色彩も絵画も分からないけど、何かが分かった気がする件

2017.03.16

デザインのことも多少は引き出しを増やさないとなと思い、適当に手に取ってみたインプットが色んな化学反応を起こしたようなので、まとまらないなりに書いてみる。

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久しぶりの、乱読のセレンディピディ

インプットのタイミングだと思い、デザインに関する書籍を幾つか読んでみた。サムネイルの他に、Photoshop関連の書籍やら、After Effects関連の書籍も図書館で借りてみて、色々手を動かしたりもしてみた。

実際、『色彩がわかれば絵画がわかる』(布施英利著 光文社新書)などを読んでみたものの、まだまだ「わかる」というところまでは至っていないものの、「ああ、色彩というのはわざと選んでいるんだな」という当たり前のコトには気がついた。パースにしろ、デザインにしろ、絵画と呼ばれるものにせよ、もちろんPhotoshopなんかのツールを使うにせよ、そこには「意図的に」やったことが残っていく。

考えるまでもなく、当たり前のコトなんだけれども、今まであんまり深く考えずにフィーリングでやってきたことだからだろうか。「それ」に気がついただけなのに、個人的には結構な気付きになった。特に「絵画」や「アート」と呼ばれるものであればなおのこと、そこには「いたずら心」に近い「意図的な選択」や「これが理解できるかな」という問いかけ、みたいなものすら含まれているのだろうな、というのも、多少わかったような気はする。

Photoshopやらデジタルなツールを使って、パーツなり、Webサイトなりをデザインしようとしたって、そこにはやっぱり「(頭で理解して)意図的に」何かをやる、加工するというのが含まれている。それもやっぱり、当たり前のコトなんだけれども、そこを「なんとなく」でやっているから「上手くできない」に陥っていたような気もする。

そりゃあ、配色にも悩むし、上手くデザインもできないわ。まず、「頭で理解して守破離の守」をやる。とことん身につくまで、感覚でやってきたコトを理解して、肌に馴染ませていく。それから感覚でやる。文章でも似たようなコトをやっていたはずなのに、そこのところを最近忘れていたような……。

色を選ぶのも、線を引くのも、構図を決めるのも、言葉や伝えるコトを選ぶのも。頭で理解して、フィーリングでやる前に普通のコトをやる。意図的にやる。そこのところを多少客観的に腹に落とし込めたような気がする。

デザイン的な部分を経て、アートな部分にも進みたい

また、今回のインプットやら最近の制作やらを踏まえると、個人的にはとことんエンターテインメントなものに携わりたいのだろうな、というのも分かってきた。特に「アート」と呼ばれるものには、一種のインタラクティブなものやホイジンガが言った「遊び」の要素が多分に含まれていて、「(知的に)遊びましょう」とか「(絵画などの媒介を通じて)コミュニケーションしましょう」というのが込められているんだろうな、という発想も生まれてきた。

また一方で、デザインという部分で言えば、形になる以前の部分、哲学や理念、ビジョンといった部分がより重要で、そこが優れているかいないかがとても大事になってくるんだろうな、とも思ってしまった。たまたま同じタイミングで見かけたツイートから、「コンパクトデジカメになくて、iPhoneにあったものは何か」を考えてみたら、そこには「ジョブズが提案する新しい生活」というビジョンやプレゼンテーションだったんだろうな、とか。プロダクトやサービス、ブランドのデザインということも考えたなら、そういう「想い」の部分がいかに影響を与えるのかということも、考えてしまった。

デザインは、「考えなくても受け取れる」もので、相手との関係性を考えながら「想いをカタチにする」ものなんだろうな、とか。アートはアートで、「考えないと受け取れない少し攻撃的な提案」なんだろうな、とか。もう少し違う表現をとれば、「最大公約数」や「大衆性(=割と万人向けな、分かりやすさ)」を担保しながら、負荷をかけすぎることなく想いを伝えていくコミュニケーションがデザインで、「唯一性」や「外れ値」みたいな「分かりにくさ」を吹っかけていくインタラクティブな遊びがアートなのかな、とか。どちらも意図的にやることに意味があり、今の自分にはいずれも欠けている。両方を同時に追いかけながら、なにかやれることはないのか、と。自分なりの思考や発想がバチバチと起こったインプットになった。

もう一度、「意図的に」作ってみる。アウトプットを意識していく

業務や仕事も一種のアウトプットだし、「書く」ことももっと意図的にやっていかなきゃいけないし。なんとなく「馴れ」や「フィーリング」でやってきたことも、改めて「頭で理解してわざとやる」というところに立ち返ろうと思う。そこから、帯を締め直しながら無意識にやれるように、何度も練習していければとも思う。

中々、「習熟する」というのが得意なような、苦手なような。じっくり腰を据えて磨きあげるという部分、自己研鑽というものを改めて全方位的に、客観的なところからやり直していければと思えるインプットでした。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.03.16

2017.03.16

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