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著者 | グレッグ・マキューン |
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翻訳 | 高橋璃子 |
版元 | かんき出版 |
2014年11月に日本へ上陸したらしい書籍。ちょっと前の書籍で、いつか読もう読もうと思いつつ、どこか「意識高い系御用達」の匂いもしたのでそこまで優先順位を高めていなかった一冊。図書館で見かけたセレンディピティーを信じて、読んでみた。
大事なものは多くない。大事なものを選んでいこう
瑣末なノイズや影響の小さい雑務に時間を取られ、自分の人生で大事にしたいものを選べていないのではないか。本当に大事なものは、そんなに多くない。思い切って、自分が欲しいものを選んでみては、的なお話?
最近にわかに流行り出した気がする「ミニマリスト」や「断捨離」とも通じるような、「捨てる勇気」みたいな要素もあったりして、この手の自己啓発にはさほど真新しさはない(そもそも、3年前の本だしね……)。
「エッセンシャル」に重要なものだけの人生を過ごそうと思えば、欠かせないのは選ぶこと。捨てることと言い換えてもいいけれども、同時に選べないものの中から、より重要に思えるものを選ぶこと。この、「選ぶ怖さ」や「瑣末なものを捨てられない怖さ」、「チャレンジングな選択肢を選べない。無難なもの、現状維持を選んでしまう」みたいなものをなんとかしてみたくなる。その辺に、自分のコアがあるような気がした。
たった一つしか選べないとしたら、「世界を変える」ことを選ぶ
野望や目標が大きいからか、手段と目的とを履き違えてきた気がするけれども、究極的には「世界を変える」もしくは「良くしたい」。そのために生きているし、そのために仕事をしているはず、だった。
それに通じる手法が「(デジタル)ゲーム」に詰まっていて、それらの思想を一言にしたのが「(怖くても)自由になる方を選んで生きて欲しい」。なんとなく見出していた答え、道を見失っていた。
選びにくいものでも、思い切って選べる。あるいは、選ぶということ自体が「ゲーム」に欠かせない要素や役割。その先に、「学習」や「楽しい」が付いてくる。インタラクティブ性と、選択性(ジレンマ)と。そこにルールという区切り、仮想空間を用意することが「ゲーム」や「遊ぶ」の根幹。
選択肢の提示、選択、決断後の行動、さらなる選択。選択と行動の間に幾らかの「学習」があって、ここで「無気力感」(何をやっても変えられないという錯覚)を覚えてしまうと囚われてしまう。
重要なものを選んでエッセンシャルに生きるために、あるいは「買い手優位」な市場で選んでもらうために活用できるのも、この「ゲーム」的な要素。そこを起点に、他の色んなアウトプットや働きかけ方を思考錯誤してきた。それを忘れて、「売る」や「買う」やらの話をしてみても、それこそ「誰がやっても同じ」だ。
楽しみながら、変わる方を選んでみる。ゲームで遊びで仮想だから、とんでもない選択肢を選んでみても、取り返しがつく。シミュレーションとして経験していく。経験を重ねていけば、人生が変わっていく。その先に、「世界を変える」が待っている。気の遠くなるような繰り返しの果てに訪れる「その瞬間」を見たかった、というのをまさかの書籍、まさかの角度から思い出してしまった。
中途半端な「ゲーム」の活用を最大限にしていこう
ゲーム屋さん、ゲームプランナー、シナリオライターを目指して学生時代を過ごし、自分の力のなさもあって業界に振られて早数年。その状態で、自由な個人事業主、Web屋さんとして世の中を眺めていると、ムズムズするところがなくはない。「ゲーム」の部分が中途半端で、「ゲーム」業界もなんとなく中途半端な気がして、プライドの部分も合わせて落ち着かない。
本気でゲームを作ろうと、文学やら遊びのルーツやらを学んでいった身だから、思うコト。あるいはやれるコト。その辺りも踏まえて、今までとこれからをつないだ、新しい伝え方を見つけられればとも思う。
ああ、サクッと書くつもりが割とゴリゴリやってしまった……。