『〈面白さ〉の研究』を読んで見えた「コト消費」のヒント

2017.02.28

「こんなん書いてる場合じゃないでしょ」、第三弾。コト消費にこだわる理由、人だからできるコトの理由、「ゲーム」や「受け手」にこだわる理由がここに書いていなかったかな、と以前読んだ本を再読してみた。

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著者都留泰作
版元角川新書

著者は、文化人類学者であり漫画家である一風変わった人物。異文化を理解するためのフィールドワーク的な「面白さ」と、エンタメ、娯楽の一種、「世界観エンタメ」にある「面白さ」の共通点を説いている(ように思えた)一冊。これをダシに、やろうと思っているコト、あるいはやりたいコトについて書いてみる。

「世界」が面白いと、繰り返し楽しみたくなる

映画や小説や漫画、ゲームやアニメ、もちろん演劇や音楽まで。いわゆるエンターテインメントと呼ばれるもの、あるいはアートと娯楽の間にあるものには「楽しむ」ポイントや「面白さ」のポイントがいくつかある。ドラマツルギー、いわゆる「ストーリー」の面白さ、「キャラクター」の面白さ、「(演奏や演技なども含めた)技術」の面白さ、それから「そこで描かれている世界」の面白さが代表的なところだろうか。

インパクトが大きいけれども、「ネタバレ」をされてしまうと困るのが、「ストーリー」の面白さ。たまに見たくなるコトがなくはないものの、繰り返しの鑑賞には向いていない。一回通しで見れば十分だろう。繰り返しの鑑賞に耐えうるものは、それら以外の要素。特に「キャラクター」の出自も含まれる「世界」の面白さ、「世界観」に関してはいくらでも面白いポイントを織り込んでいける。

例えば、宮崎駿監督の『となりのトトロ』や『天空の城ラピュタ』、『風の谷のナウシカ』といった作品や、ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』といった作品が本書でも取り上げられているのだけれども、どの作品も、ストーリーやキャラクターの面白さもさることながら、作り込まれた世界、あるいは「描かれ方」が非常に魅力的だ。

たまたま、カメラで取り上げられていない時間や空間がまだまだあるのではないか、と思わせる「拡がり」を感じる。これらは、新しい文化や新しい業界、新しいコミュニティに入り込んだ時に感じる感覚と近いのではないか、と文化人類学者である著者は言う。

全くの異文化だけれども、「人である」というところは共通していて、通じ合えない部分があるかと思えば理解し合える部分もある。跳ね除けられるかと思えば、やり取りの中で「人間臭さ」を感じて心地よくなる瞬間もある、とか。住まう世界が違うだけ、あるいは生きている時間感覚が違うだけで、持っている五感や考えていることは多くは変わらない。そこで感じること、体験すること、そこで出会った人とやり取りすることの面白さに通じるものが、「世界観エンタメ」にもあるのではないかという。

転勤族だった身には、とてもよく分かる。新しい場所で、新しい人と関係を作る時、その街やそのコミュニティがどんなものかをどんどん発見していく感覚は非常に面白い。「この道はこの道に出るのか」と発見する楽しさがあったり、「この人にはこんな一面もあるのか」と発見したり。「友達のお宅では、こういうものを食べるのか」と発見したり。色んなところが面白い。

旅行に行ってみても、「これを楽しんでね」と用意された温泉や観光スポットを回るだけでなく、その周辺にある意外な発見を楽しもうとしてしまうのは、このフィールドワーク的な楽しみ方を身につけてしまっているから、だろうか。

「異世界」という程遠い存在ではないものの、業種や業界が違えば、色々と事情や都合やルールが変わるのも、Web屋さんをやっていて楽しい部分。色んな人と出会ったり、色んな業界の「え、そうなんですか?」を知れる、知的好奇心を刺激されまくる感覚はとても楽しい。

この楽しいという感覚を、「フィクション」として作り込み「世界を楽しんでね」と用意する。その上で、「この物語、この人たちの物語を楽しんでね」と思い切って「使わない」のが、この「世界観エンタメ」のより面白い部分、だろうか。

