていれば、どんなに追い込まれても余裕を持てる。世間の目がどうとか、声のでかい人の意見に左右されることなく、冷静にベストな判断ができるようになる。精神修養も兼ねて、終わりのない自分磨きをしていただきたい。

「日本」や「日本人」が先頭に立つ時代が来たから、勉強してほしい

IT産業や技術の領域では、圧倒的に出遅れている「日本」だけれども、国際情勢の中ではリーダーシップを発揮しなくてはいけない時代がやってきている。今までの日本だと、先頭に立った時には「次に誰の後ろにつくか」を考えていけばよかったけれども、今そういう立場にある国は一つもない。米国ですら横並び状態に近い。

日本や日本人が先陣切って、未来を切り開いたり、在るべき姿を示していく瞬間がどんどんやってきている。ここで与えられた役割をこなしていくためにも、「無用の用」や「教養」、「高等教育」をしっかり身につけていきたい。

備考

ちなみに、今回の元になった(と思われる)参考文献(Amazonへのリンクも付してます)

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.02.20

2017.02.20

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