『国際秩序』を読んでみた

2017.02.27

「これを更新している場合じゃないだろう」、第二弾。ヒラリー・クリントンが評価したという、「向こう側の思想」を少しでも把握しつつ、これを出した意図も読み取れればと思って手に取ってみた。上手くまとまるでしょうか……。

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著者ヘンリー・キッシンジャー
翻訳伏見威蕃
版元日本経済新聞出版社

昨年の米大統領選挙で敗れた、ヒラリー・クリントン。彼女の支持層が一体どういう思想を持っていたのかを知るために、『外交』でお馴染みのヘンリー・キッシンジャー氏の新著を読んでみる。同著書自体は選挙の遥か前に出版されているので、その辺りも踏まえて書ければと思います。ただ、翻訳に関しては割と「難あり」とのレビューがあるので、熟読したい方向けのまとめにはならないかと思う。

『奴ら』の思想は「バランス」すること

いわゆるグローバリスト、あるいはエスタブリッシュメントといったコスモポリタンなエリートたち。色んなカタカナを並べてみたけれども、早い話が「超勝ち組」で「格差を拡大したい、勝つ側で居続けたい人たち」が、ヒラリー・クリントンの支持層だったと睨んでいる。ヘンリー・キッシンジャー自身にも色んな噂がついて回るものの、どこかに「日本人は猿だ」というプライドが隠れているような感じもする。世界は、「ピューリタンと華僑、金融系のユダヤ人とで支配しよう」という世界観を持っているのだろう、と。

もっと極端に言えば、素朴な遊牧民であった古ユダヤの人たちではなく、それらを打ち負かした農耕民系のユダヤ人と、それに連なる人々だろう、と。この世を支配するのはキリスト教であり、清教徒がその正しさを持って世界を牛耳るんだ、と。

割と上手に隠されているように思えたけれども、本書でもそういう風な書き方をしているように思えた。

世界史を紐解き、色んな事件を取り扱ってはいるものの、キッシンジャー(とその背後にいる思想や結社)の主張によれば、求めるものは「秩序」。適当なところで線を引き、線を挟んだあちらとこちらとに近い戦力をもたせ、「敵の敵は味方だ」と手と手を握らせ合う。時に衝突を促し、時に調和を主張し、そうやって微妙なバランスをとり合わせることで国力、あるいは民衆の力をコントロールしようとしてきた。そして、それを今後もやっていこうとしていたらしい、というのが「ヒラリー・クリントンが評価した」という噂に現れている気がする。

登場する国家やプレイヤーが増えれば増えるほどバランスを保たねばならない緊張感は増すし、そのバランスが安定してしまうのなら、火種を織り込んでおく。決して、辿られないように、情報工作を駆使して。

そうやって、格差がひっくり返らないように、支配者層が追い落とされないようにしてきたというのが、「奴ら」の考え方らしい。

「日本軽視」が非常に気になった

『国際秩序』というタイトルの割に、アジアに関する言及では中国の方が分量が多い。日本は「インド」と同程度の紙面しか割かれていない。明治維新後の日本の影響力を鑑みれば、その扱いはあまりに軽い。「ジャパン・パッシング」で中国に傾倒しようとしていたヒラリー・クリントン、あるいはキッシンジャー自身の思想が透けて見える。

これらもやはり、「遊牧民系のユダヤ人」と「農耕民系のユダヤ人」の問題が根っこにあるような気がする。いわゆる、「イスラエルの失われた10支族」という奴だ。遺伝子的にも、日本人は古い遺伝子を有しているとも言われる。遊牧民、あるいは採集民だった古ユダヤの王族や支族が、豊かな土壌を目指して日本をはじめとした「照葉樹林」を目指していたとしたら。

いわゆる、「野蛮人」とみなされがちな人たちが、農耕をする必要もなく、「遊牧」や「狩猟採集」で十分だった穏やかな古ユダヤの末裔だったとするなら、それらを追い出して迫害しまくった農耕民系のユダヤ人は、「出て行ったくせに」という恨みつらみを現代にまで引きずり続けてきたのではないか、と。

古代中国、あるいは朝鮮半島の歴史も総合すれば、高貴な人たちがこぞって日本列島に移住してきたらしい記述もあるし、技術のある人たちや知識人たちも日本へ渡来してきたケースもあるようだ。居心地がよく、住みやすい「照葉樹林」、あるいは日本列島にやってきて居ついてしまった。そうやって混ざり合った、融和の歴史を持った日本と日本人とを、「奴ら」の急先鋒であるキッシンジャーや、ヒラリー・クリントンが忌むのも分からぬ話ではないのかな、とも思う。

「農耕民系の思想」が必ずしも強いとは限らない時代がやってきている

第二次大戦までは、「農耕民系」もっと言えば「キリスト教」的な思想あるいは軍隊が色んな地域を蹂躙してきたが、ベトナム戦争や湾岸戦争あたりから、だんだんと「楽勝」とは言い難い自体が起き始めている。同じく、「農耕民系」あるいは「官僚系」あるいは「見捨てられた臣民」に近い華僑の思想も、徐々に嫌われつつある。

アフリカの治安維持に関しては、「バランス」を狙って疲弊させようという目論見もあるだろうが、中東やアジアに関しては、これからも「奴ら」が勝ち続けるのは難しくなってきている。そもそも、「自分たちの正しさ」を振りかざそうとしていたアメリカ本国で、その動きに実質的なブレーキがかかってしまった。民衆、支持層がそうではなくなってしまったから。

だからといって、一気に「狩猟採集民」あるいは「日本的な融和や調和」が広まっていくとは思えないけれども、「自分たちを脅かすエリートを葬ってきた」という部分に関しては、これからもそのままでやれるとは限らない。GHQや全共闘で思考や高等教育に相当な圧力をかけられて、粗悪な人材を量産させられる体制になってしまった日本だけれども、これからはより一層、封印されている部分に力を注いで、詰め込みやら古典やらリベラルアーツやらを、とことん勉強していった方がいいような気がする。

問題は、この動きをどう見るか

「こういう考えですよ」という掌を見せてしまった「彼ら」あるいは「奴ら」は、これから何をするのか。そこをしっかり考えて、見極めて、対策を講じる必要があるのだろうけど、残念ながら次の手立てはあまり思いつかない。彼ら目線の思考が全くできていないし、追いついてもいない。

それでも、間違いがないと思われるのは「秩序」や「バランス」あるいは「平和」、「平等」という美辞麗句を盾にした「半自動的な削りあい」はこれからも続けていくだろう、ということ。「お互いに手と手を取り合って、過去を乗り越えて新しいことに向き合う」というのを加速されては、「彼ら」の土台が揺らいでしまう。

民衆に力を与えない。自分たちはひっくり返されない。そのために、全力で工作する。それだけは間違いない。だから、「この本」を出した意図をもっと深読みしていかないと、それだけではまだ読みきれていない気がして落ち着かない。

「地動説」が唱えられた時ぐらいの、大きなインパクトがもしかしたら起こるのかもしれない。支配構造がガラッとひっくり返るような、大きな大きな変化が起こる気がする。それを阻止すべく、「天動説」維持派はこれからも大きな力を振るってくるだろう。ただ一人の人間として、そういう「支配」や「悪意」とはささやかに抵抗して、戦っていければと思っている。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.02.27

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