自分を大事にしたいから、人を大事にしたい

2017.05.05

効率を求めるのも、臨機応変を拒むのも、できる範囲で頭を使うのも、全力でやりきるのも。全ては変わり者の自分を大事にするため。相手を大事にすること、人の作ってきたものを大事にするのも、回り回って自分のためになる。そんな話を書き散らしてみました。

この記事は 約 7 分で読めます。

, , ,

効率を求めるのも、本質を求めるのも、全ては自分のため

自分のため、というと誤解を生むかもしれないが、自分勝手、独りよがりな「自分のため」とは思っていない。もちろん、時にはそういう自己中心的なワガママになることもあるけれど、基本的には「情けは人の為ならず」に近い行動を取っているつもりだ。(あくまでも、「つもり」)

臨機応変を求められなくてもいいように、本質的に価値のあることだけに取り組む。誰か他の人に対して、何かをお願いする時も、基本的にはこれしかしたくない。他人に無理を強いられたり、指示されるのは真っ平御免だろうと思うから。自分が一番実力を発揮しやすいやり方で、最大限の能力を発揮するにはそれしかないだろうし、それ以外の方法で最大の貢献というのも難しいのでは、とも思う。

また、本質的で価値のあること以外を他の人に提供したいとも思わないし、第三者に提供してもらいたいとも思わない。表面的にはきらびやかで豪華なものであっても、中長期的に見れば「安物買いの銭失い」になったり、無駄に時間を取られる代物を掴まされたとなると、すごく嫌な気持ちになる。

何かの非常事態に余力を残しておけるようにしたいから、効率を求めたいし。常に一定の品質を保つことが相手にも自分にも世間にも安心につながるだろうし。無理なく最適化された(=行き届いたデザインのなされた)商品やサービスの方が心地いいし。誰かの気配りや配慮を感じるようなサービスを、消費者として受けたいと思うからこそ、提供する側としても出来うる限り最高のものをお届けしたいという気持ちになる。

ロジカルでもないし、魔法使いでもない。当たり前のことをしているだけ

相手を大事にする、もてなそうとすれば、自分なりに考え得ることは全て考えて対応を考える、というのは当たり前ではないかと。表現一つを取っても、受け取る人のことを考えれば神経を配る。もう少し気配りや配慮をすればいいのに、と思ってしまう。自分も受け取る側なら、行き届いたサービスの方が良くないですか? 相手に大事にされたいし、自分を大事にしたいからこそ、とことん考えて、とことん気を配る。ただ、それだけの話です。

また、「自分の都合」を相手に振りかざしたり、押し付けるようなこともしたくないと思っています。受け取る側には、提供する側の事情や都合なんて関係ないから。予算がない、時間がない、スケジュールが足りない、人手が足りない、クオリティが足りない、etc。全て、受け取る側、選ぶ側には関係ないのに、「ワケあり」と称してそれを飲んでもらおうとする。あるいは妥協できる価格で提供しようとする。それで自分を大事にできていないなら、そのサービスや続けられない。楽しみにしてくれている相手を、いつか落胆させることになる。

自分を大事にして、相手も大事にする。相手を大事にするには、その集まりである世間や文化も大事にする。気を使う。それが、当たり前なんじゃないかと。だから、という訳ではないですが、自分が提供することも基本的には「金額の多寡や有無」で出し惜しむつもりはありません。常に全部を提供したいと思っています。

短期的な目先の利益や不利益ではなく、相手のため、世間のためになると思うから、自分の希望価格や自分を大事にするというのは一旦後回しにして、奉仕する。でも、あくまでも奉仕にすぎないので、相手も同じ心持ちでない方であればどこかで支援を打ち切らざるを得ません。「都合のいい人」をやるつもりはなく、自分も生き延びるためにやっていることなので、その辺りはあしからず。

