AIと人間性と道徳と。「毒」や「悪意」を上手に扱いたい

2017.02.20

「AIが仕事を奪う」とかシンギュラリティとか、「アートも人工知能が」とか。色々言われる中で、個人的に思うことを書いてみる。

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「人であること」がますます大事になってくる

個人的には、「生きている個体」や「肉体を有していること」が肝になると思っている。「道徳」や「感情」を人工知能が学べないと言うつもりはないけれども、「生きる」や「死ぬ」を考えなくてもいい人工知能に、それらを完全に身につけさせることは難しいと考えている。

「道徳」も「感情」も、肉体も。物理的に「生きている個体」でなければ、上手く運用することは難しい。学ぶことはできても、「擬似的」の領域を出ることは難しいだろう。ヒトとしても未解明な部分、完全にコントロールすることはできない部分。人工知能なら「間違いなく」コントロールできる、とは思えない。

自分の中にとどまることなく、外部すなわち自然や環境との関わりや、群れの中での関わりも、肉体や五感、感情やホルモンには影響を与える。育ってきた、あるいは生き抜いてきた時間や経験というのも、「生きている個体」に大きく関わってくる。閉じた人工知能に機械学習をさせたところで、これらを学び取るには限界がある。「ヒトとしての利点」はそこにあるとも思える。

ヒトであるから、「グレーなものはグレー」で配慮できる

世の中には、良いことも悪いことも溢れている。生きていくためには、良いことだけを得ることもできなければ、悪いことだけを選び続けることもできない。どちらも行き過ぎれば「死ぬしかない」からだ。肉体的な生きるか死ぬかを気にしなくてもいい人工知能なら、その限りではない。そこが、重要なポイントだろうか。

あるいは、必ずしも新しいことを生み出さなくても良いというのも、人工知能には足枷になりうる。いくら「温故知新」が大きな力を持つとはいえ、過去から積み重ねただけの予測が全て正しいとは限らないし、それだけでは「新しいもの」は過去を超えることはできなくなる。

「良い悪い」のグレーな部分、グラデーションについての判断も養っておかなければ、よりよい「新しいもの」や「アート」は生み出せない。過去から学べば良い「テクニック」だけでは到達できないし、「安全なもの」ばかりを選んでいればたどり着けるものでもないし。時に間違っていると思われるものも選べなければならないし、道徳的に配慮した上で「悪いもの」も幾らか選ばなきゃいけない。

「道徳的に配慮」という部分が、「身体(に付随する五感やホルモン)」や「群れの中で育つ時間」を持てない人工知能に100%やらせる、というのは難しいかと。

「ヒトであること」を最大限に発揮するために、教養や文学を学びたい

必ずしも、「良いもの」ばかりが古典や教養、文学になっているとは限らない。幾らかの「悪意」や触れ続けると「毒」になりうるものが、時に文章、時に音楽、時として、「口にするもの」に現れていたりする。教養や文学の良さ、奥行きというのは、そういったある種の「間違い」や「危険な香り」にあると個人的には思っている。

人間の悪い部分や醜い部分、あるいは嗜好品だったり、時に薬にもなるのだけれども、本質的には悪い部分もある毒が含まれていたり。「安全な部分」や「いい部分」だけではつまらないし、底が浅かったりするけれども、そういったものを取り入れていっても必ずしも、「悪いもの一色」にならないのも、「生きている個体」としてほどよい「道徳性」を持っておけるヒトの優位性ではないでしょうか。

悪いものも摂取できるのに、悪いもの一色に染まらず良い部分を見出していける。ただ、「悪いもの」を取り除いて良い部分だけを摂取することも、道理に反してどこかに反動が出てしまう。寿命や健康と引き換えに、そういうものも「選べる」。それがある意味、「生きる楽しみ」だったりしますしね。

教養や古典で学ぶ、あるいは旅やフィールドワークで学ぶ。遊んでみる。あるいは群れの中で育った経緯を通じて、色んなものを内側に溜め込んでいく。個々人それぞれに積み重ねた、「毒」みたいな部分が大事なんじゃないかと思っています。

モラルを持って、毒や悪意を使ってみる

アートに限らず、商品やサービスを考える上でも、「良い部分」しかないものはあまり魅力がないんじゃないかと個人的には思っています。幾らかの悪い部分、毒っ気のある部分がある商品の方が、新しかったり、面白かったりするんじゃないか、と。

人工知能が発達していって、色んな仕事を担っていくのなら、純度100%の「安全なもの」とか「良いもの」は人工知能やロボットが作るでしょうし、人がわざわざ作るのなら、同じことをしなくても良いのかなと。悪いことのさじ加減を学ばせるコストを考えれば、各個人のうちにある「毒」や「いたずら心」、「野心に基づく妄想」みたいなものを利用する方がはるかに多様で、はるかに面白くなるんじゃないか、と。

ブランディングやコト消費を考えていく上でも、「中毒性」や魅力というものは考えていかないといけないし、そういう意味でも、関わってくれる相手をバカにしない、高度なレベルでの知的なやりとりや感性のやり取りの部分で、ほどほどの「毒」や「悪意」を忍ばせる。これからの社会を考える上では、そういった事もやっていった方が良いのかなと思っています。

自分の中の毒や魅力を高める上でも、教養や古典で学んでみたり、群れの中での関わりを楽しんでみたり、フィールドワーク、遊びを重視してみたり。そこにも力を入れて、自己研鑽に励みたいものですね。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.02.20

2017.02.21

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