「世界」を面白くするには、「知識」と「人の感覚」が欠かせない

ついつい「長居したくなる」世界観を用意したければ、その「壮大な嘘」が破綻しないような緻密な作り込みが要求される。綻びが見えてしまえば、「なんだ、嘘か」と冷めてしまう。ここにきちんとケアをしておく、「神は細部に宿る」と神経を尖らせて、いつまでも「住んでいたくなる」感覚を楽しんでもらう。そこを大事にしなければ、「世界」を楽しんでもらえないし、「その世界を発見していく楽しさ」も楽しんでもらえない。

ただ、「正しい知識」を「作品世界の外」からそのまま持ち込んでみてもダメで、それを「人の五感で楽しめるかどうか」まで気にかけなければいけない。「そっくりそのまま」が心地いいとは限らない。微妙なズレや微妙な調整、「最後の一手間」がかかっていないと「いい世界観」は作れない。

そうやってしっかりと作り込んだ世界の中で、「人間臭さ」や「矮小さ」を感じさせるシーンを描いてみたり、壮大なスケールの物語を描いてみたり、空間的な広がりだけでなく時間的な広がりも盛り込んだ「コンテンツ」を随所に挟むことで、「もっともっと楽しみたくなる世界」を用意してあげる。そういった、「おもてなしの精神」も「世界を楽しんでもらう」ためには欠かせない要素になってくる。

「世界観」にこだわるのは、「元ゲーム屋志望」だから?

「この角度だけで楽しんでほしい」とか「こういう流れだけで楽しんでほしい」と受け手を誘導しやすい映画や小説、漫画と異なり、「インタラクティブ性(双方向性)」や「選択と変化」が織り込まれるゲームでは、「楽しむ空間」や「遊べる空間」をしっかり作ってあげる必要がある。

ファミコン時代であっても、「スーパーマリオ」の世界から相当作り込まれていて、「使われない部分」すら密かに情報が織り込まれている。空間の広がり、解釈の広がり、楽しみ方の拡がり、あるいはそういう自由を受け手に委ねること。それがゲームでは重要なポイントなんだろうな、と思って勉強してきたところはある。

だからこそ、「嘘を破綻させない」ように幅広い知識を身につけることも続けているし、「魅力的な世界」が提供できるように作家性を磨き続けていこうとも思うし、「気持ちよく楽しんでもらう」ために「凡事徹底」で無駄に気になる部分を減らすように心がけているつもりである。

「その世界」で楽しんでもらう受け手に満足してもらう、受け手がいつまでも楽しんでいたくなるように気を配る。その辺りが作り手としてのポリシーに近い気がする。

「世界が楽しい」は、コト消費にもブランディングにも有効か

「いつまでも楽しんでいたい」とか、「発見する楽しみがある」とか、「繰り返し楽しみたい」とか。「コト消費」や「ブランディング」を考える上では使える考え方だと思っている。受け手が主体的に来てくれる状態、延々と「ハマってくれる」状態。あるいは「好んでいてくれる状態」を保てれば、商売としてはかなりうまく回っていることにもなる。

「住みたくなる世界」や「発見する楽しみがある世界」を、丹念に作り込んであげる。破綻が起こらないように丁寧に手をかけてあげる。どうやったら、その商品、そのサービスでそういったコトができるのか、を考えていく。そこが、「コト消費」や「ブランディング」に力をかける上でのヒントな気がする。また、そこさえやれれば、かなり効率よく販促等にも取り組んでいけるだろう。

ただ、ここで大事になるのは、あくまでも「受け手基準で満足するかどうか」。作り手基準で「事情はあるけどこれで満足してね」とやっても、受け手は繰り返し楽しんではくれない。受け手の感性を刺激しまくってなお「まだ楽しみたい」と思わせるレベルのものを持ってこなければ、「いつまでも楽しい」心理状態にはなってもらえない。

そこをクリアして、「クオリティの高いコンテンツ」単体を提供するのではなく、「コンテンツ群」あるいは「コンテキスト」あるいは「コンテキスト群」、「思想」や「理念」といったものまで受け入れてもらえるように用意する。たっぷり用意して、「使わない部分」の方が多くなるぐらいが丁度いい。

そういうコトを織り込んだインパクトの高い楽しみ方、楽しませ方や受け手と上手く関係を作る方法に関しては、幾らかアイディアがなくはない。ゲームクリエイター、作家を目指して身につけてきた手法や思考法を使って、もっと周りの人に貢献していければと思う。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.02.28

2018.04.30

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