人の作ってきたもの、残してきたものにも敬意を払う

また、「当たり前」という意味では、誰かの作ってきたものにも敬意を払って勉強しておきたいという気持ちがあります。手前勝手な理解、認識で相手に失礼をしてはいけないと思いますし、その行為が誰かの作ってきた文化や伝統を傷つけることになってはいけないとも思うからです。

温故知新などと大それたことを言うつもりもなく、ただただ当たり前に当たり前のことをやる。知識や文化というものは、目の前に顕在化して存在している訳ですから、自分が少し気を配り、少しの時間を割いて勉強するなり、訓練するなりすればいいだけの話。その上で、自分なりの工夫やおもてなしを考えることが、相手を大事にすること、敬うことにも繋がっていく。

手前勝手に何でもかんでもやる、他人のふんどし(に敬意を払うことなく)で相撲を取る、自分勝手な尺度で物を推し量る。全て、周りの物を傷つける行為であり、自分自身を傷つける行為になります。自分の利益しか考えず、自分勝手に目先の利益を追いかける。そうすると、周りを破壊する。それで何も感じない人もいますが、回り回って自分を傷つけているのだと早く気が付いた方がいい。

最近のスタートアップやITベンチャー、意識高い系の起業家やブロガー、中途半端なクリエイターに感じる違和感はその辺でしょうかね。

目の前に顕在化していることに、最大限に注力する

当たり前のことをやる、また相手を大事にするというところから行けば、自分が提供している、あるいはしようと思っているWeb制作やWebを使ったマーケティングも、別段変わったスタイルではないと思っています。

他の業者さん、他のクリエイターさんがなされていることを全て把握している訳ではないですが、大別して「狩猟型」と「農耕型」あるいは、「短期集中」と「中長期型」に分けられます。綺麗なランディングページを作り、キャンペーンを走らせて、リスティング広告も動員して利益を狙いに行く手法が前者、オウンドメディアやコンテンツマーケティング、ブランディングに取り組んで少しずつファンを増やしていくやり方が後者でしょうか。

自社でもまだまだ実践しきれていないですが、自分の特性としては後者の方が得意なんだろうなと。ロジカルに分析して、コンスタンスにコンテンツを作ったり、戦略的にマーケティング活動をしたりというのはできていませんが、人を大事にするという意味では絶対的に後者を選びたいと思っています。

事業をしていれば、必ず一人や二人はサービスを買ってくれる人がいます。あるいは、店舗やWebサイト、SNSのページに来てくれる人がいます。「まだ見ぬ顧客」を捕らえに行こうと必死になるより、まず来てくれた人、買ってくれた人、顕在化している存在を大事にしようよ、と。メールでフォローする、あるいは継続的に楽しんでもらえるようにコンテンツマーケティングに取り組む。接点を持ってくれた方と関係性を作るために、広報活動を一所懸命にやる。自然とコンバージョンしたくなる情報設計を見出す、とか。

来てくれさえすれば大事におもてなしができる。あるいは、おもてなしをしてくれるんだという口コミを拡げてもらう。それを実現するにはどうすればいいかを考える。目の前に着実に存在する人のことを想った上で。

変わり者の自分をそのまま大事にしたいから、相手の個性も尊重する

踏み込み過ぎないように配慮したいし、押し付けすぎないように気を配りたいし。相手のことを変えすぎない程度に、影響を与えたいとも思う。だけど、それが行きすぎて変に遠慮しがちになってしまう。自分のパワーを制御して、相手に中途半端なものしか提供できなくなってしまう。

その配慮や慎重さは美徳なんだろうけど、デメリットも少なくはなくて。そろそろ、そういった要素にはケリをつけなくてはいけないなとも思っています。自分を大事にするために、相手を大事にする。相手を大事にしすぎると、自分を犠牲にしてしまう。ここのバランスも上手く取れるように、より一層成長できればなと思う次第です。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.05

2017.05.05

Loading...
Facebook Messenger for Wordpress